まるで風の又三郎のように 小室等2

地球に歌が生まれたときのような
熱い風が吹く中で
始まりの足音がかけまわる
「はじまりの足音がかけまわる」 及川恒平作詞 小室等作曲

1993年3月12日夜、「はじまりの足音がかけまわる」を一曲目にして、小室等さんは歌い始めました。広いステージにギターひとつで歌う小室さんは、まるでつむじ風にまぎれて忽然と現れ、マンとをひるがえす、あの宮沢賢治の「風の又三郎」のようでした。
小室さんはたしかにぼくたちに向かって歌い、語ってくれているのだけれども、それと同じぐらいに小室さん自身というか、もうひとりの小室さんに語りかけているようにも思いました。そしてぼくたちは、小室さんが歌をつくる現場、小室さんとぼくたち聴く者の心を通りすぎてよみがえる歌たちの誕生の現場に立ち会い、小室さんといっしょに、歌になろうとしている歌をくちずさんでいるのに気づくのです。
それはまた、小室さんの歌が出会いの中から生まれる瞬間を体験することでもあり、障害者のことだけでなく、ぼくたちの時代のいろいろな宿題や、時をこえたにんげんの問題と向き合うことでした。
ほんとうにあったかく、やさしい時間でした。

この年のはじめ、ひとりの青年が新しい旅立ちをしました。
ぼくたちの仲間の障害者作業所「そよかぜの家」をつくるきっかけになったMさんです。

Mさんは1984年12月、当時中学3年生だった彼の進路のことで、中学校の先生といっしょに豊能障害者労働センターに相談に来ました。
普通高校を受験するものの、「知的障害」とよばれる彼に高校が決して門を開かないことは厳然とした現実でした。
中学まで共に学ぶ教育のただ中にいたMさんにとって養護学校という選択肢はありませんでした。Mさんを地域に解き放つために、「彼と彼につづく障害者の進路をいっしょに広げていきましょう」と、ぼくたちは学校の先生、部落解放同盟北芝支部のひとたちといっしょに「そよかぜの家」をつくりました。

Mさんはそれから1年間、友だちが来るのをたったひとりで待っていました。やがて、ひとりふたりと心の荷物をいっぱいかかえた友だちがやってきました。
彼と彼の友だちは信じられないスピードで街の風景にとけていきました。そよ風というよりはつむじ風のように自転車を乗り回し、いくつもの混乱と元気をぼくたちにプレゼントしながら仕事をし、お金の使い方を知り、彼らは大人になっていきました。
そして、この年の1月25日、Mさんは「そよかぜの家」での8年間の思い出を心につめて、箕面市障害者事業団に就職しました。
障害者事業団の身分証明書を誇らしげに見せてくれる彼は、身分証明書という、どちらかというとぼくたちのきらいな紙切れが、時にはとてもステキな宝物になることを教えてくれたのでした。

就職という、だれもが青春の日々の中で経験し、人生の記念日として大切にしているこのことが、障害があるといわれるだけでこばまれてきた多くのひとたちの涙とくやしさと無関係に、彼の旅立ちはありません。
障害者の自立や就職が特別なことではなくなる、そんな時代とそんな街をめざして、ぼくたちは行きたい。
あるひとは車いすで、あるひとは杖で、あるひとは自転車で、あるひとは本を持って、あるひとは走りながら、あるひとは歌いながら、あるひとは三段跳びで、あるひとはよろけながら。
それでもだめなら、這っていこうよ!

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