凶悪な犯行を後押しした障害者差別・障害者施設で起きた障害者殺傷事件

7月26日未明に神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた障害者殺傷事件により亡くなられた19人の方々のご冥福をお祈りするとともに、負傷された方々が一日も早く回復されることを願っています。
震災などの自然災害とは別に、オーム真理教による地下鉄サリン事件や池田小事件、秋葉原事件など数々の凶悪犯罪により、理不尽にもたくさんの命が奪われてきました。そのたびに哀悼の言葉が連ねられても被害者のご家族など関係者の方々のほんとうの悲しみが癒されるはずもなく、実のところ、言葉をなくしてしまうというのが正直な気持ちです。たったひとつのかけがえのない命をこれほどまでたやすく、なんの躊躇もなく奪ってしまう行為は決して許されるものではありません。
後を絶たないこれらの犯罪はテロそのもので、日本におけるテロは政治的でも宗教的でもなく、これらの一連の残虐な犯罪としてつながっていて、これからも頻繁に起こるのではないかとても心配ですし、誰の身にもいつふりかかるかわからない恐怖に襲われます。
それぞれの事件の背景や加害当事者の生い立ちや環境が違っていても、それらの一連の事件は政治や社会や歴史のメインストリームにかくれた、いわば路地裏の吹き溜まりからふつふつと生まれ、重なり、つながり育つ悪意と残虐にみちたエネルギーによる暗闇の歴史なのかもしれません。
今回の事件の原因や社会的背景など捜査の進展段階で新しい事実が次々と出てくる途上にあり、テレビや新聞各社の報道も入り乱れている状況ですが、特筆すべきは今回の事件の容疑者の行動は無差別な殺傷ではなく、障害者だけにターゲットを絞った殺戮である点で、社会の底部に凄む障害者差別がもたらした「テロ」であることです。容疑者の身勝手で残虐な犯行を後押ししたともいえるこの社会の障害者差別の根深さをあらためて痛感せざるをえません。

障害者施設「津久井やまゆり園」は定員160人の知的障害者の入所施設で、4月末時点で19歳から75歳の人たちが個室に1人か2人が入所し、約40人が60歳以上とみられ、おそらく全国の障害者施設と同様に重複障害を含む重度化と高齢化が進んでいます。
福祉が進んだといわれる今も、障害を持つことで普通に学ぶことも普通に働くことも、人生を共に生きる友情や恋愛をはぐくむことから遠ざけられる障害者の絶望と悲しみ、そして経済的にも生活的にも親の元でしか暮らせない理不尽な現実があります。
一般企業への就労を拒まれるほとんどの障害者は「福祉制度」の枠の中で、「就労支援継続事業」と称したかつての授産施設や作業所に通っても経済的に自立生活をおくれるだけの所得からは程遠く、経済的にも介護などの生活面でも親や家族にその基盤をゆだねざるを得ません。
そして親や家族の事情で親元に住むことができなくなれば、生活保護などで所得を獲得し、介護保障を獲得して自立生活を送るか、入所施設に入るしかありません。自立生活を獲得するためには本人だけでなく、本人を支える仲間やグループとともに行政と過酷なたたかいを継続しなければなりませんし、そもそもそんな熾烈なたたかいを共にする仲間やグループと出会うことは並大抵の努力では困難なのが現実です。
そんな事情から、たとえ本人が望まなくても入所施設に入らざるをえず、ひとによれば20年30年、あるいはそれ以上、人生の大半を施設の中だけで過ごすひともいる事でしょう。
1970年代あたりから、障害があっても地域で生きる権利を求める当事者を中心とした運動とそれに呼応した福祉サービスの充実によって、たくさんの障害者が地域社会で暮らせるようになり、入所施設の数は大きく減少しただけでなく入所施設の運営も解放され、「津久井やまゆり園」においても地域の住民との交流を進める努力もなされていると聞きます。
それでもなお、重複障害をともなう重度化と高齢化は本来あるべき個性やその人らしさが見えにくくなっていると想像できます。地域との交流があるとはいえ、入所施設である以上世間とは隔絶され、施設の中の狭い人間関係の中では一方的に福祉サービスを利用するだけの存在で、自分が他者に助けられるだけでなく自分も他者を助けるという、「助け合う」喜びや楽しさを分かち合える友情がどれだけ広がっているのかは知る由もありません。
容疑者は2012年12月、この施設で非常勤職員として働き始めたといいます。採用試験の書類には「学生時代に障害者支援ボランティアや特別支援学校での実習を経験しており、福祉業界への転職を考えた」と書かれ、面接でも「明るくて意欲がある」と評価されたともいいます。わたしは箕面の豊能障害者労働センター在職時に新しいスタッフを迎え入れる時、「明るくて意欲がある」というアピールをする人は苦手で、どちらかというと一見「元気がない」人ばかりを迎え入れる提案をしてきました。
それは「明るくて意欲がある」ひとはおおむね障害者を助けたい、指導したいと意欲を燃やす人が多いという経験則によるもので、わたしはむしろ「障害者に助けられる」ひとに心を惹かれたのでした。
社会から孤立し、隔離された山の中などに静かにたたずむ入所施設のスタッフとなった容疑者は、おそらく当初は入所している障害者を見守り、助け、指導しようと意気込んでいたと思います。それはある意味、入所者にとっても喜ばしいことだったのかもしれませんが、その時点で見守り(監視)、助け(保護)、指導(訓練)の対象で、「社会の役に立たない人たち」という、日本社会が入所者をはじめとする障害者に向ける差別を背負ってしまっていたのだと思うのです。
「手助けしなければならないひと」から「役に立たないひと」へ、そして「安楽死させるべきひと」にまで暴走してしまう悪意と人権侵害と暴力のエネルギーは、周りの人々の気づきをはるかに飛び越えた凶悪犯罪へと突き進んでしまったのですが、それを支えたのは社会の障害者差別であったと思います。
今度の事件の反省から、外部からの侵入を防ぐセキュリティの強化が言われていますが、それは同時に入所者を社会的に隔離することになり、かえって今回の事件の底流にある障害者差別をより助長することになりかねないことを考慮しながらの対策を求めます。
と同時に、わたしは入所施設が差別の構造から存在していることをあらためて確認し、障害者が当たり前の市民として地域社会でともに生きるための福祉サービスと雇用助成の充実に力を注ぎ、ひとりでも多くの障害者が地域社会に戻って来ることを願います。
容疑者について考えると一連の事件が起きるたびに繰り返されるマスコミ報道のひとつに精神鑑定が焦点となり、心神喪失や心神耗弱により判断能力がないとされて罪が軽減されるようなことがあれば、被害者の遺族はもとより世論の厳しい糾弾にさらされることでしょう。そして、精神障害者に対する差別が深まり、監視や保護という名の隔離へと世間の要求が高まることも危惧されます。
それはとても危険な動きだと思います。容疑者に対しては厳しく裁かれるべきであると思いますが、それとはまったく別に一般に精神障害といわれる人たちもまた社会の偏見と差別にさらされながら生きていて、社会からの排除の力におびえる毎日を送っているひとも少なくありません。排除の暴力に支配され、ひととひとが助け合うのではなく、疑いあい監視しあう社会はヒステリックで緊張の解けない社会であり、いつも「多数」の中にいなければ安心できない社会にわたしたち自身が身を置くことになります。
国際問題となっているテロを防ぐには監視と武力だけではなく、さまざまな民族・人種を出自とする多様なひとびとが共存し、助け合うことが必要であるのとまったく同じように、障害者を一方的に「助けなければならないひと」としたり「何をするかわからないひと」とするのではなく、障害をふくめていろいろな個性を持ったひとびとが助け合える社会こそが、今回のような事件を防ぐ道なのではないでしょうか。

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