オリジナルに限りなく近づいたカバーアルバム「SINGER5」

年末から約一か月、風邪をこじらせて寝床で安静にしていました。若い頃なら少し無理をしてでも仕事に行きましたが、年金暮らしの今はずぼらというか、テレビばかりを見てぼんやりと過ごす悪癖が再発し、ほんとうに無駄な時間をたっぷりと過ごしてしまいました。もっとも、それが71歳のわたしのもう一つの健康法でもあります。
そんなわけで、ブログの記事もまったく書けないままでした。
思えば2011年の3月の東日本大震災とともに開いたこのブログですが、一か月以上も更新しなかったのは初めてで、おかげでスポンサー広告が出てしまいました。
しかしながらやっと体調も戻り、気力も少しずつ回復しましたので、また徒然なるままに記事を書いていきます。誰に催促されるわけでもなく、また仕事にしているわけでもないですから、気楽に始めていきたいと思います。
さて、1月5日に紅白歌合戦での島津亜矢の「時代」について書きました。ブログ再開にあたって、沖縄の辺野古基地の問題や今年のピースマーケットのこと、また昨年、わたしの音楽観を変えた川口真由美さんのミニライブ、昨日の玉本英子さんのシリア・イラク現地報告会など書いておきたいことがたまってしまったのですが、やはりここは島津亜矢さんの記事から始めたいと思います。

昨年秋に発表されたポップス曲を収録したカバーアルバム「SINGER5」は、折しもJポップ分野のテレビ番組への進出と相まって、これまでの「SINGER」シリーズともども注目され、昨年レコード大賞企画賞の受賞につながりました。
2010年からのファンであるわたしにとっては遅きに失した受賞で、本来は2011年のアルバム「悠悠~阿久 悠さんに褒められたくて~」を発掘できなかった音楽業界に失望したものでした。
アルバム「悠悠~阿久 悠さんに褒められたくて~」は、阿久悠の未発表の遺作を8人の作曲家が作曲した10曲を収録した野心作でした。Jポップでは当たり前で、アルバム先行でオリジナル曲ばかりを収録したこのアルバムは島津亜矢にとっても特別な意味をもっていたはずです。
このアルバムをしっかりとプロモートできなかったことが、彼女のブレイクを7年も遅らせる結果となってしまったとわたしは思っています。
その意味においてはカバー曲であっても、はじめて彼女のアルバムをレコード大賞が評価してくれたことを素直に喜ぶべきかも知りません。やっと彼女の存在が演歌・歌謡曲というジャンルを越えてJポップの分野でも知られるようになったのですから…。

アルバム「SINGER5」に収録された16曲は次の通りです。
1.THROUGH THE FIRE 2.DESIRE-情熱- 3.ごめんね… 4.リバーサイドホテル 5.メロディー 6.STAND BY ME 7.22才の別れ 8.Forever Love 9.LULLABY OF BIRDLAND 10.やさしいキスをして 11.大空と大地の中で 12.ルージュの伝言 13.木蘭の涙 14.奏(かなで) 15.First Love 16.誕生
第一印象は極めつけかつ総花的で、彼女の歌の地平が一気に広がり、歌の翼がどこまでも飛んでいきそうな勢いです。
「SINGER」から「SINGER2」までは恐る恐るで、そのためにカバーアルバムが陥る「名曲」主義が垣間見えていましたが、「SINGER3」から少しずつアルバム全体のコンセプトが感じられるようになりました。
そして、「SINGER4」で今まで感じられた逡巡を捨て、ポップスシンガーとして勝負をかけた野心がはっきりと表現されていました。それでも、好みがあることを承知で言えば「jupiter」などはオリジナル歌手に引っ張られた名曲主義の歌唱で、わたしにはやや鼻についたものでした。
ところが、今回のアルバムはどうでしょう、わたしにははっきりと名曲主義とは決別したように聴こえました。それがこのアルバム全体を音楽的な野心とともに、Jポップの楽曲に島津亜矢の歌心がほとばしる刺激的なものになっているのではないでしょうか。
実際、洋楽からフォーク、さらに驚いたのがXジャパンの「Forever Love」までをレパートーに入れてしまうすごさは、いわゆる名曲をドヤ顔でうたうこととは真逆の、彼女がほんとうに「いい歌」と思う楽曲を、カバーアルバムでありながらオリジナルアルバムにまで昇華しようとする島津亜矢のボーカリストとしての覚悟と矜持を強く感じます。
何回も書いてきましたが、村上春樹のエッセイにアメリカの友人から勧められてスタンダードジャスのアルバムを聴き、最初はいいと思ったもののだんだんとどこか癖があるのが鼻について誰が歌っているのかと思うと、美空ひばりだったというエピソードがあります。
わたしは村上春樹が好きですが、このエピソードから村上春樹の小説にも音楽の趣味にもよくも悪くも無国籍の匂いがして、わたしは彼の感じ方とは全く違い、その「癖」にこそ美空ひばりの音楽的アイデンティティを感じるのです。
島津亜矢もまた、演歌歌手らしくないポップスの歌唱力を高く評価されるようになりましたが、わたしは少し違った感想を今は持っています。たしかに、演歌の特徴といわれる「こぶし」を限りなく消し去ることも彼女には簡単にできると思いますが、それではあまたのポップス歌手のひとりになるだけです。彼女の立ち位置は出自である既成「演歌」でもなく、といって既成のポップスでもない独自の道を目指すところにたどりついたところではないでしょうか。実際このアルバムを何度も聞いているうちに、あの美空ひばりがたどりついた地点に島津亜矢が立っていることを強く感じるのです。
彼女に最も足らないものは何でしょうか。それは歌です。彼女が歌うニューポップス、彼女が歌う新生演歌がまだないのです。彼女が一生けん命に努力している間、演歌はエンドレステープのように手あかに汚れた歌を増産し、ポップスには直接的な恋に心をちぢませる切ない歌があふれ、何万人という動員を誇るライブはあっても時代のかなしみを歌い、同時代の航行を共にできる「大きな歌」はなくなってしまいました。
アルバム「SINGER5」はそれでもまだ時代の輝きをもっていたかつてのヒットソングに彩られ、島津亜矢は今ある精いっぱいの歌心で見事に歌っているものの、実は「歌の危機」、「歌の崩壊」を感じさせる深いアルバムでもあるとわたしは思います。
個別には「First Love」に宇多田ヒカルとの共振を感じる他、「Forever Love」、「リバーサイドホテル」、「誕生」が好きですが、一方で「DESIRE-情熱-」は少し違い、島津亜矢はどうも中森明菜の歌の深淵にはまだ届いていない気がしました。
次回はそれらの個別の歌について書いてみようと思います。

島津亜矢「誕生」 中島みゆきリスペクトライブ歌縁2018・東京公演

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