障害者雇用数の水増しは許されないけれど、その奥にあるもっと大きな問題。

中央省庁や地方自治体が障害者雇用数を水増ししていたことが発覚し大きな問題になっています。厚労省が8月28日に公表した調査結果によると、国の33行政機関のうち、約8割にあたる27機関で計3460人の不適切な算入がありました。その結果、33機関のうち、法定雇用率(2.3%)を満たしていなかったのは27機関となり、平均雇用率は2.49%から1.19%に半減しました。水増し数が最も多かったのは、国税庁で1022.5人。次いで、国土交通省の603.5人、法務省の539.5人でした。さらに水増しは国だけでなく、地方自治体にもおよんでいます。
障害者雇用数の水増しは障害者の権利を大きく損ねる行為であり、障害者雇用を促進すべき責任を負う公的機関の信頼を著しく傷つけるもので、決して許されるものではありませんが、この問題の奥には1960年に制度化された障害者雇用促進法自体に大きな問題があり、今回の事件はこの法律そのものの矛盾が生み出したものと言わざるを得ません。
そもそもこの法律が定める法定雇用率の算出方法は、常用労働者数と失業者数の合計を分母とし、障害者の常用労働者数と障害者の失業者数を分子として算出するものですが、障害者の失業者数は職業安定所に求職の登録をした障害者に限ることになります。
次に、今回問題になっている対象とされる障害者とは、ほぼ医療モデルにもとづく障害者の手帳(身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳)を所持している者となっています。
ですから、今後の調査で手帳の有無を徹底的に調べれば調べるほど、関係省庁も企業もマスコミも、そのことが手帳を持つ人のみを障害者とすることを正義として、医療モデルで障害者をしばることの差別性には目を向けないことが明らかです。
わたしの少ない経験でも、自分からすすんで職安に求職登録をする障害者はほとんどいませんでした。むしろ「働きたい」という願望はあっても、障害者だから就職は無理だと自分も周りの家族も思ってしまい、職安に行くという発想がうまれてこないのが実情です。
「手帳を持ち、職安に求職登録している障害者イコール働く意欲のある障害者」という一見まっとうと思える原則は、手帳を持っていてなおかつ特別な配慮がなくても自力で働ける障害者ということになり、対象となる障害者がかなり限られ、結果として致命的にほとんどの障害者を一般企業から排除してしまうのです。
特別支援学校を卒業する時、ほとんどの障害者の進路は福祉作業所などで、一般企業への就職はおろか、職安も遠い存在です。
ですから、国の期間で最も水増ししていた国税庁の最高責任者である麻生財務大臣の「障害者の数は限られているので、(各省庁で)取り合いみたいになると別の弊害が出る」という発言にいたっては、怒りを通り越してあきれてしまいます。このひとたちはかろうじて一般企業で働く障害者の苦しさも、一般企業への就労を拒まれてしまう数多くの障害者のくやしさも、ほんとうに何もわかっていないことをあらためて痛感します。
麻生さん、省庁で取り合うになるような障害者雇用施策をやってみてください。職安に登録される障害者に加えて、福祉施設で生きがい程度の分配金を得るために利用料を払わされるたくさんの障害者をすべて雇い、ほんとうに省庁や企業が障害者を探さなければならないような施策をやってください。
また一定以上の障害者を雇っていない企業に負担を求める「障害者雇用納付金制度」に基づき、2017年度に企業が国に支払った納付金(実質的には罰金で、なんと、国などは支払わなくてよいそうです)は293億円で、そのうち雇用の基準を上回る企業に支給された調整金は227億円で、66円億円ものお金が国に入っています。自分は罰金を払わず、一般企業から徴収した納付金も障害者雇用をすすめる企業に上積みはおろかすべてを支給しないとすれば、こんな政策がほんとうに実のある障害者雇用施策といえるでしょうか。
問題は単に障害者雇用の数字合わせの水増しをしていることではなく、障害者に職場が求める職業的能力の基準を押し付け、そぐわない障害者には門戸を固く閉じるところにあると思います。障害者が職場の要求に合わせるのではなく、個々の障害者が働けるよう職場での介助や仕事上のアドバイスや送迎など、「障害者に職場を合わせる」合理的配慮を無視して持続的な障害者の雇用が進むはずはないのです。
結局のところ障害者を雇用するのはあくまでも義務で、職場内で精神障害になった労働者をカウントにいれたりして法定雇用率に届くようにつじつまをあわせ、それでも到達できなければ納付金を支払えばよいというのが本音にあり、公共機関の場合は納付金も払わなければよいのですから、いろいろ面倒だと障害者を排除してきたのだと思います。

けれども、障害者が職場に来ることはそんなに迷惑でしょうか。実際に障害者をたくさん雇用している企業は、障害者が職場に来ることでいままで気づかなかった職場改善が進み、誰もが働きやすい職場になったと証言しています。わたしも長年工場で働いていましたが、職場になれていない新人や転属の社員が来るたびに、工程の見直しや冶具の改良などをすることで「生産性」が上がるのを体験してきました。それは事務職などでも同じだと思いますし、サービス業の場合などはお客さんによるかもしれないとしても、マニュアル通りのサービスよりその人にしかできない心のこもったサービスに満足するお客さんもいます。社会がそうであるように、働く現場もまた多様な個性や文化を持った人たちによる共生によって、豊かな労働環境と持続可能な目標設定が可能になるとわたしは思うのです。
そして国も地方行政も障害のあるひともないひとも共に働く労働環境をつくるための施策をすすめてほしいと思います。そのためには、企業や公共機関への一般就労と、就労継続支援A型・B型の福祉的就労だけでなく、その間を埋める第三の雇用とも言える社会的雇用の制度化が求められます。社会的雇用とは箕面市の障害者事業所制度や滋賀県の社会的事業所制度のように、一般企業ヘの就労と同じ労働条件を保障しながら個々の障害者に寄り添い、より豊かな労働環境を提供する事業所に対して、継続的に就労支援を行うものです。
箕面の障害者事業所制度はその上にさらに障害者が運営に参加することを事業所に義務付けていて、障害者のうずもれた多様な「職業的能力」を自発的に開発したり、障害者のアイデアやデザインを商品開発に生かしたり、また人権侵害を内部告発できる仕組みづくりなどに生かされています。
サービスの利用者という形で福祉制度の枠の中に閉じ込められるのではなく、また一般企業のようにややもすると障害者を既存の労働現場に押し込めるのでもなく、障害当事者が事業所の運営を担う権利と義務を負う箕面の障害者事業所制度は、より理想に近い自立した働く場を提供できる優れた制度です。
この制度の下で、箕面市では福祉的就労の場に閉じ込められるはずの障害者が豊能障害者労働センターのように市民生活の真ん中で生き生きと働いています。それどころか、豊能障害者労働センターの障害者ほど健全者スタッフに、そして箕面市民に頼りにされている障害者はいないと思います。お近くのひとならば、見学に行かれるとそのことがよくわかります。それは障害者の社会的雇用を制度化してすでに30年になろうとする、箕面市の先駆的な施策の果実でもあります。
一見、福祉制度の枠の中では福祉的就労よりも助成金が高く見えますが、この制度の下での豊能障害者労働センターの自主事業は市内に3つのリサイクルショップと食堂と福祉リサイクルショップの運営と通信販売事業、箕面市広報の点訳業務などで9000万円の年商をたたき出し、障害者の給料をつくり出す、きわめてコストパフォーマンスの高い制度であることが証明されています。
一日も早く、この制度が国の制度になることを求めつつ、あとひとつ、技術開発・商品開発力が弱い社会的事業所に技術提供する企業に報奨金を継続的に支給したり、障害者のアイデアを実用化する資金がない障害者事業所や社会的企業に資金を貸したり提供したり、さらには障害者事業所と一般企業が提携して開発する事業に助成するなど、この制度が国の制度になることでより充実した施策がどんどん生まれ、大きく夢は膨らみます。
ともあれ、労働の在り方が多様化する今、何十年も前とおなじ労働の場をイメージした雇用促進法の制度疲労は明白で、今回の事件はそのことを国自らが証明してしまったのです。

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