ジョバンニの冒険・わたしたちの冒険 「みちのくTRY」

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」
「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。
「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」

8月19日から31日まで、岩手の障害者がよびかけ、「みちのくTRY」という催しが開かれます。
「TRY」とは、1986年に始まったバス、鉄道のバリアフリー化を訴える車イスでの野宿旅イベントです。今まで大阪-東京、旭川-札幌、仙台-盛岡、高松-松山、鹿児島-福岡、福岡-東京間など全国を車イスで歩いた歴史があります。またTRYは海を越えてアジア諸国へと発展しました。
今年は「みちのくTRY」として、東日本大震災の犠牲になられた人々への追悼とともに、これからの町の復興に障害者が参加し、障害のあるひともないひとも共に生きる社会の実現を求めて、各地域の行政に町のバリアフリー化や防災計画、福祉サービスへの提言、各地域の市民との交流を図りながら、岩手県の障害者を中心に全国の障害者が被災地を歩きます。
8月19日に宮古を出発し、30日に陸前高田市の「奇跡の一本松」まで歩く150kmの沿岸部は、ほんとうにたくさんの命が失われました。震災後1年半を過ぎた今、いまだに復興の入り口から前に進めない地域とすでに復興へと進み始めた地域、若い人が仮設住宅を出て行き、高齢者が取り残されていくなど、地域的にも個人的にも震災以前に隠されていた問題が震災後、暴力的に現れています。
今回の震災による障害者の死は、人口比率から観て健全者の倍になっています。
これは障害者の安否確認や救援体制が後回しになりやすいことが大きな理由ですが、それよりも以前の問題として、日常的に障害を持つ市民が地域で暮らし、生きていることが具体的に認知されにくく、地域のコミュニティーに障害者が参加することが難しいという現状があります。
東北地方でには昔からすばらしいコミュニティーが各地域に存在していたにもかかわらず、そのコミュニティーがかえって障害者の自立生活を支える公的なサービスを要求することを阻んできた事情もあると思います。
今回の東北の障害者の行動は、障害を持つ市民が決して福祉サービスの対象ではなく、福祉サービスを必要とする市民自身が作り出す福祉サービスの担い手として、さらにはいろいろな個性や事情を持った市民が共に暮らしていける町のあり方を共に考え、作り出す担い手として、復興のプロセスに参加していこうとする、未来へのせつない冒険です。
彼女たち、彼たちの冒険は、第二次世界大戦後67年を経て、戦争で犠牲になった無数のいのち、それ以前も以後も理不尽に命を奪われてしまった無数のたましい、そして今回の震災による無数の無念と、行き先をなくしたまま立ち尽くす無数の、ほんとうに無数の夢に見守られた冒険なのだと思うのです。

宮沢賢治の「銀河鉄鉄道の夜」で、死者だけしか乗ることができない「銀河鉄道」に乗ることができたのは、カムパネルラに対する恋心といっていいジョバンニの友情の深さから来る、一途でせつない少年の思いがあったからでしょう。
1896年、岩手に生まれ宮沢賢治は、誕生当時の大地震と度重なる冷害でたくさんの人たちが食べ物に事欠く悲惨で過酷な現実を見つめて来ました。
みんなが幸せになるために、何が必要なのか、自分に何ができるのか…。彼の一生はその問いに対する答えを求めつづける一生でした。冷害や干ばつに対応できる品種の改良や農作物の多様化、肥料の改良などの農業指導をはじめとしたいくつかの実験や冒険は、彼が病弱であったこともあって、彼自身にとってもまわりのひとびとにとっても残念ながら満足できる成果が得られなかったこともまた事実だと思います。
自然の暴力を制御できない絶望の中にあって、それでもひとは夢を見たり希望を育てたりできるのでしょうか。宮沢賢治はその問いの行方を現実の世界から虚構の世界に求め、時代を越えてわたしたち読者にその答えを託したのだと思います。
宮沢賢治がジョバンニに語らせた「ほんとうのさいわいは一体何だろう」という問いは、その答えを幾通りにも用意しては捨て去る彼の自問自答そのものだったにちがいありません。そして、結局のところその答えを託されたのは他ならぬ、生きているジョバンニ、生き残っているわたしたちなのだと思います。
東日本大震災から1年半を経て障害者たちがひたすら歩く「みちのくTRY」は、「ほんとうのしあわせ」がまだ暗闇の中にあることを知っている死者たちが、ジョバンニとわたしたちに託すせつない夢をひとつひとつ救い上げ、ほんとうのしあわせを設計する「共に生きる社会」を死者たちに約束する「ジョバンニたちの冒険」にほかなりません。
願わくばその冒険が、共に生きる勇気をたがやすすべてのひとの冒険となりますように…。

2012年6月29日 毎日新聞
2012年7月6日 岩手日報

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