日本が誇る舞台女優・藤山直美と阪本順治監督作品・映画「団地」

6月19日、シールズの街頭行動に参加するため地下鉄本町駅から会場のうつぼ公園を目指して歩いている途中で、雨のため中止になりました。
箕面の友人と現地で待ち合わせすることになっていて、彼とは本町駅の構内で合流したのですが、ぽっかりあいた時間を映画でも観ようかということになり、シネ・リーブル梅田で公開中の阪本順治監督の「団地」を見ました。
阪本順治監督が日本アカデミー賞最優秀監督賞など数々の映画賞を受賞した「顔」の藤山直美と15年ぶりにタッグを組んだ映画です。数年先まで仕事が詰まっている日本を代表する舞台女優・藤山直美のスケジュールが2015年の夏に空きそうだと聞き打診したところ、「阪本さんの映画なら出てもいい」と返事をもらい、一週間で脚本を書き上げたそうです。
一人息子を交通事故でなくし、三代続いた漢方薬の店を売り払って半年前に団地へ越してきた清治(岸辺一徳)とヒナ子(藤山直美)夫妻。清治は毎日植物図鑑を片手に裏の林に木々やキノコを観察するのが日課。ヒナ子は近所のスーパーでレジ打ちのパートに出かける毎日を送っていた。不器用な彼女のレジの前はいつも列ができ、そのうえお客さんと話し込んでしまい、「どんくさい」といつも怒られています。昭和の面影が濃い団地は空き室が目立ち、住人たちは二人の噂話がもっぱらの楽しみのようになっています。そんな夫婦に親しく話しかけてくれるのが自治会長の行徳正三(石橋蓮司)と妻の君子(大楠道代)。
ある日、些細なことでいじけ、清治が「ぼくは死んだことにしてくれ」と床下に隠れてしまいます。2か月も床下に隠れている間に、離婚、清治の蒸発、さらには殺人か、などと好き勝手なことを噂される始末。ヒナ子夫妻にまつわる噂はさらに拡大し、警察やマスコミまでをも巻き込む事態へと発展していきます。そのうえ黒いスーツに日傘という奇妙ないでたちで、「こぶさたです」を「五分刈りです」と言い間違えたり、立ち振る舞いがどこかおかしい青年・真城(斉藤工)が大量の漢方薬を注文し、それを夫婦が手作業で作り始めるあたりから、この物語は奇想天外な方向へと展開します。
この映画は、藤山直美というひとがいなければ成立しないといって過言ではない圧倒的な存在感と、岸辺一徳、石橋蓮司、大楠道代という阪本組のベテラン俳優の言葉としぐさと沈黙と饒舌の限りを尽くした、これぞ日本料理(映画)といえる映画です。
団地の部屋の徹底的なリアリスムは建具から台所の食器棚、年季の入った流し台とテーブルのすべてにいきわたっています。またエレベーターのない5階建ての団地。空き室がめだつ夕暮れに頼り気にゆれる盆やしたしかいいあかり。それを眺めながら、「団地って噂のコインロッカーやな」とつぶやくヒナ子。
リアリスムの極致のような設定と人間関係を丁寧に掘り起こし、さまざまな人生が交差する団地を舞台に、ごく平凡な主婦のまったく普通ではない日常をユーモアたっぷりに描くこの映画は、その生真面目な「あるある」のリアリスムゆえに暴走していくプロセスを映像美やシャープな場面展開ではなく、日本の宝といってもいいベテラン俳優の会話だけでわたしたちをとんでもないところへと連れて行ってくれるのでした。
藤山直美は「奇妙な人を演じているわけではないし、ごく普通の慎ましやかな生活をする初老の主婦」と説明する。「息子を亡くすことは想像を絶することですけど、悲しみ方は年齢によって変わりますよね。物悲しくて、哀れで、それでも生きていく、そういうのが出せたらと思っていました」と語っています。
喜劇役者にとどまらず、日本を代表する実力派の大女優と高く評価される藤山直美の芝居を実は一本しか見ていないのですが、ほんとうにすごい人だと思います。そして親子は別といいながらも、あの藤山寛美を父に持つ才能を現代に進化させた彼女が演技なのか最初から持っていたのかわかりませんが、大きな「かなしみ」に庶民的なセリフひとつひとつが裏付けされている存在感に圧倒されます。(そういえば子供の頃に見た藤山寛美もまた、リアリスムのセリフにどこかブラックユーモアというか諧謔というか毒気が隠れていました。)
その上に役者としての努力もまたすさまじいものがあるのでしょう。「顔」の現場でヒロインが号泣するシーンで「吸う息と吐く息、どっちで泣きましょうか」と聞かれて一瞬答えに窮したと阪本順治が証言しています。

舞台となる団地は昭和の高度経済成長の申し子でしたが、今は老朽化して空き家が目立ち、「団地の子」が差別やさげすみの対象となっている由々しき事態を解消すべくリニューアルされたり壊されたりしています。
団地自体の誕生は1950年代にさかのぼるようですが、わたしの記憶では団地を何棟も作り、ショッピングセンターや保育所、幼稚園、場所によっては学校までも敷地内につくり、ひとつの町のように建設した日本で最初のニュータウンは大阪北部の千里ニュータウンだったと思います。
住宅不足の解消のために建設された団地やニュータウンは庶民にとって、ステンレスのシンクのあるキッチンや内風呂、水洗トイレなど、すべてが憧れでした。戦前から引きずっていた家族はニューファミリーに模様替えし、間取りをおしゃれに2DKと言い換える新しい暮らしはそのまま今日よりは明日が確実に豊かになると思い込める経済成長のアイテムとなっていったのでした。
団地で暮らしたことがないわたしは今でも団地は憧れの対象としてあるのですが、老朽化したこととは別に団地住まいが差別の対象になっていると聞き、耳を疑います。
いつのまに庶民の憧れの象徴だった団地がゴーストタウン化しただけでなく、蔑みの対象にまでなったのか、そこには半世紀を超えた時のキャンバスに取り残された日本社会の成長神話が行く先をなくしたまま立ち尽くしているようです。
華々しく誕生し、今では信じられないほどの無数の人々の夢と希望を長方形の空間に閉じ込めてきた団地をよくも悪くもワンダーランドとして育った南河内万歳一座の内藤裕敬の芝居に頻繁に登場する団地の部屋の窓を真っ赤に染める夕日や、若松孝二があの「壁の中の秘め事」で鋭く描いて見せた、小さな部屋の一つ一つに収まり切れない孤独と欲望と絶望に引き裂かれた団地コミュニティのさまざまな事件を飲み込みながら、この巨大なコンクリートの箱舟は昭和の激動の海で座礁したままなのでしょうか。
ともあれ、この映画の団地は最近よく描かれているような廃墟やモンスターではなく、登場人物の人生とともにやさしく年老いて、わたしが子供だった頃の長屋へと変身しているように思いました。そこには誕生したころのように人々を孤独に陥れる暴力性はなくなり、噂話もどこか滑稽で他者をきずつけるのではなく実は気配りしながら見守りあっている優しいコミュニティーになっています。
面白おかしく生真面目な登場人物たちが次から次へとわたしたちを笑わせながら、どこかペーソスにあふれたセリフのひとつひとつが映画を見終わった後も心にしみこんでいくこの映画は、もしかするとカンフル剤を打ち続けても経済が成長するわけではなく、 むしろ成長しない豊かさをどのようにたのしめばよいのか思いまどうわたしたち、幸せを求める前に何が幸せなのかわからなくなってしまったわたしたちを「だいじょうぶ」と救済するノアの箱舟なのかもしれません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です