ツィゴイネルワイゼンは今につながる世界の哀しい未完の夢
クラシックのユニット「ピクシーズ」が参加した里山能勢のコンサート
ほんとうはもっと早くに書くつもりでしたが、今になってしまいました。
7月24日、能勢町のCafe&Gallery・ やまぼうしと農家Cafe・門家の共同主催による「やまぼうし門家コンサートⅢ」が開催されました。
このコンサートは、里山能勢で地域に根づいた文化を住民自ら創造・継続することを願い、音楽演奏の場を提供してきたやまぼうしさんと、落語会を開いてきた門家さんが共同主催されているもので、11月4日には落語会が開かれます。
このコンサートに毎年出演している「ピクシーズ」は、わたしが実行委員のひとりだった「ピースマーケットのせ」に参加してくれたクラシックのユニットです。
そもそもはわたしの住む自治会で月に一度みんなで歌う会を開いてくれていたひとたちで、その縁で彼女たちのコンサートによく行かせてもらっています。ピアノのお母さんとヴァイオリンの娘さん、声楽家の片山映子さんの3人で、娘さんがまだ学生だった頃から彼女のブァイオリンを聴いていて、瑞々しさは天性のものだと思うのですが、演奏家として成長されてきたプロセスに立ち会えることをうれしく思います。
片山映子さんは各地で活躍されている声楽家で、少し硬質のソプラノなのに全くキンキンとした感じでなく、歌声ひとつでわたしたちを音楽の泉にいざなってくれます。そして、ピアニストのお母さんは自分の芸術性を心の奥底に押し込めて、このユニットのプロデュースと作詞作曲に専念されているスゴイひとですが、娘さんにはとてもきびしいといつも感じます。
そんな彼女が娘さんに与えた今回のハードルは、あの「ツィゴイネルワイゼン」でした。親子である前に音楽家として娘さんの秘めている才能を導き、片山映子さんも後押しする…。そんな姿勢がこのユニットの演奏に現れて、とても感動しました。
娘さんのヴァイオリンがこの曲を弾き切ったのかはそんなに詳しくないわたしにはわかりませんが、まだまだ伸びしろのある若い演奏家の彼女が年を重ね、いつか爛熟さと大衆性、切なさと哀しみを掬い上げるようにこの曲を演奏する予感を感じさせ、その日には何を押してももう一度聴きに行こうと思わせる切迫感がありました。
映画「ツィゴイネルワイゼン」は、怪しく美しく時代の洞窟から現れる
わたしはこの演奏を聴きながら若い時に観た映画、鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」を思い出しました。つい最近、4Kデジタル完全修復版が公開されて、観に行こうと思っていたのですが、ここ1年ばかり夫婦ともども病院めぐりが続き、映画を観る時間も心の余裕もない毎日で、とうとう見逃してしまいました。
1980年に公開された映画『ツィゴイネルワイゼン』は、ベルリン国際映画祭審査員特別賞を始め、日本アカデミー賞最優秀作品賞、キネマ旬報ベストテン日本映画部門の第1位など、国内外の映画賞を席巻しました。意味不明な映画をつくると日活を解雇され、不遇の時を過ごしていた映画界の奇才・鈴木清純が完全復活を果たした映画でもあります。プロデューサーの荒戸源次郎が、東京タワーの下にドーム型移動映画館を設置して上映したことも前代未聞でした。出演は原田芳雄、大谷直子、藤田敏八、大楠道代、麿赤兒と言った荘壮たるメンバーで、その後も鈴木清純は「陽炎座」、「夢二」とつづき、「大正ロマン3部作」のひとつとなっています。
この時期にブームになった鈴木清純映画に触れようと公開された年に観に行ったわたしは、そのあらすじをほとんど覚えていません。ただ、ずっと心に残っているのは、はかなくて瑞々しい大楠道代の尋常ではない、いわば死のエロス。その中でも原田芳雄演ずる遊び人の中砂と身体を合わせると蕁麻疹が消え、腐りかけの水蜜桃を食べるところは性が生と死を契るぞくっとする殺し合いなのかも知れないと思ったものでした。生のエロスとしての色気に満ち溢れた大谷直子と対照的でした。
生と死が逆転し、死んだ者がよみがえるのではなくいわば幽霊のまま、生の世界をあやつり、現世と冥界が溶け合う怪奇映画、美しく退廃的、耽美的な映像と色彩…。この映画もまた、簡単に芸術で語られてはいけない、「映画でなければならなかった映画」なのだと思います。
ワイマール共和国がナチスを生み出したように、大正デモクラシーが招いた戦争の時代
わたしはあらためて、この映画の時代背景が昭和初期で、大正デモクラシー自身が招いたのかも知れない戦争の時代へと突き進む入口であったことを感じずにはいられません。
明治時代の藩閥政治から政党政治へと変わっていくプロセスは、同時に産業振興による日本の資本主義経済が無数の労働者を生み出すプロセスと重なっています。
一方で皇族、華族、士族など、身分制度の下での上流階級と平民・国民との貧富の差が甚だしく、この映画に登場するひとたちの一人は士官学校の教官、もう一人は働かないでもいい経済的な身分で、女性たちも上流階級夫人としての専業主婦でした。
身分階級が厳格なイギリスがそうであったように彼女彼らは今ある財産や相続遺産をいかに管理し、その中でより豊さを求めるような階級で、文化的にも性的にも自由奔放な暮らしはそんな身分制度の下で成り立っていたのだと思うのです。その周りには貧困にあえぐ数多くの人たちがいたのではないでしょうか。こんなことがいつまでもつづくはずがないと思う一方で、今また経済的格差や分断が行き先を薄暗くしている現在の政治的状況から見ると、そんな一部の豊かな階級なるものが紆余曲折を経て連綿と続いているようにも思います。
ロシアのウクライナ侵略やイスラエルのパレスチナ侵略はもとより、「国家」はいつも侵略によって他者の土地を奪い、植民地化し、領土を拡大することを競い合い、日本もまた明治から昭和へと領土を拡大することをめざして政治経済を動かしてきたと言えます。
大正デモクラシーと後に称され、男性に限って平民も投票できる選挙制度もできた一方で、日露戦争による戦費を負担してきたにも関わらず領土の拡大ができなかったことや、第一次世界大戦を契機とする産業発展が上流階級や中間層しか潤わさないことに国民の不満が高まる中、領土の拡大をめざす軍部への国民の期待が、昭和恐慌を経て侵略戦争への道へと突き進んでしまったともいえます。そして、領土の拡大が朝鮮人や中国人の暮らしといのちを奪ったことに想いを馳せることがないまま、戦後生まれのわたしたちも戦後民主主義という儚い夢にまどろんできたのではないかと、心が寒くなります。
およそ100年前に逆戻りするような世界と共に、わたしたちの国もいつのまにか戦争のできる国になっている現実を前にして、ほんとうに戦後民主主義は「儚い夢」としてかき消されていいのかと思うのです。
歴史の真実は周辺から伝わることを教えてくれた「ツィゴイネルワイゼン」
1900年代の「世界が変わる夢」が儚くかき消された後、暗黒の時代を潜り抜け、その「儚い夢」を確かな現実にするためにたたかった先人たちの「未完の夢」、その中に戦後民主主義もあったのではないでしょうか…。
「未完の夢」のはるか手前の地平で多くの血と屍と沈黙と悲鳴と流れ続けた涙、それこそが1878年に生まれたヴァイオリン協奏曲「ツィゴイネルワイゼン」が100年を越えてわたしたちの時代によみがえる音楽である理由なのだと思います。その悲劇的で哀しく美しい旋律とともに、生き急ぐ人々の心をかきむしるようなヴァイオリンの泣き叫ぶ音色は、まるでいくもの時代の無数の心が残したかき傷のように聴こえます。
今世界各地で増え続ける難民たちの苦難とつながるはるか昔、定住国家が誕生する以前の移動民族とは違った背景から生まれた、かつてジブシーと呼ばれたひとたち、ヨーロッパの長い歴史の周辺で彷徨うひとたちと共に、「ツィゴイネルワイゼン」は今につながる世界の哀しい「未完の夢」なのではないかと思います。
Sarasate plays Sarasate/Zigeunerweisn ツィゴイネルワイゼン(サラサーテ)自作自演 1904