島津亜矢の「函館山から」・「BS日本のうた7」その1

わたしの今のマイブームは、島津亜矢のアルバム「BS日本のうた7」です。
島津亜矢はNHKのBS放送で毎週日曜日に放映される「BS日本のうた」という番組で、自分のオリジナル曲とともに演歌の名曲からさまざまなジャンルの曲を歌ってきました。アルバム「BS日本のうた」シリーズは、この番組で歌った曲を独自にレコーディングしたもので、すでに今回で7作目になっています。
1作目のアルバムは2000年ですから、以前にも書きましたが今回までで16曲×7=112曲が収録されたことになります。番組では同じ歌を何度も歌うこともあったと思いますので、いかにたくさんの歌を歌ってきたことかとびっくりしてしまいます。おそらくそれでもまだアルバムに収録されていない歌も少なからずあることでしょう。
先に1作目を買ったわたしは、順番に買っていこうと思って箕面の音楽ショップ「ピッコロ」に取り寄せをお願いしに行くと最新作が置いてあり、つい誘惑に負けて買ってしまいました。
「マイ・ウェイ」、「一本釣り」、「リンゴ追分」、「恋慕海峡」、「浪花節だよ人生は」、「兄弟仁義、「シクラメンのかほり」、「哀愁列車」、「心もよう」、「函館山から」、「襟裳岬」、「遠くへ行きたい」、「愛染かつらをもう一度」、「釜山港へ帰れ」、「京都から博多まで」、「夫婦春秋」の16曲が収録されています。かなり以前に番組で歌ったものも多いようですが、16曲中13曲を新しくレコーディングしているため、古くからの島津亜矢ファンにはたまらないアルバムと言えると思います。
この番組の記録映像が最近復活しているのでそれをご覧いただければおわかりになると思いますが、彼女の場合すでに2000年頃にはある意味どの歌を歌っても音楽的に完成されていて、この番組を通して彼女に対する評価が一気に高まったことと思います。
「一本釣り」、「恋慕海峡」、「愛染かつらをもう一度」はオリジナル曲で元原音だとしたら、カバー曲はすべて今の島津亜矢がもう一度歌いなおしたことになるのでしょうか、どの歌ももう「上手い」とかいう領域ではないところから聴こえてくるように思えてなりません。
前にも書きましたように、20代後半から40代になるまで天賦の才能もひたむきな努力も報われなかったことも多々あったであろう長い年月は、粘り強く歌の道を広げ、歌の心を深め、さらに現在の芝居へと通じる果敢な挑戦をへて今、ナチュラルで透明でやや硬質のきらきらする声と、圧倒的な説得力でわたしたちを歌のもっともやわらかいところへといざなう歌唱力、そして年を重ねるごとにより清楚でより肉感的でより包容力を増していくその立ち振る舞いを用意してくれたのだと思います。
取り上げたい歌がいっぱいあるのですが、その中でもいちばんは「函館山から」でしょう。この歌は小椋佳が作詞作曲し、美空ひばりが歌った名曲ですが、島津亜矢が歌うとまたすこしちがう雰囲気を持っています。
小椋佳は今の音楽状況の中で、ポップスと演歌をつなぐことのできる数少ない作家のひとりで、わたしはこのひとなら島津亜矢にぴったりの楽曲を提供できるのではないかと思っています。事実、阿久悠のアルバムが出たために今はあまり歌われていませんが「歌路はるかに」はとてもいい歌だと思います。ただ、星野哲郎のようには無理でももう少し親しくなり、二人の歌への想いが重なれば素晴らしい歌が生まれるのではないかと思うのです。小椋佳が島津亜矢の「函館山から」や「シクラメンのかほり」、「山河」を聴いてくれたら、必ずや彼女の多彩な才能をあらためて発見し、その無数の可能性の引き出しを開け、彼独特のインスピレーションとイマジネーションを駆使した素晴らしい歌が続々と生まれるにちがいありません。
私より3才年上の小椋佳は、27才の時のデビュー曲の「さらば青春」からすでに失われた青春を歌っていました。わたしは彼が寺山修司と縁があると何かで聞いたことがありましたが、デビュー前に寺山修司のラジオ番組で歌が取り上げられ、寺山修司の劇団「天井桟敷」のはじめての自主制作アルバム「初恋地獄篇」の音楽を担当していたと今回初めて知りました。ちなみに同名の映画は寺山が脚本に参加、羽仁進監督で、劇中に北島三郎の「函館の人」が流れ、寺山修司らしいシーンだったことをおぼえています。
ささやかな恋や繊細な心の動きをみごとにとらえた歌詞ときれいで物静かな曲調から、ニューミュージックと呼ばれましたが、わたしはどこかそれにそぐわないようなものを彼の音楽に感じていました。それはある種の暗さのようなもので、村上春樹の小説に時々出てくる「取り返しようがなく、最初から決定的に傷つき、人格をそこなわれてしまった」登場人物の悲しみがただよっていると感じていました。小椋佳を寺山修司が認めたのも、そのあたりにあるように思います。
個人的な暮らしのちょっとした出来事を歌にしているようで、実はその中に色濃く影を落としている時代の空気感が伝わって来る彼の音楽性の幅広さは、いつのまにか美空ひばりに歌を提供するようになっていきました。
「函館山から」はシングルでは「愛燦燦」のB面の曲らしいのですが、「さらば青春」からまた長い年月が過ぎ、どうしようもなくかたくなで、傷つけることでしか愛することができなかった「青い時」に想いをはせる、とてもせつない歌です。
「今はただ胸にしみる ひとりの寒さよ お前はもう 若くはないと とどろく波よ」。
きっと誰もが思い当たることがあるのではないでしょうか。わたしもまた65年を生きてきて、後ろを振り向くのが怖いぐらい何度も傷つき、また他人を傷つけてばかりの人生だったのではないかと落ち込む時があります。
怒られるのを承知で言えば、美空ひばりはこの歌をひとつの風景のように見事に語ってくれるのですが、島津亜矢が歌うと男であることから逃れられないわたしの心のふるえと共振し、思わず涙が出てしまうのです。その意味では小椋佳の歌に近いかも知れません。
かねてから思っているのですが島津亜矢は力強い男歌だけではなく、傷つき、また傷つけてしまう悲しい少年の心を捨てられない「弱い男」のかなしみを歌える数少ない歌手であるばかりでなく、聴く人の心の琴線にふれるほんとうの歌を歌える稀有の歌手だと思います。
小椋佳のことも「函館山から」のこともなかなかちゃんと書けずにもう紙面がなくなってしまいました。このアルバムの他の歌については、新年にまた書いてみたいと思います。

今年も一年間、わたしのブログにつきあってくださってありがとうございました。
新しい一年が、ともに生きるすべてのひとの希望をたがやす一年でありますように、心からお祈りします。

美空ひばり「函館山から」

島津亜矢「函館山から」

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