山田正彦さんの講演会と玉本英子さんのウクライナ報告会
いのちを侵略するアグリビジネスと新自由主義がもたらした食の危機
8月3日と4日、2日連続で難波希美子さんのグループ「ホップ・ステップ・のせ」主催の学習会が開催されました。
8月3日は能勢町淨るりシアター小ホールで開かれ、食と農の安全と自立を求めて精力的に活動されている元農林水産大臣で弁護士の山田正彦さんの「食の安全を語る」と題した講演会でした。大きなご案内ができなかったにも関わらず、30人のご参加を得ました。
そもそもは、翌日の4日に猪名川町社会福祉会館で、映画「食の安全を守る人々」、「タネは誰のもの」、「全国オーガニック給食フォーラム(ダイジェスト版)の上映会と山田正彦さんの講演会という大きな催しがあり、それに合わせて能勢町でも映画「食の安全を守る人々」の上映会を開催したご縁で実現したものです。
わたしは実のところ、映画会でも今回の講演でも、「発達障害」といわれる人の数が増える一因に農薬や添加物による食べ物の汚染が関係しているとする発言に戸惑いを感じます。
それが事実かどうかにわたしは関心がなく、だれもがあたりまえに自分らしく生きる社会の実現をめざすことと一緒にその問題が検証されるのならば異論はないのですが、山田正彦さんのように強い影響力を持つ方だからこそ、その発言を単純に受け取るひとびとに障害をもつ人たちへの偏見と差別を増殖させないか心配です。
国連の勧告にあるように、世界の流れに逆行しすべての子どもたちが学校で共に学ぶことを許さない日本の教育や社会の「排除」体制への問題提起を聞く側が持たないといけないと思います。子どもたちの自死が増えている事実も踏まえて、障害を持つ持たないにかかわらず学力偏重に偏るだけでなく、学校が多様な子どもたちを受け入れる拠り所になってほしいと思います。そのことは山田正彦さんが今回も語ってくださったように、気候危機よりも以前に農業従事者に押し付けてきた理不尽な政策が農業の衰退を生み出した社会のあり方と根元で深くつながっていると思うのです。
「国内製造」という食品表示も種子法の廃止等々すべての政策が国民のためではなくアグリビジネスのためであったことなど、具体的な事実にもとづいたお話と、それに抗う山田正彦さんは「たたかうひと」で、その行動はほんとうにわたしたちを勇気づけ、「みなさんも一緒にたたかいましょう」という呼びかけに、何度も拍手がわきました。
そして、たかだか2時間ばかりの話で終わらせず、農業と学校給食のオーガニック化をめざす住民とともに近隣各地の農協、教育委員会、首長に懇談、申し入れをするなど、滞在期間をフル活用して精力的に行動され、感謝以外にありません。
わたしたちみんな地球のこどもたち、国家の暴力からいのちをまもるために
翌8月4日は、映像ジャーナリストの玉本英子さんのウクライナ現地取材の報告会が淨るりシター研修室で開かれ、この集まりにも30名の参加となりました。
玉本英子さんはこれまでイラク、トルコ、シリアなどの中東地域の他、アフガニスタン、ミャンマー、ウクライナなどを取材、「戦火に苦しむ女性や子どもの視点に立った一貫した姿勢」に対して第54回ギャラクシー賞報道活動部門優秀賞を受賞するなど、その活動が高く評価されているジャーナリストです。彼女の紛争各地の現地レポートはテレビの報道番組でも取り上げられ、紛争地で生きるひとびとの困難な日常を映し出し、その悲惨で理不尽な現実の中から希望を見つけなければいけない子どもたちのいとおしい姿が胸に刺さります。
彼女のそんな生々しいレポートに突き動かされるひとたちによる彼女の取材報告会が各地で開かれ、今回の報告会もそのひとつでした。
2022年2月、ロシアによるウクライナ侵攻は、世界が悪い方向に大きく変わってしまっていたことを思い知らされました。1989年のベルリンの壁崩壊に象徴される東側と言われる国々の民主化と1991年のソ連崩壊を「自由と民主主義が社会主義・共産主義に勝った」ともとらえられました。
政治に無知だったわたしは社会主義国家で弾圧されてきたロックやアートが解放され、人々が自由をとりもどしたのだと単純に思ってしまいました。
「それで自由になったのかい」という歌がありましたが、それぞれの国がたどった歴史は様々で、よくも悪くも「大きな物語」としての歴史は終わり、ひとびともまた「強権」か「自由」かの2つの選択肢のあい路をゲーム化し、迷路をさまよってきたのかも知れません。
人間の長い歴史は強奪と植民化と虐殺をくり返し、記憶と忘却で埋め尽くされているといっても過言ではないでしょう。20世紀に流されたおびただしい血も清められるどころか、アメリカ同時多発テロで始まった21世紀は国家間の紛争に加えて、わたしたち市井のひとびとの憎悪と妬みによって「助け合い、共に幸せになる」切ない願いも遠く甘く浅はかな夢物語になろうとしているのもまた事実なのでしょうか。
こころに深く大地に広く、わたしたちは「国家の犯罪」をとめる言葉を持てるのか
ロシアによるウクライナ侵攻は、100年前に戻るような国家の暴力と侵略を呼び覚ましました。各地の紛争や内乱や飢餓によっておびただしい命が奪われ、富の偏在による貧困を解決しようとする地道な活動をあっさりと踏みにじる…、それはロシアにとどまらず「防衛」という名で他国を攻撃できるさらに強大な武力を持とうとしているわたしたちの国もまた、その存在を大きくしていると思います。
玉本さんの現地取材の話を聞いたり映像を見るたびにいつも思うことは、言葉にも映像にも「嘘」がないということです。どんな時も現地で苦しむこどもや女性と対置し、恣意的な誘導がありません。
今回の取材でも、とても危険な現地にやってきた彼女に爆弾と銃声とともに暮らさざるを得ないひとたちが心を開き、この理不尽な侵略と暴力にさらされる悲しみと憤りを伝えてほしいと訴える姿があります。ウクライナのひとびとの悲鳴が場所も時も越えて直接聴こえてくるのでした。
ロシアに限らず国家はいつも領土を奪い広げることを目指し、それはいわゆる「権威主義国家」も「自由主義国家」もまったく変わりません。わたしたちの国もその例外ではなく、かつて侵略に明け暮れ、それを選ばれた神の国の誇り・誉れとする国家の幻想にとりつかれた歴史がありました。戦後79年のわたしたちの民主主義は、かつての侵略と言う「国家の犯罪」を検証し、反省しないまま経済成長と言うもうひとつの神話に身をゆだね、今また「神の国」にわたしたちを閉じ込めようとしているのではないかと思います。毎年8月15日を迎えるたびに、ほんとうの敗戦の日とは言えないこの日を「終戦の日」と呼びつづけることで、この国の新しい神話が現実になるのではないかと心配になります。
今回の報告会は、「国家の暴力」が同じ時を生きるひとびとのささやかな夢も希望も簡単に蹴散らしてしまうこと、そして遠いウクライナやパレスチナのひとびとが追い込まれている現実は決して他人ごとではなくわたしたちの現実なのだと強く思いました。
アメリカをはじめ日本もその中にいる「自由と民主主義国家」のダブルスタンダードの「正義」、ロシアのウクライナ侵攻は許さず、イスラエルのパレスチナ・ガザの4万人の虐殺は「自衛」だと言い放つ「正義」ではなく、あらゆる「国家」の暴力に気づき、願わくばその暴力に立ち向かうひとびとのひとりになれたらと思います。といって、年老いた対人恐怖症のわたしになにができるのと問われると、おぼつかないのですが…。
「ジャーナリストの核にあるのは、ふつうの人々に対する信頼です。この苦しみを知ればほっておけないはず、この理不尽をしれば怒りを感じるはず、その想いが世の中を変えていく、そう信じるからこそ、彼らは銃弾の飛び交う戦地にも立って報道をつづけているんです。」
(2014年元旦、テレビ朝日「相棒 元日スペシャル ボアー」)