再録  「永六輔さん・小室等さんと話そう会 IN 長町」

「永六輔さん・小室等さんと話そう会 IN 長町」
2011.08.27 Sat

8月22日、23日、24日、被災地仙台に行ってきました。
8月23日の夜、わたしがいま短期的に手伝っている被災障害者支援・ゆめ風基金と被災地の障害者センターみやぎとの共催で開かれた永六輔さんと小室等さんのライブのスタッフとして、参加することになったのでした。
以前にも書きましたが、ゆめ風基金は1995年の阪神淡路大震災の時、大阪を中心に全国の障害者団体が参加した「障害者救援本部」の活動をへて、その後の息の長い支援とこれからの災害に備えて基金の呼びかけと災害時の支援ネツトワークとして誕生しました。
永六輔さんはゆめ風基金の呼びかけ人初代代表として10年間、幅広い人脈とラジオ番組、著作、講演などを通じてゆめ風基金のことを伝えて下さった他、多忙な日程をかいくぐるようにゆめ風基金が開くイベントに出演してくださいました。10年の活動をへて、呼びかけ人代表を小室等さんに託されてからも変わりなく、ゆめ風基金をささえてくださっています。
現代表の小室等さんも当初からの呼びかけ人で、永六輔さんと同じくゆめ風基金のライブに出演してくださり、音楽を通して全国各地の障害者の活動を応援し、ゆめ風基金をささえてくださっています。
8月23日のイベントは、6月11日のとっておきの音楽祭に小室等さんがゲスト出演され、その後に被災障害者センターみやぎに来て下さって仙台の障害者と交流されたことから、永六輔さんを誘ってくださったのでした。

お二人が来て下さることになり、さて会場は?となった時、被災地障害者センターみやぎのひとびとは近所に建てられた仮設住宅の広場にしようと思いました。それはこの町の市民としてあたりまえに暮らすことから遠ざけられてきた障害者が、それでも町を愛し、困難を共に分かち合い、共に生きていこうとする決意のあらわれでもありました。そこには仮設住宅で仮住まいをする被災市民のひとりひとりの心の傷に寄り添い、たった2時間のイベントの間、少しでも心をひとやすみしてほしいと願う彼女たち、彼たちの切ない願いがこめられていたのでした。
130ほどある仮設住宅の一軒一軒を訪ね、障害者を中心とする支援活動をつづけながらこの催しがあることを伝えると、「楽しみにしている」という言葉が返ってきたそうです。その声は心のとても深いところから聞こえてきて、仮設住宅のひとびとがこの催しに切実な期待を持ってくださっていることに、心強く思ったといいます。

わたしたちは前日から現地に行ったのですがあいにくの雨で、天気予報は23日も終日雨の予報でした。それでも時々雨がやむ時が比較的長く続くと、「明日もこれぐらいならなんとかなるんだけれど」と、祈るように曇天を見上げました。
会場の仮設住宅の広場は砂利が敷き詰められ、車イスを利用されている方には動きづらく、また仮設住宅には杖をついたりカートを押して歩く高齢の方が目立ち、これじゃ危ないなと思いました。
これまでゆめ風基金のイベントで雨が降ったこともありましたが、今回だけは集会室では60人がやっとだし、またイベントの途中で雨が降ってきたらどうしようと、とても心配でした。被災障害者みやぎのスタッフが打ち合わせの度に「雨は降りません」と言いつづけていましたが、その時点ではほぼ絶望的に天気予報は雨、何の根拠もないような彼の言葉に何の根拠もなくその言葉を信じることにしました。

そして当日、雨は時々止むもののほぼ降り続けでした。今度ばかりはもうだめかと思った時、天気予報の降水確率が夜になるほど低くなりました。午後になると雨も止み、空も少し明るくなってきました。これはなんとかなりそうと、根拠のない確信が根拠のある確信になっていきました。
夕方4時、永六輔さん、小室等さん、小室ゆいさん、そして永さんのお孫さんが現地に到着しました。「天気が心配なんですが」とわたしが言うと、小室さんは言いました。「だいじょうぶ、ぼくは晴れ男だから」。
そして、5時半ちょうど、ライブが始まりました。
つづく

誰かが風の中で 16月5日、仙台市とっておきの音楽祭

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