12枚の破片になったヴァイオリンは、彼女とともに奏でた音楽を記憶していた。

ここ2週間ほど、5月に開く「ピースマーケット・のせ」の資金不足を補うために募金サイトに登録しようと必要な文書づくり追われていました。
その作業が終わったところで前回、遅ればせながら1月19日に桜の庄兵衛さんで開かれた桂九雀さんの落語会について記事を書きましたが、それより2日早い1月17日、神戸灘区民ホールマリーホールで開かれた木田雅子さんのヴァイオリンコンサートに行きました。
木田雅子さんは大阪フィルハーモニー交響楽団など数多くのオーケストラと共演、2017年にはイタリア・音楽院に招聘されたリサイタルが好評を博したほか、2018年にはベルリンでも公演を行うなど、ヨーロッパでも活躍されています。
「阪神淡路大震災から25年目の春へ チャリティコンサート2020 木田雅子 with Ensemble Primavera」と題されたこのコンサートは、震災の被災者でもあるヴァイオリン奏者の木田雅子さんが特別な想いを持って企画されたコンサートでした。
震災の時、彼女の愛器のヴァイオリンはバラバラに破損し、12枚の破片になってしまいました。その破片を拾い集め、楽器ケースに入れて大阪に避難しました。
その破片を単純につなぎ合わせても元の楽器にならないところを、一年かけて奇跡的に修復され、以前と変わらぬ音が出た時の感動は忘れられないそうです。きっと、バラバラになってもヴァイオリンは彼女と共に奏でた数々の豊かな音楽を記憶していたのでしょう。
震災20年目にこの楽器でCDアルバム「朝の歌」をリリースしました。そして25年目となる今年、灘区民ホールでのコンサートを企画されていたのでした。
「震災」当時まだ新しかったマリーホールは、近隣の被災者の避難所、またご遺体の安置所になっていました。

第一部はリサイタルで、ピアノに河内仁志を迎え、木田雅子さんのヴァイオリンを堪能させていただきました。恥ずかしながらツィゴイネルワイゼン以外、どの曲もはじめて聴く曲ばかりでしたし、そもそもクラシックをほとんど知らないわたしにはその演奏が専門的にどうかなどわかるはずもありません。
ただ、素人が感じたことでいえば、どの曲もヴァイオリンの名曲ぞろいで、亡くなってしまったひともふくめて世界に無数のヴァイオリン奏者が何度も聴き何度も演奏したこれらの名曲がこれからも後世に残り、今もまだその音楽的極致に至る旅の途上なのだと思いました。
その中でも特に一曲目のヴィタリの「シャコンヌ」に心が震えました。これから始まる悲劇と宿命を暗示しているようなピアノのゆったりとした低音のメロディーと会場の静寂を破って、激しくも切なく、まるで聴く者の心の地下室へと続く階段を下りていくように、ヴァイオリンの演奏が始まりました。
地下室には25年前のがれきと焦げたにおいが今も残り、理不尽にも奪われた6400を越えるたましいが帰る家を探していて、「寒い、寒い」と叫んでいるような、切ない音色でした。
もちろん、この曲が持つ演劇的なカタルシスに加えて、何と言っても特別な想いを持って演奏される木田雅子さんの凄味がわたしたちを25年前に置き忘れてきた何か、激しい時の流れの向こう側に残していかざるをえなかった記憶を呼び戻すのでした。
わたしはといえばこの10分ばかりの曲を聴いている間、25年前の記憶がよみがえりました。
25年前、わたしは箕面に住み、豊能障害者労働センターに在職していました。1995年1月17日、わたしたちの町はギリギリ難を逃れ、スタッフが続々と事務所に集まってきました。これからどうしようかと話し合いました。
みんな真っ青な顔で、付き合いのある障害者団体のひとたち、特に神戸のひとたちは大丈夫かと心配でした。電話はほぼつながらず、どんな状況かまったく分かりませんでした。
それでも2、3日して、姫路の大賀重太郎さんから日に何度もFAXが届くようになりました。障害者の安否確認と活動の拠点の被害、自立障害者の住宅の被害などが次々と送られ、震災の大きさが身近に伝わってきました。
大阪の障害者運動団体を中心に「障害者救援本部」という全国のネットワークが生まれ、被災地に近いことから豊能障害者労働センターは救援物資のターミナルと配達を引き受けました。わたしは全国各地から寄せられる救援物資被災地の障害者団体の拠点に届けるコーディネートをしていました。
地震発災から10日ほど過ぎた1月末、発災直後から被災地に救援物資を届けてくれたHさんが運転してくれるワゴン車に乗せてもらい、はじめて被災地に入りました。
その最初に行ったところが王子公園駅付近にあった障害者団体でした。王子公園駅の近くのコンビニでティッシュペーパーを買いに行くと、店内が水浸しでした。大通りのそばで大衆食堂が心意気で営業していて、そこでご飯をたべました。道路の両脇の住宅はほぼ全壊で屋根だけが見え、高い建物も道も斜めになっていて、平衡感覚がおかしくなりました。潰れて家にかぶさるようにぺしゃんこになった屋根の隙間から立ち込める埃と、いたるところに散らばっているやかんや割れた茶碗などの生活用具からは、ついこのあいだまで営まれていたはずの平和な日常がうかびあがってきました。そして、その下敷きになってなくなったかもしれない数多くのいのち…。
25年ぶりにおそらく同じ場所に立っていると思うと、あの時の魂の震えや涙の洪水や絞り出すような悲鳴を、生き残ったわたしたちは決して忘れてはいけないのだと思いました。木田雅子さんのヴァイオリンは失われたいのちとお話しているような繊細さで荒ぶれた心を鎮める挽歌のようでした。
そして、木田雅子さんの演奏によるこれぞヴァイオリンの名曲と言われるツィゴイネルワイゼンを聴き、震災後25年を思い起こす一方、個人的には1980年の鈴木清順の映画「ツィゴイネルワイゼン」を思い出しました。原田芳雄、大谷直子、大楠道代、藤田敏八、麿赤児、山谷初男、樹木希林など名優たちが鈴木美学を体現したこの映画は映画の常識に囚われたら難解な映画ですが、鈴木清順の最高傑作のひとつと評されています。
生と死、エロティシズム、耽美的な色彩、大正ロマンから昭和初期の刹那的な時代を見事に映像化したこの映画は、ここから先に国家主義の下でひとびとがひとつの方向に追い込まれていく一寸前の滅びゆく自由の虚ろな輝きに満ち溢れていました。
全編に流れるサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」は「ジプシー(ロマ)の旋律」という意味で、時代の写し鏡としての映画そのものが放浪の果てに圧殺されていく、悲しくもせつなくもいとおしい葬送曲でした。

第二部は小学生からシニアまで総勢50人の「アンサンブル・プリマヴェーラ」とゲスト26人の演奏家たちと弦楽器でホール全体が埋め尽くされました。
あどけない小学生たちがプロとしての矜持を持って堂々と演奏する姿に感動するとともに、いつのまにか涙が出てしまいました。ほとんどが大学生以下で震災後に生まれ育ったいのちたちの希望にあふれた若々しい演奏もまた、震災で犠牲になったいのちを偲び、命をつないでゆく勇気をわたしたちに届けてくれました。
と同時に、この子どもたちの中からやがて世界へとはばたく演奏家が生まれると思うと、彼女彼らを厳しくも至高の旅に駆り立てる楽器たちと音楽が放つ力もまた感じさせてくれたのでした。

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