「原発依存か脱原発か」 アベノミクスは成長神話のカンフル注射。

 2012年1月8日、9日の2日にわたって朝日新聞が特集した「エダノミクス VS マエハラノミクス」は、民主党政権時代に日本社会のビジョンを探しあぐねている様子を報じていました。
 もっとも、2008年のリーマンショック以降、戦後の日本の政治も国際資本主義も濃淡はあるものの一度も疑ったことのない「経済成長」に疑いを持たざるを得ない状況が発生し、世界が立ち往生した時代であり、民主党の経済政策にその責をすべてかぶせるのは酷なように思います。
 くわえて東日本大震災を経てこれまでの「成長神話」がゆらぎはじめ、「成長社会か脱成長社会か」、「原発依存か脱原発か」という議論もありました。
 わたしは経済に詳しくないのですが、障害者の所得を作り出す活動に参加するうちに、経済成長を前提にした富の分配という社会保障が行き詰まると感じていました。人件費をコストとしかとらえない成長主義においては人件費コストを削減することが成長の条件のひとつとなります。しかしながら人件費をコストではなく事業の成果・財産ととらえると、障害者もふくめて多様なひとびとが多様な働き方ができる方が人件費を削るより豊かな経済と思うようになりました。
そして、成長のために資源を奪い合い、地球の大切な共有財産を収奪し、人間的にも地域的にも格差を固定し、金融資本が世界中を猛スピードで利潤を貪り食う成長主義を見直し、人間の顔が見える経済へと舵をきるべきではないかと思ったのでした。
 民主党政権は残念ながら、東日本大震災以後の日本社会の未来像を描き、国民に提案することができないまま、崩壊しました。
わたしたちもまた「成長のない社会」がどんな社会なのかその光と影を見据えることができず、この年の12月に政権を奪回した安倍政権の繰り出した「アベノミクス」による見せかけの経済成長というはかない夢に先祖帰りしてしまいました。
 「財政出動」、「金融緩和」、「成長戦略」という「3本の矢」で長期のデフレから脱却し、成長を取り戻す「アベノミクス」はかつてなかった大判振る舞いの金融緩和で大幅な円安と株高をもたらし、わたしたち庶民の実感がないまま景気回復、経済の活況を演出しました。
 しかしながら、大幅な金融緩和はグローバリゼーションの地を行く大企業や金融資本にその効果をもたらしましたが、中小企業や地域経済にはマイナスの効果だともいわれます。2パーセントの物価上昇を目標と言われても、わたしたち庶民はデフレで助かっているのです。失業率の改善も、実態は非正規雇用者と定年延長や再雇用によるところが多く、購買力の源泉である賃金の上昇は芳しくないのが現実です。
 つまるところ、アベノミクスは大企業と金融資本にのみ大きな効果を上げましたが、経済全体からすれば瀕死の病人に強烈なカンフル注射を激しく注入し、その副作用がとても心配な結果となっています。国の借金はとうとう1000兆円をこえました。
 安保法制や共謀罪の成立と改憲への動き、森友学園や加計学園の不正疑惑と、ここ最近の安倍政権の暴走に反して、評価が高いといわれるアベノミクスが実はとても危ない状況にあることを知ると、「成長路線か脱成長か」という議論とともに、「新しい日本社会の行方」について、もう一度考えていかなければならないと思うのです。

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