シュルレアリスム、激烈に人間解放の夢を信じた青春そのもの

大阪中之島美術館「拡大するシュルレアリスム」展 3月8日まで

 1月11日、大阪中之島美術館で開催されている「拡大するシュルレアリスム」展に行きました。「視覚芸術から広告、ファッション、インテリアへ」とサブタイトルがついたこの展覧会は、表現の媒体が詩、文学からオブジエ、写真、絵画、広告、ファッション、建築インテリア、舞台芸術など、多様に拡大していったシュルレアリスムが芸術運動の枠から飛び出し、政治運動までをも包み込むムーブメントであったことをかなり丁寧に展開されていました。
 この日はこの冬いちばんの冷え込みで、特に風が強く、時に突風にまでなり、とても寒い日でした。わたしは一度この美術館に来たことがあるにも関わらず、またわたしが高校を出てすぐに就職した建築事務所のすぐ近くであるにも関わらず、妻と2人で道に迷いながらようやくたどり着いたというありさまで、いまさらながらわたしの方向音痴に自分であきれてしまいました。
 それでもなんとか無事にたどり着き、あまりの体の冷え込みと遅い昼食をとるために美術館内のレストランに入りました。このレストランは雰囲気もスタッフの接客もとても良く、食べたパスタもデザートもおいしくて、また体の冷えもまだ残っていましたので少し長居してしまいました。
 それからようやく、展示会場に入ったのですが、思いのほか若い人が多く、音楽ライブや演劇とはまたちがったアートの魅力をさまざまな美術館が掘り下げ、若いアーティストの活躍もあって、ブームに近いのかなと感じました。ほんのたまにでもこうして街の美術館に入るのもいいなと思いました。
 もっともマグリットやダリ、ミロなどシュルレアリスム絵画のさまざまな冒険的手法は100年たった今では当たり前のように広告やテレビで採用されていて、「シュール」という言葉も大衆化しています。シュルレアリスムとはなにか?という問いを発するまでもなくなってしまった感があり、その意味ではこの展覧会の企画も内容も奥深く、シュルレアリスムの全貌が垣間見えるだけでなく、シュルレアリスム運動に身を投じたアーティストたちの出会いと論争、そして別れ…、今でも受け継がれる時代の記録が紹介されていてとても意義があると感じました。

わたしもまた嚝野の子だ

 何度か書いてきましたがわたしは高校で美術部に入り、絵をほとんど描かないまま友だちと議論を交わす毎日を過ごしました。中学3年生の時、ずっと悩まされてきた「どもり」が再発し、高校の3年間はいつも心を固く閉じたまま学校に行くのも嫌でした。そんな3年間でただひとつ、放課後に美術の部室に行くのだけが心の支えでした。そこでわたしは生涯の友といえる友人を得ました。残念ながら若くしてなくなってしまった友もいますが、美術の関係で知りえた友人とは今も付き合っています。その中に、私の妻もいます。
 そのころのわたしたちの愛読書は「美術手帳」で、ウォーホール、ジャスパー・ジョーンズなどポップアートやネオダダイズムの紹介記事や絵を回し読みしていました。紙面から零れ落ちるきらきらした情報に心を震わせている間は、みじめな現実やどもることへのコンプレックスも忘れることができました。そして、60年代の現代美術をけん引する人たちがリスペクトしていたのが1920年代を中心にしたダダイズムとシュルレアリスムでした。
 無数の犠牲者を出した第一次世界大戦でヨーロッパ社会が大きくゆらぐ中、戦争の無意味さや社会の体制に対する反発からダダイズムが生まれ、秩序や意味を壊す破壊的な表現を通じて社会の矛盾を批判しました。シュルレアリスムはダダイズムとほぼ同時に、無意識や夢をよりどころにしたフロイトの精神分析の影響を受けながら、理性や合理主義への懐疑から社会の不安や暴力によって分断された社会の再構築をめざす芸術運動として始まりました。その運動は文学からオブジェ、絵画、演劇などすそのを広げながらすぐさま社会の根本的な矛盾を取り除く直接的な政治活動へと発展しました。1917年のロシア革命がもたらしたヨーロッパの衝撃もあり、運動をけん引したアンドレ・ブルトンなどが共産主義運動に参加していきます。

そのときわたしは突然信じた、一粒の涙が革命に至ることを

 ブルトンというひとはたくさんのシュルレアリストと出会いましたが、一方でたくさんのシュルレアリストとたもとを分かちました。その中には運動の最初からの盟友たちも数多く含まれ、彼の人間性が言及されることもあるようです。しかしながら、ブルトンは戦争や社会の矛盾によって傷ついた心を解放しようとフロイトの精神分析を学んだように、階級や貧富、飢えや差別など社会の構造的な矛盾から解放されない限り、人間の解放はないと確信し、その解決のためにマルクス主義を学び、それを実行しようとしたのでした。
 けれども、レーニンからスターリンへと共産主義の夢とはかけ離れ、権力によって身体も心も拘束し、自由をうばってしまう国家社会主義はその後ろからやってきたファシズムと変わらず、人間の解放をめざすシュルレアリスムを捨てて「共産主義者」になることを強要し、表現の自由を弾圧しました。その中で共産主義者へと転向したひとたちがいました。一方それゆえに政治活動には参加せず、自分たちだけの自由奔放な行動に走る人たちもいました。ブルトンはそのどちらの人たちとも別れざるをえなかったのだと思います。

 1947年生まれのわたしにとって60年代から70年代はリアルな青春の時代でしたが、世界中で戦争や紛争などの理不尽な暴力で無数の人々のいのちが奪われ、子どもの時に信じていた戦後民主主義も自由も愛も正義も行方も知れず、世の中が悪い方向へと突き進んでいるように思う今、シュルレアリスムの運動が芸術活動を越えて1920年代という時代と格闘していたのだと実感するようになりました。
 シュルレアリスム…、それは圧倒的に時代と人々の要請をうけて、激烈に人間解放の夢を無制限に信じた青春そのものだったのでしょう。残念ながら彼女彼らが生きた時代から100年の間に、世界もわたしたちの社会も絶望的な現実の中にいます。
 しかしながら、だからこそシュルリアリスムが切望した「ほんとうの現実」は今も路石をはがせば幾世紀もつながり流れる涙となって湧き出るにちがいありません。

わたしもまた嚝野の子だ。この嚝野はしばしばわたしの胸をひき裂きました。だが、わたしはそれがわたしの心のうちに養う鬼火の光を愛します。この光がわたしのもとにとどいているかぎり、わたしはその光を伝えるためにできるかぎりのことをしました。その光はいまだ消えてはいないと考えることに、わたしはわたしの誇りを賭けます。自分で考えてみて、ここに人類の冒険を裏切らなかったわたしの幸運のすべてがあったのだと思います。
(アンドレ・ブルトン アンドレ・パリノーとの対話 1952年ラジオ・フランス)

「拡大するシュルレアリスム」展は3月8日まで開催されています。