島津亜矢「感謝状~母へのメッセージ」

9月11日のNHK歌謡コンサートに島津亜矢が出演し、「感謝状~母へのメッセージ」を歌います。島津亜矢が紅白歌合戦に出場した時にも歌った歌で、この歌を歌うと彼女自身も観客も涙を流してしまう、コンサートでは欠かせない一曲です。
一般的に母物の歌や芝居が涙なくしては聴いたり観たりできないようにプロデュースされていることへの疑問を持ちながら、かくいうわたしもいつもこの歌を聴いては不覚にも泣いてしまうのは、わたしの母へのやるせない思いと後悔が、すでにこの世を去って15年たっても心の底によどんでいるからなのです。以前島津亜矢の「ヨイトマケの歌」の記事で書いた文章と重なるところがありますが、もう一度母との別れを書いてみようと思います。

おててつないで 野道をゆけば
みんなかわいい 小鳥になって
歌をうたえば くつが鳴る
晴れたみ空に くつが鳴る
1997年夏、わたしは母の手をにぎりながら、何十年ぶりかにこの歌をくちずさみました。病院の窓からは、山にへばりついた家々の灯がにじんでゆれていました。
その半年前に脳梗塞で入院し、やっと退院し、車いす生活になれようとしていた矢先のことでした。退院後数日で、母はまた脳梗塞で救急車で運ばれ、同じ病院に入院する羽目になりました。86才という年齢から言っても、今度は何が起こるかわからないと医者に言われ、数日間病院で寝泊まりしました。
頻繁に呼吸が止まり、わたしは思わず彼女の動かない手をにぎりしめました。
つないだ手と手のすき間から、「ずきん、ずきん」と脈が伝わってきます。心臓へとたどりつく血の鉄道は体の地平をかけめぐり、皮膚をつきやぶるような熱いリズムを刻んでいました。消えそうになったとたん、老いた胸をふくらませたかと思うと、とつぜんからだ中の長い長いトンネルをくぐりぬけ、鼻から口から風が吹く。日常とはちがう思いつめた静けさの中で、長い間忘れていた「いのち」の歌がきこえてきました。
女ひとりで一膳めし屋を切り盛りし、必死で生きてきた母と兄とわたしの、いまはもうなくなってしまった子ども時代の風景。それぞれの人生はそれぞれであるしかないように、ひとは自分で幸せになるしかない。そう思って高校卒業してすぐ、ひきとめる母をふりきり家を出ました。やがて兄もわたしも大人になり、それぞれの「家」を持った時、「2人の子どもを育てあげた」ことの他に、どんな時とどんな風景とどんな幸せが彼女の人生にあったのか、わたしには知るよしもありませんでした。兄が学校を2年おくれるほどの病気で、ほとんど母に手をつながれた記憶のないわたしが、母の手をにぎりしめていました。働きつづけたその手のいとおしいぬくもりを、いまでも忘れるみとができません。
人間は歌うことをおぼえて人間になったというひとがいます。
人間は前足が手にかわった時から歴史をつくったというひとがいます。
人間は手をつなぐことで愛することをおぼえ、いのちのリズムを共にする音楽を知ったのかも知れません。そしていのちの彼方とこちらをつなぐ手と手が、歴史の誕生と歌の誕生がひとつのものだったことを教えてくれます。
その歌は演歌でもロックでもジャズでもクラシックでもない、そしてそれらのどのジャンルでもかまわない。手をつなげば小鳥になり、くつが鳴る。にじんだ夜空にくつが鳴る。
ああ、長い間、こんなせつない歌を歌い、聴いたことがありませんでした。

母の時間はもう何日も残されていませんでした。
その日の朝早く、ひときわ強く雨が降り、雷がとどろきました。付き添いのベッドで眠ってしまったわたしが目を覚ますと、母はわたしのほうに顔を向けていました。口からは、いつもとちがう「ぶるぶる」という音とともに、つばがあふれ出ていました。おかしいと思いつつ一時間はたったでしょうか。突然またつばがあふれ、顔の血の気がすっとなくなりました。わたしの前から、母のいのちは遠くへ旅立っていきました。
8月1日には86才の誕生日を迎えるはずの1997年7月13日、日曜日でした。病室の窓から何度も見た箕面の山々は降りしきる雨にぬれてぼんやりとくもり、その下に広がる街並みは、一日の生活をはじめようとしていました。

母が亡くなり、除籍謄本を取りに摂津市役所に行きました。その帰り、JR千里丘駅の近くの生まれ育った街を歩きました。古い記憶にあるぼんやりとした地図をたよりに路地を抜け、住んでいた家の前をそっと通り過ぎました。
小学校の同級生の家の表札、昔ながらのお店。母が焼き芋屋をしていた所。このころ母は心中しようと思ったことがあったそうですが、幼いわたしが日の当たらない暗い部屋でいくつも金鳥蚊取り線香に火をつけ、「おかあちゃん、部屋明るなったやろ」とはしゃぐのを見て思いとどまったとずっと後に聞かされました。
子どもの時に広く感じたはずの小さな街を歩きながら、涙があふれました。
かあさん、あなたはこの街でどんな夢を見ていたのですか。

島津亜矢は自分の歌にかぎらず、歌のつくられたプロセスがよみがえるような歌唱でいつもわたしたちをおどろかせ、感動させてくれます。しかも、「島津亜矢ならどう歌うか」というような「ちがった解釈とちがった歌唱」ではなく、ある意味面白さに欠けるのではないかと思われるぐらい元歌どおり、楽譜どおりに歌っているのに、元歌の歌手の個性やくせを剥ぎ取った後にかくれている「歌のいのち」のようなものがよみがえってくるのです。
元歌を変えないそんな島津亜矢には珍しく、「感謝状~母へのメッセージ」では、一ヵ所だけ「おかあさん」と言う歌詞を歌うのではなく語りかけるように変えています。
「おかあさん」というこの語り、つぶやき、ささやきには、とても幸せな響きがあります。それはきっと彼女自身のおかあさんが二人三脚のように歌の荒野を共に切り開いてきてくれたことへの深い感謝の気持ちがそのまま言葉になり、歌になっているからなのでしょう。星野哲郎作詞、弦哲也作曲によるこの歌は、島津亜矢の人生そのものを語り歌うことで、この歌を聴く何千人、何万人のひとりひとりの人生をたどり、ひとりひとりの「おかあさん」を思い、そしてひとりひとりの生きる勇気を奮い立たせてくれる名曲だと思います。

島津亜矢「感謝状~母へのメッセージ」星野哲郎作詞・弦哲也作曲

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