島津亜矢「ジョニィへの伝言」

島津亜矢の「SINGER2」が発売されて早や一年がたちました。わたしはいまだにこのアルバムのとりこになっていて、この1年の間、ほんとうによく聴いてきました。このブログでもすでにいくつかの記事を書いてきましたが、今回は「ジョニィへの伝言」について書いてみようと思います。
阿久悠作詞・都倉俊一作曲の「ジョニィへの伝言」は、1973年に発表されたペドロ&カプリシャスの4番目のシングルで代表曲のひとつです。ペドロ&カプリシャスのボーカルが初代の前野曜子から高橋まり(現:高橋真梨子)に変わってすぐの曲で、作詞した阿久悠はなかにし礼(日本語詞担当)が提供し、大ヒットさせた「別れの朝」に負けられないと、新しさを感じさせる作品にと工夫したとされます。このあたりの負けず嫌いと時代を歌で揺るがせたいという野心がいかにも放送作家という一面を持つ阿久悠らしいと思います。
しかしながらそれだけではなく、阿久悠は当時の歌謡曲では「待つ女」や「捨てられる女」や「耐える女」が歌われ、「女を捨て、去って行くのはいつも男」とされた時代に、自分の人生を自分で歩きはじめようとする女性を描きたかったのではないでしょうか。
女性の生き方を描いた名曲に1969年の佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」があります。政治的にも文化的にも激動の69年だからこそとも言えますが、「あのときあなたとくちづけをして、あのときあの子とわかれたわたし、つめたい女だとひとはいうけれど、いいじゃないのと幸せならば」と歌う岩谷時子作詞、いずみたく作曲のこの歌に描かれる女性像は、当時の男社会に少なからず波紋を呼んだことをおぼえています。
実際には恋も結婚もひとそれぞれで、すでにこの時代には多様な形があったはずですが、一方で国が「期待される人間像」と言い、社会が高度経済成長のもとに戦争中の「男は戦地へ、女は銃後の守り」を衣替えしたような「男は働き、女は家を守る」ことを強く求めた時代でした。
時代の空気感に貪欲でありつづけた阿久悠は、「いいじゃないの幸せならば」と言い切る女性に共感しながらも、時代がまだ寛容ではないことも知っていて、時代のマジョリテイに対決するよりもマジョリティの中のマイノリティを「ジョニィへの伝言」というしゃれた歌にして、すこしだけ世の中を揺り動かそうと試みたのだと思います。この歌に限らず阿久悠はいつも時代を適格にとらえながらも、その裸の姿をそのままひとびとに見せつけるのではなく、その中で人びとが持つ切ない夢や願いによって時代が変わって行くことをめざした彼なりの「人生の応援歌」をつくりつづけた人でした。

さて、「SINGER2」では、70年代から80年代を中心とするヒット曲や名曲をカバーしているアルバムですが、収録されているどの歌も島津亜矢の歌の解釈がひときわ光り、とてもスリリングで刺激的な歌になっています。わたしは島津亜矢の場合、すでに15年も前に歌手としては大成していて、ここ数年は歌の解釈においてずばぬけた進化をとげ、それが彼女を演歌やJポップスというようなジャンルを越えた「日本の歌手」へと押し上げているいちばんの理由だと思っています。
演歌の場合はたとえば「函館山から」などは例外としてなかなかその変化がわかりづらい所があるのですが、このアルバムに収録されているポップスにおいては、たとえば「かもめはかもめ」や「わかってください」などのデリケートな心情表現、あるいは「シルエット・ロマンス」や「スイートメモリーズ」などの陰影のある表現など、Jポップスの歌手でさえも到達できるひとが少ない高みにまで歌い上げています。
その中でカバー曲といえば島津亜矢も例外ではなくどうしても名曲といわれるバラードが多いのですが、「ジョニィへの伝言」は少し違う解釈のようで、テンポの良い軽い歌になっています。もちろん、この歌をより原曲に近く「愛のメモリー」のような歌い方もできたはずなのですが、ここではあえて細かいテクニックを使わず、歌い流すような軽快な歌にしています。
原曲では心の奥の未練をたちきり、街を出ていく女性の複雑な心情を映画のラストシーンのように歌われているので、最初は島津亜矢の歌に少し物足りなさを感じていました。しかしながら実はそんな切ない感情をすくい上げた上で、行きつけのバーらしき店のカウンター越しに2時間待ったとマスターに伝言し、「わたしは大丈夫」と伝えてくれと言い残して席を立つ女性は、阿久悠がこの歌で願いをこめて描いて見せた女性の時代からすでに30年がすぎ、もう少し女性の自立が現実のものとなった現在を生きる女性なのだと思います。
それでもシングルマザーへの制度の不備や偏見、男女の収入格差、さらには非正規雇用の問題が女性の雇用拡大によって隠されている問題、最近大きな問題となっている無戸籍の子どもの問題など、現在も多くの課題を抱えていることはもちろんのことですが、それでもこの30年で女性の立ち位置はやはり変わったのではないでしょうか。
そんなことを感じながら島津亜矢の「ジョニィへの伝言」を聴くと、まさに今を生きる女性たちがこれからの30年に向かって旅立とうとする静かな決意の歌のようにも思えてくるのです。
時代にアンテナを張り巡らせていた阿久悠のことですから、わたしは「ジョニーへの伝言」が、1969年に浅川マキが「夜が明けたら一番早い汽車に乗るから、切符を用意してちょうだい、私のために一枚でいいからさ、今夜でこの街とはさよならね、わりといい街だったけどね」と歌った「夜があけたら」にひそやかな影響を受けたのではないかと想像します。
そして、浅川マキもまた自分を世に送り出した寺山修司を通してかはわからないのですが、「どっかへ走っていく汽車の、七十五セントぶんの切符をくだせい、ね、どっかへ走っていく汽車の七十五セントぶんの切符をくだせいってんだ、どこへいくかなんて知っちゃあいねえ、ただもう、こっからはなれてくんだ。」とつづったラングストン・ヒューズの「七十五セントのブルース」に影響を受けたと想像できます。
ラングストン・ヒューズの「七十五セントのブルース」が黒人差別の街からの脱出を歌い、浅川マキが自分を縛っている街からの脱出を歌い、阿久悠が男と暮らした街からの脱出を歌にして島津亜矢が今歌う時、歌が時代の暗闇から生まれ、時も場所もかけ離れても歌い継がれ、ひとびとの人生を励まし、またその一部始終を壮大なドラマのようにそれぞれの時代のスクリーンに映し続ける、「ひとびとのひとびとによるもうひとつの歴史」となりうることを教えてくれたのでした。

高橋真梨子【ジョニーへの伝言】 1993 カーネギーホール in NY

浅川マキ「夜が明けたら」 

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