小島良喜「ジャズと自由は手をつないで行く」

2月24日、梅田のミスターケリーで「コジカナヤマ」のライブがありました。
「コジカナヤマ」とは日本の音楽シーンをささえる小島良喜、金澤明、山木秀夫の3人のユニットです。わたしは「コジカナツル」(ドラムスが鶴谷智生)が結成以来、年に一度か二度ですが彼らのライブをずっと聴いてきました。2002年3月に結成されたこのユニットのライブをその年の7月に豊能障害者労働センターが企画主催し、開催しました。
そのいきさつについては以前にも書いていますので今回は省きますが、3人に近藤房之助をゲストに迎えたこのライブは、北大阪の小さな障害者団体がミスマッチともいえる冒険を試みた刺激的なライブであったと自負しています。今でも彼らの主なライブ会場は100人ぐらいのライブハウスで、その小さな会場での一体感が大きな魅力の一つなのですが、わたしたちは彼らのライブ(コンサート)を1000人会場の箕面市民会館で開いたのでした。その当時の箕面市民会館は改装前で老朽化が目立ち、その上交通の便が悪く、桑名正博のコンサートをするために事務所を訪れた時、「プロなら絶対に選ばない会場です」と言われました。
事実、高校の音楽祭や行政が主催する催しがほとんどの、いわば場末(悪い意味ではありません)の会場でコンサートをする大きな理由は、公的な助成が乏しい障害者団体が自前でお金をつくり出すには、少ない出演料で来てくれるミュージシャンの協力を得ながら、1000人クラスの会場にすることで料金を格安にすることでまとまったお金を生み出すしかありませんでした。
しかしながら、それだけではなく、プロのイベント会社や芸能プロダクションではなく、市民が手作りでコンサートや映画界を企画し、箕面市民をはじめとする世代を越えた多くの方々に楽しんでもらえるイベントをしたかったこともあったのでした。
小室等、長谷川きよし、桑名正博、山田太一、永六輔、筑紫哲也、映画「萌の朱雀」、「IP5」、「午後の遺言状」、「森の中の淑女たち」など、1987年から2003年まで、立て続けにジャンルを越えたイベントを続けることは実はとても苦しい活動でしたが、豊能障害者労働センターという存在を多くの方々に知ってもらうことができましたし、1995年以降は被災障害者支援「ゆめ風基金」にイベントの収益の中から寄付することもできました。
「コジカナツル」はわたしがかかわった最後のイベントで、日本の音楽シーンをささえる一流のミュージシャンとはいえ、テレビ番組にいつも出演しているミュージシャンのように知られていないこともたしかで、情報宣伝はかなり苦しかったのですが、豊能障害者労働センターが企画したものは間違いがないという評価も得ていましたから、当日は彼らのコアなファンの応援もあり、850人ほどのお客さんに来ていただくことができました。
このことは、豊能障害者労働センターのひそやかな誇りのひとつです。
さて、それ以来何度も彼らのライブを聴いてきましたが、わたしは長い間「コジカナツル」というユニット、つまり鶴谷智生のドラムスが小島良喜のピアノにはぴったりだと思っていました。それはそれで間違ってはいないと思っていますが、昨年はじめて山木秀夫のドラムスによる「コジカナヤマ」のユニットを聴き、ドラムスが変わるとこんなにも変わるのかと、あらためてひとりひとりのミュージシャンの個性によって演奏の色合いというか匂いと言うか、駆け上る山や泳ぎ着く岸辺が変わることに驚きと感動をおぼえました。
実際のところ、小島良喜と金澤英明は音楽的にとても深い友情(?)と信頼関係があり、金澤英明のベースがあれば小島良喜のピアノはどこまでも音楽の荒野を疾走することができるようなのですが、その分ドラムスの鶴谷智生にしても山木秀夫にしても、その濃密で黒い音楽空間に溶け込み、それ以上のパフォーマンスを発揮するのは至難のことのように思ってきました。
だからこそ、鶴谷智生の刃が光るような切れ味と、少し冷たく青い朝空のような潔さがジャズよりロックよりのすそ野を広げ、小島良喜のピアノを若々しく華やかにしていたのにくらべ、山木秀夫のドラムスはある意味小島良喜と金澤英明の音楽を本来の大人の音楽に戻したように思います。もちろん、ドラムスの高速テクニックは断トツのものがありますが、それよりもこのドラマーは歌心のあるひとだと思います。
以前に、「コジカナツル」は聴く者をここより他の場所に連れて行ってくれるのに対して、「コジカナヤマ」はこの場所自体を他の場所に変えてくれると書きました。それはもちろん、山木秀夫との化学反応がなせる業で、わたしの言い方ではよりジャズらしく、彼らの音楽の向こう側から海が押し寄せ、わたしの心をやさしく抱きしめてくれるようなのです。
今回のライブは特に山木秀夫が高速テクニックで飛ばしつづけ、かつて鶴谷智生が暴走した時に匹敵するものでした。それでも、あくまでも彼のドラムスは激しいリズムの中でもメロディアスで、時にはセンチメンタルで、小島良喜のピアノがそれに呼応し、ブルーズよりに裾野を広げ、夕暮れのキラキラした海辺や暗闇に灯る街の灯のような懐かしさと暖かさを感じさせてくれました。
バラード以外はどの曲もゆっくりとしたイントロの後、ピアノが扇動しドラムスが反応し、いつにもまして激しい演奏がつづくものですから、金澤英明が「たまにしかしないけれど、たまにしかできない」とあきれるほどで、お客さんを笑わせました。
これがジャズなのか何なのかはわかりませんが、わたしは彼らの音楽を聴きながら、あらためてジャズはコミュニケーションと民主主義の音楽だと思いました。まずはひとつの音を出してしまってから相手を伺い、目を凝らし、笑いながら相手の心の言葉を聞き取り、誤解かも知れないけれどとりあえず次の音を出してみる、それを繰り返すことがコミュニケーションとなっていくのですが、彼らは決して歌わない、しゃべらない、彼らのコミュニケーションツールは言葉ではなく楽器なのでした。ましてや、問題を解決するために銃も爆弾も使わないのです。
彼らにあるのは、ひとつの音を出すと必ず受け止めてくれるという信頼関係と対等性と自由がすべてで、政治も社会もそうであったらと思うものがすべて、たった3人の音楽の中にあることに感動します。
まさしく、セロニアス・モンクが語ったように、「ジャズと自由は手をつないで行く」ことを実感した夜でした。