次の時代へと変わる予感・音楽的冒険の可能性

堀江牧生&入江一雄チェロとピアノのデュオコンサート

堀江牧生と入江一雄 チェロとピアノのデュオコンサート

 3月24日、豊中市岡町の「桜の庄兵衛・米蔵」で開かれた、堀江牧生さんのチェロと入江一雄さんのピアノによるデュオコンサートを聴きに行きました。
 わたしは昨年の12月からつい最近まで、1月15日の前立腺肥大の手術をはさんで自宅で療養していて、桜の庄兵衛さんに行くのも昨年の5月以来になっていました。
 体の方はまだ本調子とは言えないのですが、といっても寄る年波でどの状態が本調子かもわかりかねるのですが、それなりに身体も頭も心も年を重ね、移りゆく時に身を任せるのもまた楽しいかもと思い始めています。
 そんなわけで、音楽にしても芝居にしても映画にしても、近くで開かれるか友だちや知り合いとの縁以外は行かなくなってしまいました。それでも能勢町内や近くの町で開かれるライブやコンサート、芝居や映画を観に行くのが楽しみになっています。
 その中でも桜の庄兵衛さんは、2015年にわたしが70歳近くになってはじめてクラシック音楽に触れた会場です。あれから9年になりますが、いまだにまったくクラシック音楽の専門的な知識もないまま、数多くの出演者による演奏に心を震わせてきました。実際のところ毎回出演される演奏家もはじめて知った方々で、演奏される音楽も多くの方々がご存知のはずが、わたしはまった無知でほんとうに恥ずかしく思います。
 それでも、わたしにとってこの場で奏でられる音楽はいつも初体験で、時には心高ぶらせ、時にはゆるやかに心を遊ばせる音楽、そしてたびたびそれらの音楽がいくつもの時代と地平をくぐりぬけて今、この北摂の小さなコンサート会場に届けられ、幾多の音楽の始まる場所に立ち会えたことは幸運としか思えないのです。
 桜の庄兵衛さんですぐに満席になる堀江牧生さん、恵太さん、詩葉さんの堀江トリオの演奏会は、誰にでもあった青い時をよみがえらせる圧倒的な若い力がまぶしく、聴く者の心に勇気をもたらしてくれます。その中で牧生さんの演奏は、チェロという楽器に寄り添うようにどこか醒めた心の彼方から熱情が押し寄せるような独特の雰囲気が感じられます。
 この日はそれにもましてまたひとり、入江一雄さんのピアノと出会ったことが幸運でした。

音楽への渇望は人生の羅針盤。さあ、出発しようぜ。

「タタタタターン」と、少し硬質なピアノの音が私の心をざわつかせ、低いチェロが心を落ち着かせるように重なり、最初の楽曲、ベートーヴェンの「チエロソナタ第5番 ニ長調102-2」が始まりました。それはまるで入江さんのピアノによって「さあ、出発しようぜ」と堀江さんだけでなく、その場に立ち会ったわたしたちも掻き立てられるようでした。
 わたしがベートーヴェンに感じていた、近寄りがたく音楽の巨匠というイメージを壊してくれたのは以前に聴いた若き堀江トリオの演奏で、音楽の冒険への道を200年以上も前に若きベートーヴェンもまた疾走していたことを、彼女彼たちが教えてくれました。
 今回の楽曲は1815年の作品ですから、ベートーヴェンが45歳の作品で、彼の後期の12年のはじまりともいえる作品です。1789年から始まるフランス革命からナポレオンの時代まで、ヨーロッパ全域とフランスとの長い戦争、その間に生まれたばかりのフランスの民主主義は数多くの死者を出しながら血で血を染め、歴史的実験を繰り返しました。
 ベートーヴェンも時代の風に頬を切られながら、「自由であること」を強烈に求めた人物と知られています。若く希望に満ちた時代から、私生活において耳の障がいが進行する中、対社会においても何度も絶望をくりかえしたともいわれます。それでも捨てなかった音楽への渇望から数多くの音楽が生まれ、今もまたこれからも彼の音楽とその情熱が若い演奏者たちを助け、つながっていることは奇跡としか言えません。
 この楽曲の第2楽章は、とてもゆっくりしたテンポの静かな曲で、第1楽章の猛々しい現実から音のない静かで白い闇へと階段を一歩一歩踏みしめながら降りていくようでした。
 人間も世界も、無数のがれきと屍を踏み越えた一筋の歴史しか持つことができないのだろうかと絶望的になってしまいがちな昨今ですが、そこからでも音楽は立ち上り、今を生きるわたしたちにもずっと後の時代のひとびとにも切実な合図を送り続けるのかも知れないと思いながら、演奏を聴いていました。

船はいま出たばかり、広がる希望の航海。

 ベートーヴェンから一転して2曲目の1970年生まれの作曲家、G・コネッソンの「アガルタの唄」(チェロとピアノのための3つの小品)は、個人的に(わたしの感想はすべてが個人的ですが)、わたしたち夫婦が最近友人の画家から購入した草原の絵が村上春樹の小説「街とその不確かな壁」を思い出させる、その風景とよく似た音楽と思いました。休憩をはさんで3曲目のストラヴィンスキーにも感じた絵画的な音楽でした。世界の始まりか終末の風景はこんなに広い草原の一か所がへこんでいて、その向こうに二つの世界を行き来する川が流れている…。時間という川のせせらぎがチェロとピアノの連なる音の向こうから聴こえてきました。
休憩をはさんで、ストラヴィンスキーの「イタリア組曲」を聴いていて、やはりこの作曲家はほぼ同時代といっていいのか、抽象画の先駆者・カンディンスキーを思い出してしまう色彩の音楽家で、20世紀というかつての新時代の息吹を感じる音楽でした。そういえば武満徹を世界に紹介したのはストラヴィンスキーでした。
 そして…、最後はブラームスのチェロソナタ2番へ長調op.99でした。思えばわたしが桜の庄兵衛さんで最初に聴いたのがブラームスで、ドイツで活躍されているヴィオラ奏者の吉田馨さんと塩見亮さんのピアノ演奏でした。それからブラームスのファンになったわたしですが、その繊細で甘美で寂寥感がただよう旋律に心を揺さぶられました。
 チェロソナタ2番は1886年、ブラームスが53歳の作品で、人生と音楽の果てしない旅を通り過ぎてきた魂の孤独、そこからふつふつと立ち昇る希望を連想させる楽曲でした。
 コンサート全体を貫く多彩でふり幅の大きい選曲と野心的な演奏は、若きチェロ奏者・堀江牧生さんの音楽的冒険がどこまで行けるのか、新しい時代への予感に満ちていました。
 荒れる大海に船を出し、帆先に立ちつくし遥か彼方をめざす堀江牧生さんを支える船長さんのように見えました。

おそらくこんな風に時代は変わっていくんだなと実感するひとときでした。

 ブログを再開しました。ミントアンサンブルアートサークルのホームページを少しずつ更新しつつ、あまり急がないでやっていこうと思います。