再録 小室等さんがゆめ風基金の事務所にやって来る!3
小室等さんがゆめ風基金の事務所にやって来る!3
2015年4月19日
ライブの後の懇親会にはほとんどの人が残ってくださいました。いつものライブなら時間がほとんどなく、小室さんたちにゆっくりしてもらえないのですが、この日は夕方5時半に終了したことと、小室さんたちが新大阪のホテルに泊まられるということで、幸運にも時間が結構ありました。
今回この催しにお声かけさせていただいたのはいつもゆめ風のイベントの時に手伝ってもらっていて、いつのイベントでもゆっくり小室さんの音楽を楽しむことができにくい方々でした。
急にこのライブが決まったことや、手狭な事務所が会場と言うこともあり、お誘いできなかった方々にはほんとうに申しわけなく思っています。
ささやかな食べ物と飲み物を用意し、乾杯をした後、こんな機会はあまりないということでおひとりずつ自己紹介をしてもらうことになりました。わたしは自己紹介が大の苦手で、名前を言っただけで次の方にお願いしました。
8月16日のコンサートの前に、昼間にイベントを企画している人の顔合わせもできました。働くひとの金融機関「ろうきん」の方の自己紹介では、NPO法人にも格安の金利で借りやすい融資「ゆめのたね」をゆめ風基金のろうきんへの定期預金を原資として連携していることや、東日本大震災の年に復興支援の定期預金「サポートV」をつくり、預金者とろうきんが共同で、定期預金残高の0.10%~0.30%を10年間にわたって寄付し、向こう10年間に毎年約1000万円の基金が生み出されることなどが紹介されました。
また、遠くは埼玉から、こむろゆいさんから情報を知り、駆けつけてくださった方、大阪の障害者団体の方などが、ゆめ風基金への思いを語ってくださいました。
その中でもうれしかったのは、地域の自治会のみなさんが7人もきてくださり、懇親会にも残ってくださったことです。ゆめ風基金は障害者団体のネットワークは全国にありますが、もっとも大事な地域とのつながりという面ではなかなかうまくいかなかったのですが、2013年に地域の自治会から相談があり、自治会主催の防災の取り組みとして3月に映画「逃げ遅れる人々」の上映会をゆめ風基金も共催させていただくことになりました。
それをきっかけにして、ゆめ風基金の障害者スタッフNさんの努力で地域や地域の学校の防災ワークショップや講演などを引き受けるようになり、とても親しい関係を築くことができたのでした。そのことを地域の方々がとても喜んでおられて、これからも連携して活動して行きたいと語られました。もちろん、8月16日のコンサートには連れだって来てくださることになりました。
楽しい時間はあっと言う間に過ぎ、小室さんたちもお疲れと思い、8時ごろでしたでしょうか、ホテルにお送りしました。その後、跡形付けを済まし、有志何人かで近くの居酒屋さんで飲んでいたところ、なんと小室等さんからゆめ風基金の事務局長のKさんに電話が入り、「いまどこにいるの?ぼくたちもそこに行く」と言われ、「ほんまかいな」と言っている間になんとなんとほんとうに来ちゃったのでした。
わたしたちはびっくりするやらうれしいやらで盛り上がり、いま思えばあんな音楽のカリスマに対して失礼なことをたくさん言ってしまったんじゃないかと心配しています。
この日の小室さんは居酒屋でも焼酎を2杯は飲んでおられたようですが、とても元気でお話もたくさんしてくださいました。ゆいさんともども、ゆめ風基金の事務所に来られたのは初めてで、今回、こういう機会を持てて事務所に来ていただけたことは、ほんとうによかったと思います。
わたしは結構お酒を飲んでしまい、ついつい前から望んでいたことを言ってしまいました。それは唐十郎が作詞し、小室さんが作曲された状況劇場初期の数々の名作の中でも、「さすらいの唄」などは今の小室さんのライブのリストに入れてもおかしくないのではないかとお話ししたところ、なんとアカペラで歌ってくださいました。唐十郎の扇動的な声と違い、小室さんが歌うととてもロマンチックな歌に感じました。
「ほほえむちから」については、小室さんとお話ししながらあらためて障害者の芸術表現と日経済的な自立についてあらためて考えました。
わたしは日本社会ではジャンルを問わずそのひとの芸術的表現が優れていて、また数多くのファンがいる芸術家であっても、芸術表現を「仕事」としてその表現者の生活が経済的に成り立つような仕組みがなさすぎると思っていました。ましてや障害者の場合、施設や養護学校(現在は特別支援学校)における障害者のさまざまな表現行為は「アウトサイダー芸術」として国際的にも評価の高いのは事実ですが、そのことで彼女たち彼たちの施設での暮らしが変わるわけではなく、自立生活へとつながっていかないことに疑問を持っていました。結局のところ障害者の経済的な自立を保障するためにはその人個人の才能や「能力」に依存しない社会的な制度が必要なのだと思っていたのでした。
その考え方は今でも間違いではないとは思っているのですが、一方でそれでは私が長年活動してきた障害者事業所で障害者の所得が保障されてきたのかと思うと、それもまた情けないけれど充分には目的を達成できていないのもまた事実です。
日本に限らず近代は「働かなければ暮らしていけない」社会を現代にまで引き継いできました。しかしながら、人間は近代以前より「労働」に縛られない暮らしをしてきたところもあります。たとえばアジアではすべからく金持ちは貧しいひとに施しをすることが義務付けられている村社会が存在していたと聞きますし、村々で障害者に施しの食べ物を用意し、村のはずれのお堂などで眠る布団などを用意するなど共に生き、助け合うルールがあったとも聞きます。
「ほほえむちから」は糸賀一雄生誕100年を記念してつくられた谷川俊太郎作詞・小室等作曲による歌で、「糸賀一雄記念賞第十三回音楽祭」の最後に歌われました。「糸賀一雄記念賞第十三回音楽祭」は糸賀一雄記念財団が障害福祉分野で顕著な活躍をされている方に「糸賀一雄記念賞」と「糸賀一雄記念しが未来賞」を贈るのに合わせて毎年開かれている音楽祭で、障害者をはじめ、音楽やダンスが大好きな人たちが集い、人が根源的に持つ「表現することの喜び」をともにわかちあうお祭りです。
プロのナビゲーターを迎えて滋賀県内の7つのワークショップグループと、さきらホールで活動する「さきらジュニアオーケストラ」と高齢者のワークショップグループ「今を生きる」が出演し、ゲストミュージシャンとしてピアノの谷川賢作さん、パーカッションの高良久美子さん、バリトンサックスの吉田隆一さんが溶け込むように参加し、小室等さんが総合プロデュースを担当されていました。
わたしはゆめ風基金の障害者スタッフのFさんと手伝いがてらこの音楽祭に観客として参加しました。開演の前から総勢数十人の障害者たちが思い思いに大小さまざまな太鼓をたたいていました。それぞれが自分勝手にばらばらにたたいているように思えるのですが、しばらくたつとそのばらばらの音の連なりの彼方から、ある意志を持った音の連なりが会場の空気を振動させ、わたしたち観客はフリージャズそのままに自由の風につつまれました。
その至福の音とリズムは、わたしたちが日ごろある種の緊張感を共有することで成立している表現行為とはまったく真逆で、どこまでも自由でリラックスした人間関係からしか生まれないものなのでしょう。それは人類が誕生して以来、「おーい」と叫び、「わたしはここにいる」と伝えることから発明した言葉や楽器による原初的な表現そのものであることも…。そして、わたしたち人間はつながりを求めて言葉を発し、楽器を奏で、歌を歌うことをやめることができないことを、人間は武器を持つこともできるけれど、楽器を持ち、歌い踊ることもできることを彼女たち彼たちが教えてくれました。
ステージ狭しと繰り広げられる合唱やダンスや打楽器や太鼓など、どのグループもその自由な表現はナビゲーターのプロの演奏家が「指導する」のではなく、彼女たち彼たちの表現行為の現場に立ち会い、その根源的な表現行為に感動し、そこからまだ見ぬ彼方へと手を携えながら進む音楽的冒険を彼女たち彼たちと共に体験しなければ実現しなかったのではないかと思います。
それは総合プロデュースを担当された小室等さんにとってもまったく同じで、小室さんが真っ先に彼女たち彼たちの表現に圧倒され、感動され、ご自身の音楽的よりも底の深い表現行為なのではないかと自問自答されたのではないでしょうか。
そして、200人を越えたかも知れない出演された障害者を取り巻く現実は40年前とあまりかわらないのではないかと思いながらも、「表現すること」への希求や生きがいはそれぞれの人生においてかけがえのないものであることもまた真実なのだと思います。
それぞれの夢も希望も現実もちがうけれど、同じ空気を吸い、同じ時を生きたことを宝物とするこの音楽祭の意義もまた深く、ゆたかなものであることはまちがいありません。
フィナーレで登場した小室等さん、こむろゆいさんも加わり、出演者全員と共に「ほほえむちから」を歌っていると、自然に涙が出てきました。ひとはパンのみでは生きられず、自分が自分であるために表現することをやめられず、表現し合うことで解き放たれる精神をだれも抑止できないことと、それは世界の平和へとつながる唯一といっていい道で、音楽はそのためにこそあることを「ほほえむちから」は教えてくれたのでした。
昨年、ゆめ風基金のFさんと参加した「糸賀一雄記念賞第十三回音楽祭」のことを思い出しながらそんなことをお話しできた時間は稀有の時間だったのだと思います。
小室等さん、こむろゆいさん、ほんとうにありがとうございました。わたしは能勢の家には帰れませんでしたが、いただいたこの貴重な時間にいっぱい話ができたことを、決して忘れません。