いっしょうけんめいの、ラブソング

夏の朝、蝉があんなに鳴いている
赤ん坊が小さな手でまるごと
世界をつかもうとするかのように
死者たちが世界の終わりを
伝えようとするかのように
ひと夏に新しいいのちを生むと死んでいく
ぼくたちがうまれるずっと前から、蝉は
さけぶことでいのちをつないできたのだ
それを、愛と呼んでいいと思う

核兵器禁止条約を批准することから始めなければ、被爆者の80年は報われない

 8月6日広島に、8月9日長崎に、原子爆弾が投下されて80年、今でもアメリカ国民の少なからずの人々が原子爆弾の投下は日本の降伏を急がせ、多くのアメリカ兵と日本人のいのちを救ったと思っているそうです。それまでに日本は何度も降伏する機会があったにもかかわらず国民のいのちよりも国体を守ることにこだわりつづけ、おおくの国民のいのちを奪ってしまいました。領土を広げる侵略によって経済成長を続けようとする国家は他国の領土だけでなく、他国のひとびとのいのちを奪い、労働力を奪い、文化を奪った末に、自国の国民のいのちまでも奪います。
 広島と長崎に落とされた原爆も、戦後の覇権もからんだアメリカの政治的軍事的事情と科学への野望でなんのためらいもなく落とされ、アメリカのひとびとが「それは正しかった」と思うように、わたしたちの国もかつて大東亜共栄圏の国家幻想に酔いしれて無数の血を流したことへの謝罪と後悔のないまま今に至っています。戦後生まれのわたしたちもまた経済成長のもとで他国のひとびとを苦しめて来なかったとは言えません。
 広島、長崎の被爆者たちの世代を渡る必死の闘いは、想像を絶する無数の死と原爆症との闘いにとどまらず、決してつくることも使うこともしてはいけなかった核兵器廃止に込められた「繰り返さない勇気」を類としてのすべての人間に訴え、悲惨の果てに未来のこどもたちに届ける切実なメッセージだと思います。そこには核兵器はだめで核の平和利用は許されるはずがなく、そもそも根源にある経済成長の誘惑から解放され、助け合いの勇気を育てるくらしと社会と世界と地球をこそ、未来からの記憶として届けることだったはずです。

野に咲く花の名前は知らない だけど 野に咲く花が好き

 平和記念公園の石碑にある「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という言葉は、奪われた無数のいのちたちへの誓いにとどまらず、「全人類」としてのわたしたちひとりひとりの誓いであるからこそ、そしてその先頭に立ちつらい被爆体験を証言しつづける被爆者の祈りであるからこそ世界中の人々が被爆地を訪れるのだと思います。
 世界で唯一の被爆国でありながらアメリカの「核の傘」に依存し、核兵器禁止条約に反対する矛盾は、国家が戦争に加担することを許してしまう矛盾でもあります。武力による抑止に頼り、すでに戦争の準備をととのえてしまった武力行使の誘惑から逃れられなくなってしまったわたしたちの国も世界もとても危うい日々を綱渡りしています。
 他国の人々のいのちを奪い、自国の国民さえ犠牲にする国家の暴力を自他ともに絶対に許さないという決意と行動のみが、80年の被爆者の訴えを受け止め、世界に訴える平和国家への道だと信じてやみません。