黒川・桜の森

先日、黒川桜の森に行きました。
 川西市の北端で、能勢町とも豊能町ともとても近い黒川の里山は全国的に有名で、わたしの住む能勢の里山や妙見山ともつながっています。
 実は昨年の秋に黒川に散策に行った時、黒川公民館から国道に上がろうとすると桜の森まで1.2キロ(?)の標識があり、山道を少し入って行きました。
 桜の森まではまだずいぶんありそうなので、春になったら桜を見に行こうと思っていました。
 当日の朝、わたしの家の近くのバス停から能勢宿野までバスに乗り、そこからほとんど待たずに妙見口行きのバスが出ていて、この前も歌垣山登り口で降り、歌垣山に行きました。今回はそのままもう少しバスに乗り、終点の妙見口の2つ手前になるのでしょうか、「黒川」のバス停で降りました。
 バス停からすぐに黒川公民館を目印に田園風景に囲まれた野道を行くと、見覚えのある桜の森の標識を起点に、山道を歩きました。
 昨年の秋に引き返したところから、まだまだ歩き続けると里山のところどころに山桜(エドヒガン?)が咲いていて、「これがいっぱい群生しているんかな」と思って歩いて行くと、「黒川桜の森」と書いてある入口に着きました。
 入口まで来てはじめて、ここが森林ボランテイア団体「菊炭友の会」が、兵庫県の「里山ふれあい森づくり事業」により維持管理されている所であることを知りました。
 菊炭友の会のブログによると、この会は2004年9月NPO法人シニア自然大学主催「菊炭生産体験講座」を受講したメンバーが、講座終了後も能勢・黒川周辺の炭焼きさんの作業を手伝いながら、菊炭焼きの技量を学び、ときには炭窯の火を燃しながら懇親を深めればと当会の発足となったそうです。
 桜の森にはわずか1kmほどの間にエドヒガン約50本、ヤマザクラがほぼその倍(未調査・推定で約100本)・カスミザクラ2本が一面に群生しているのですが、会は黒川の30人余の山林所有者の同意を得てエドヒガンを中心に調査を行い、2007年に正式に黒川・桜の森と名付け、樹林の整備に取り組まれています。
活動内容は、
斜面を登って生い茂った樹林に分け入り草木に半ば埋もれているエドヒガンを探し出す。
現地まで山道をつける。
幹に巻き付くつる植物を除去する。
枝が広がっている範囲のササなどを刈り取る。
陰を作る周囲の樹木を夏緑樹(落葉広葉樹)を含め伐採し日当たりを確保する。
根本の周囲をロープで囲み人の立ち入りを制限するなどしています。
 また、エドヒガンの実を拾ってふもとの畑で苗を育てており、いずれは植樹するとのことです。

 入口からすぐに、満開の樹齢150年のエドヒガン「微笑み桜」が迎えてくれました。
 つるがいっぱい巻き付いていたのを丁寧に整備し、枝の広がりと同じだけの根があるといわれる範囲にロープをほどこし、根を踏まないようにされていました。
 ソメイヨシノのような派手さはありませんが、切ないばかりに咲いているその静かな立ち姿にしばらくうっとりしていました。大きな幹とそこから空へと精一杯背伸びする枝の先端まで、一年のほんの何日間に花開くためにほのかなピンクの春を隠してきたのだと思いました。
 そこから少し歩いたところには、「長老」と名付けられた樹齢150年以上のエドヒガンもわたしたちをむかえてくれました。

 満開の桜にも感動しましたが、それ以上に荒廃していたというこの里山を整備し、維持管理されているボランティア団体「菊炭友の会」のみなさんの想いと活動に感激しました。
 とてもよく整備されていることはもちろんなのですが、そのことよりも里山や桜への接し方がとてもデリケートで、いつも耳をすまして自然の声を聞き、自然と相談しながら整備をされていることが伝わってきます。そのことが山の持ち主の方々にも桜の森を訪ねる方々にも伝わるからでしょうか、里山の大切さをともに共感できるのだと思います。
 思えば千年の昔から、日本人は自然とのかかわりを放置するのでもなく破壊してしまうのでもなく、対話しながら共存してきたのだということを、そして里山は人間と自然との対話の場であったことを、この会の活動を知って教えられたように思います。
 能勢の里に来て、ずっと街中でくらしてきたわたしの知らなかったこと、そしてたいせつなことを、これからも学んでいきたいと思います。
 春の嵐が桜の花を吹き飛ばしてしまったようですが、能勢ではもう少しだけ桜を楽しめそうです。そしていつのまにか、新緑が少しずつ現われてきて、やがて山を染めていくことでしょう。

菊炭友の会ブログ
菊炭友の会の活動がくわしく紹介されています。
森山直太朗「さくら(独唱)」

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