「風雪ながれ旅」 島津亜矢大阪新歌舞伎座コンサート2

30分の休憩をはさんで第二部が始まると、尺八の素川欣也ともうひとり三味線奏者(ごめんなさい、名前はわかりません)が現れ、上手に尺八、下手に三味線の演奏、そしてバックバンドのイントロとともに中央のセリが上がり、島津亜矢が登場しました。
そして、「津軽じょんがら節」、「風雪ながれ旅」、「津軽のふるさと」と、いわゆる津軽3部作から演歌歌手・島津亜矢のなじみのコンサートが始まりました。
合間を縫うように会場のいたるところから「亜矢ちゃーん」と掛け声が響く中、会場の期待に応えるようにコブシをふり、体を前後左右にゆらしながら彼女は歌い始めました。
わたしは一部の戸惑いがちの新鮮なステージとはまたちがう、久しぶりの演歌歌手・島津亜矢の舞台に心がゆすぶられ、思わず涙を流してしまいました。
わたしはずっと以前から島津亜矢の今の姿、ポップスのボーカリストとして現在の大衆音楽のメインストリームに踊り出ることを願ってきましたが、それが現実のものになろうとする今、そのわたしでさえもポップスだけでは物足りず、ライブで島津亜矢の演歌を聴くことを心から待ち望んでいることに気づきました。
演歌が大衆音楽の中ではごく限られた領域であることと裏腹に、音楽のメインストリームはすでに70年代からポップスに移っていて、その広大な領域からは若い才能が次々と現れ、新しいポップスが若者だけでなく、わたしのような高齢者にまですそ野を広げています。ずいぶん前から、いわゆる「懐メロ」と呼んできた歌が演歌・歌謡曲からポップスに移っていることでもあきらかです。
島津亜矢のポップスは最近の演歌歌手の付け焼刃のような歌唱ではなく、おそらく歌手として活動をはじめたころからの努力が実を結び、すでに十分すぎるパフォーマンスを獲得していることは事実です。
しかしながらそれでもなお、ファンの方には叱られるかも知れませんが、島津亜矢本人にとってポップスはまだエチュード(練習曲)の段階だとわたしは思います。歌唱力や声量、声質などのハード面では少なくとも他のポップス歌手に引けはとりませんが、まだもうひとつ、演歌を歌う時のように聴く者の心に突き刺さり、心のひだにいつまでも歌が残る情念のようなものが足りないと感じます。
もちろん、それは彼女の一ファンであるわたしのわがままと承知していますが、彼女の稀有な才能はこの程度の開花で発掘されつくされるはずがないと思うのです。
いまもてはやされている「歌怪獣」というニックネームがどこかで色あせてしまうときが必ず来るはずで、その時までにポップスのボーカリストとしての確たる立ち位置を獲得してほしいと願っています。
それもまた、そんなに心配しないでいいのかも知れません。わたしは見逃したのですが、「さんまの東大方程式」という番組で、東京芸術大学音楽部生が選ぶ、歌が上手い歌手TOP10の9位に島津亜矢がランクインしたそうです。
もともと、バラエティー番組の企画もので、深い意味のあるものではありませんが、それでもこの事実は若い人をターゲットとする音楽番組で、「歌怪獣」というニックネームとともに島津亜矢がブレイクしたことを意味しています。彼女彼らは島津亜矢の演歌を聴いたことはほとんどないと思われ、純粋に島津亜矢のポップスを評価した結果でしょう。ポップスを歌える演歌歌手ではなく、演歌を歌えるポップス歌手として島津亜矢が音楽シーンに躍り出た瞬間に立ち会えたことは一ファンとして何物にも代えられない喜びです。
そして、彼女のポップスへの挑戦は演歌歌手としてのグレードをも高めることになりました。もともと演歌のジャンルでの彼女の歌唱力は高く評価されていたものの、演歌よりもはるかに広大なポップスの荒野には時代を超えたアーティストたちの格闘の記憶を蓄えた無数の歌たちが眠っていて、その多彩な表現をひとつひとついとおしくすくいあげるボーカリストもまた、歌唱力や声量、声質だけでなく、歌を詠み、歌を残すデリケートかつ大胆で多彩な表現が求められます。
いま、島津亜矢が水を得た魚のようにしなやかさと大胆な表現力でポップスに挑戦することで、島津亜矢の演歌は大きく進化する途上にあります。以前にも書きましたが、自由詩のポップスから定型詩の演歌へのブーメラン効果から、長年夢みてきた新しい「島津演歌」が生まれようとしています。
セットリストは忘れてしまいましたが、「愛染かつらをもう一度」、「帰らんちゃよか」、「海鳴りの詩」、「女にゃ年はいらないよ」、「大器晩成」、「凛」、「秋桜」、「娘に」「感謝状~母へのメッセージ~」など、長い歌手歴で蓄積されたオリジナルの「かくれた名曲」をうたいました。
わたしはあらためて「風雪ながれ旅」に心を打たれました。
「風雪ながれ旅」については何度か記事にしてきましたが、この曲は島津亜矢の恩師・星野哲郎が、門付けからカーネギーホール公演にまで昇りつめた初代高橋竹山をモデルにした作詞に、船村徹が作曲した渾身の名曲です。
初代高橋竹山の生涯に演歌・歌謡曲のルーツを重ねることで壮大な詩を生み出した星野哲郎と、盟友・高野公男の死後、その友情と志を抱いて「演歌巡礼」と称して自ら全国各地で演歌を歌ってきた船村徹が人生の一つの到達点・集大成として生み出した「風雪ながれ旅」は、北島三郎の幾多のヒット曲の中でもとびぬけた名曲として後世に残ることになるでしょう。この歌に流れるものは川原乞食や門付け、瞽女と呼ばれた吟遊詩人たち、時代と社会の底辺でうごめきながらひとびとの悲しい夢や埃まみれの希望や切ない友情を歌い継いで来た大衆芸能の歴史そのものだと思います。
島津亜矢は北島三郎と星野哲郎への最大のリスペクトを胸に、この魂の一曲をまさに歌の隅々、一つの言葉と一つの音にまで思いを巡らし、渾身の力で歌ってきました。
わたしは島津亜矢がもし海外で公演することになった場合、北島三郎の許しさえ得られれば、彼女が尊敬する3人の先達の深く熱い思いを持って、日本の演歌を超えたワールドミュージックとして歌うことになるでしょう。
あっという間に第2部のステージも歌謡名作劇場「おりょう」を最後におわりました。
久しぶりにライブで聴いた島津亜矢は新鮮で、多少のぎこちなさはあったものの、とても大きくて大切な一歩を踏み出したすがすがしさと、さらなる可能性を感じさせたステージでした。
この記事を書いている間にも「UTAGE!」、「新BS日本のうた」、「うたコン」と、島津亜矢が出演するテレビ番組があり、露出度が高くて追いかけられません。
それらについては次の機会に報告します。

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