さあ、起きなさい。そろそろほんとうに生きる時が来た

沖縄からもう一度生きなおし、生き抜く勇気を持てと駆り立てられる映画「宝島」
「自分たちには、武器を使う権利がある」
「殺されたら殺し返すのか?」
映画「宝島」を観ました。
映画「るろうの剣心」やNHK大河ドラマ「竜馬伝」、連続テレビ小説「ちゅらさん」などで知られる大友啓史監督作品のこの映画は、1952年から1970年まで沖縄がアメリカ占領下にあった時代、理不尽な暴力に晒されながら生きざるをえなかった沖縄の戦後史を綴ったもので直木賞を受賞した真藤順丈の小説「宝島」を映画化したものです。妻夫木聡、広瀬すず、窪田正孝、永山瑛太ら豪華なキャストやスタッフ、この映画に携わるすべてのひとの熱い想いに圧倒されます。
1952年、米軍統治下の沖縄。米軍基地を襲撃して物資を奪い、困窮する住民らに分け与える「戦果アギヤー」と呼ばれる若者たちがいました。グスク、ヤマコ、レイの幼なじみの若者3人と、彼らにとって英雄的存在であるリーダー格のオン。しかしある夜の襲撃でオンはそのまま消息を絶ってしまいます。
残された3人はオンの影を追いながら生き、やがてグスクは刑事に、ヤマコは教師に、そしてレイはヤクザになり、それぞれの道を歩みます。アメリカに支配され、本土からも見捨てられた環境で、後を絶たないアメリカ兵の犯罪を裁くことができない現実にやり場のない怒りを募らせていく彼女彼ら、そして沖縄の人たち…。
映画は1952年から1970年までの沖縄の過酷すぎる歴史を生き抜く純粋な若者たちの青春を生々しくたどりながら、その背景の現実に起きる「理不尽な事件」をえぐり出していきます。
戦後民主主義が、沖縄のひとびとの犠牲の上に成り立ってきたことを痛感せざるをえませんでした。
ただ、実を言うとわたしは沖縄については、北海道とはまた違う意味ですくなくとも観光で訪れることはありませんでした。わたしは若いころは極度の対人恐怖症で自分をごまかして生きることに精いっぱいで、学校からも会社からも社会の問題からも逃げることばかりを考えていました。恥ずかしい限りですが、その日その日を逃げ隠れしていた長い時間に、沖縄の人々がどんなひどい目にあっていたのかに想いをはせることができませんでした。何度も書いてきましたが、わたしが社会のいろいろな問題を知ることができたのは、箕面市の障害者運動と出会ってからでした。わたしの場合、日々の活動の中でいろいろな人と出会い、ぶつかることでひとつずつ学んでいき、世界の問題へも少しは視野を広げることができたというのが実情です。わたしの頑固で偏狭な心を崩し、日常の困難さが世界の権力支配層の掌の上で踊らされ転がされる古今東西のおびただしい無念や悲惨とともにあることを教えてくれたのは障害者運動で出会った河野秀忠さんや浜辺勲さんたちでした。
2015年、障害者運動から離れて能勢の友人たちと出会い、「憲法カフェ能勢」に参加し、はじめて沖縄の問題に向き合う機会をもらいました。 映画「宝島」を観ながら思い出していたのは、「憲法カフェ能勢」で山城博明さんの写真展を開いたことでした。その写真展は彼の写真集「抗う島のシュプレヒコール」(岩波書店)の出版を記念して、本の中から選りすぐりの写真約50点を展示したものでした。
準備のために一枚ずつ写真を黒の台紙に張り、その下に本に記載されているそれぞれの写真のキャプションと説明文を作成する作業をしている間、ひとつひとつの写真に残された沖縄の過酷な歴史が強烈に押し寄せてくるようでした。50枚の写真に定着された沖縄の歴史は、本土の記述された歴史では語られることのない、日本のほんとうの歴史がつづられているのだと思いました。戦争で唯一本土決戦の場となった沖縄のそこかしこのガマで今も取り残され、帰るべき家に帰れない名もない遺骨。1995年に3人のアメリカ兵が12歳の女子小学生を拉致した上、集団強姦した事件で、実行犯の3人の身柄がひき渡されなかったこと。2004年8月13日、アメリカ軍普天間基地所属の大型輸送ヘリコプターが訓練中に沖縄国際大学1号館北側に接触、墜落、炎上した事件…。戦前戦中戦後日米両政府の強権によって、沖縄の人々の人権と暮らしが蹂躙されつづけてきたとてつもなく大きく深い悲しみと憤り、苦難とたたかいの歴史が、その場に立会おうとしなかったわたしの胸に深く突き刺さりました。日本の戦後民主主義が、沖縄のひとびとの犠牲の上に成り立ってきたことを痛感せざるをえませんでした。
不在の英雄を必要としなければならなかった青春の切なさと、日本社会の未来を予感した映画
映画「宝島」は、1970年までのそれらすべてがぎっしり詰まっていました。3時間の映画のスクリーンの端から端まで、まるで何千枚ものタブローの中に詰め込まれた精密な具象画を見ているようでした。ドキュメンタリーでもまた社会派のドラマでもなく、エンターテインメントの青春映画として広く一般に公開されたこの映画で沖縄の現実がより多くの人々、とくに若い人に伝えられる意義はとても大きいと感じました。しかしながら、わたしは一方でどうしてもこの映画の世界に浸ることができませんでした。3時間の上映時間の間それがなぜなのかをずっと考え続け、今も考えてしまいます。もちろん、映画はエンターテインメントであることから言えば、この映画はすばらしいと思う反面、入念につくられた沖縄のそれぞれの時代の風景と人々が映画の中に閉じ込められているように感じてしまうのです。この映画のすばらしさは沖縄の歴史を生き抜いた若者たちの青春映画にあると思うのですが、わたしは映画の中の二つの不在にとまどってしまいます。一つはオンという不在の英雄を必要としなければならなかった青春の切なさ、もうひとつは沖縄を見捨てた戦後民主主義の傲慢さとその現実を受け止めてこなかったわたしをふくむ「本土」の人間の不在です。レイとグスクの長い議論の場は、本当は多くの屍の上に築かれた戦後民主主義とバブルに突き進んだ成長神話、そしてそれをいまだに掲げる日本の政治の場であるべきだったのではないでしょうか。
どんな問題でもそうであるように、伝えたい、わかってほしいと思い、伝えられた、わかったと思う強い共感がありながら、それでも簡単にわかってしまってはいけないという思いもまた持ってしまいます。それでも、伝えるべきことを伝え、伝えられることにまっすぐに向き合うところからすべては始まるのだと思います。その意味でこの映画はほんとうにやさしい人たちによってつくられたやさしい映画だと思います。
1972年の本土復帰によっても日米地位協定のもとアメリカ軍基地はなくならず、アメリカ軍関係者の犯罪は今も増え続けています。さらに「台湾有事への備え」を理由に自衛隊基地の強化とアメリカ軍指揮のもとでの軍事力膨張の犠牲を真っ先に強いられる沖縄の理不尽な今の現実を予感するように映画は終わります。ここから先は、わたしたちの問題なのです。
「さあ、起きなさい。そろそろほんとうに生きる時が来た」というオンちゃんの言葉が重く心に残ります。


