島津亜矢の「時代」

1月6日のNHK「BS日本のうた」に島津亜矢が出演し、三波春夫の「雪の渡り鳥」と中島みゆきの「時代」を歌いました。
「雪の渡り鳥」は島津亜矢が何回も歌ってきたのと、彼女のホームグラウンドといわれている(わたしは必ずしもそう思っていないのですが)エリアの歌なのでまたの機会に書くことにます。ただ、いまわたしはアルバム「BS日本のうた7」をずっと聴いているのですが、以前よりもブレス(息)が気にならないのと低音がぞくっとするほど肉感的で、島津亜矢というと声量とのびのある高音に評価があつまりますが、最近の声が出る限界のようにも聞こえる低音によって歌に奥行と陰影が加わり、今の島津亜矢の大きな魅力のひとつになっているとわたしは思っています。
「雪の渡り鳥」でものびのある高音と絶対にはずさない音程と他を圧倒する歌の解釈と歌唱力に加えて、ほとんど出番がないような低音の魅力が光っていたと思います。
そして、「時代」・・・。1975年、中島みゆきのセカンドシングルとして世に出たこの歌は彼女のデビューの頃の名曲で、たくさんの歌手がカバーしています。
島津亜矢はいままで何曲か中島みゆきの歌を歌っていて、本人が話しているようにどの歌を聴いても、彼女が中島みゆきの歌をとても好きなことがまず伝わってきます。
ファンの方の情報で今回「時代」を歌うと聴き、とても楽しみにしていましたが、思ったとおりの歌唱でした。というのも、このごろずっと書いていますが、島津亜矢はこの1、2年で大きく変貌し、透き通る声や声量や歌唱力はもとより、なによりも表現力が一段と多彩になっていると感じています。
「時代」は当時23才の中島みゆきの初々しさが前面に現れた歌であるとともに、それ以後の独特の歌詞と曲でカリスマとなっていった源泉のようなものを感じる歌だと思います。島津亜矢はその初々しさを見事に表現しながら、中島みゆきのその後の足跡を一音一音たどるように歌っていて、完成された歌唱の中にどこか少女のたどたどしさを漂わせています。
振り返ると、どんなカバー曲ももはやカバー曲とは言えない領域に達している島津亜矢にとって唯一、中島みゆきの歌だけはまだまだ奥深く、遠い道のりを残す途上と感じているのではないか。もしそうであるならば、島津亜矢は中島みゆきの歌の生まれるもっともやわらかい場所にたどりつける数少ない歌手のひとりにちがいありません。

中島みゆきは暗いとか臭いとか言われながらも、熱烈なファンがわたしのまわりにもたくさんいて、このひとこそディーバ(歌姫)という名にふさわしいシンガーソングライターですが、わたしはコンサートには行ったことがありませんがある時期、熱烈なファンでした。
それは1978年から80年、わたしが30才の前半の頃で、1978年のアルバム「愛していると云ってくれ」、79年のアルバム「親愛なる友へ」、80年のアルバム「生きていてもいいですか」の3枚のアルバムは何度も聴き、口ずさんでいました。
1975年にメジャーデビューした彼女が独自の歌の世界を確立し、その後の未踏の音楽の地へと歩き始めたころといえるでしょうか。わたしもまた1970年、ビートルズ解散とともに青春が終わり、たどたどしくも会社勤めを始めてから数年が過ぎたころでした。
3枚のアルバムに収録されている中で「わかれうた」は大ヒットした歌ですが、わたしは「世情」、「タクシードライバー」、「狼になりたい」、「船を出すのなら九月」、「エレーン」が大好きで、今でも「世情」と「エレーン」はわたしの人生の羅針盤ともいうべき歌になっています。
「変わらない夢を流れに求めて 時の流れを止めて変わらない夢を 見たがる者たちと戦うため」と歌う「世情」は、今の時代にこそ光を放つ深い歌だと思います。
また、「生きていてもいいですかと誰もが問いたい エレーン その答えをだれもが知っているからだれもが問えない」と歌う「エレーン」は、顔見知りの外国人娼婦が全裸の惨殺死体となってゴミ箱に捨てられていた事件からできた歌といいますが、排除されてきたひとびとへのやさしいまなざしと、社会へのきびしいまなざしが同居した名曲です。
1970年代、時代と個人との対置の中から数々の名曲を世に出した阿久悠が、80年代に入り、シンガーソングライターの台頭などから歌作りに興味をなくしていったことはよく知られています。それは彼が口にした、今のJポップへと突き進む流れに対する批判的なものだけではなく、かつて阿久悠がけん引してきた新しい歌作りを簡単に飛び越え、さまざまな人間たちの心の闇や切ない夢、はかない恋の地平に時代の匂いを漂わせる中島みゆきの歌に、心の中では率直に可能性を見出していたかもしれません。
阿久悠がめざし、つくりあげた「新しい歌謡曲」は中島みゆきのようなシンガーソングライターにしっかりとひきつがれていったのだと思います。
そして、島津亜矢もまた中島みゆきの歌の奥深さに引き込まれるように、その正体を知りたいと一生懸命なのではないでしょうか。好き嫌いはいろいろあるとして、中島みゆきの歌には時代の空気とともに、その中で生きるひとたちの切実な人生があります。島津亜矢もまた歌を必要とし、愛を必要するひとたちにこそ届く切実な歌を歌える数少ない歌手であるからこそ、中島みゆきの歌をとても大切に歌っているのだと思います。
島津亜矢の偏向なファンであるわたしはいま、小椋佳とともに中島みゆきが歌を提供してくれたらと切実に思っています。そして願うことならば、「あざみ嬢のララバイ」、「化粧」、「地上の星」、「紅灯の海」、そして今回の「時代」に加えて、わたしの大好きな「世情」、「エレーン」などを含む中島みゆきの歌を島津亜矢が歌うアルバムが企画制作されたらと願っています。

歌はほんとうに不思議なものですね。前回のブログに書きましたように、いまわたしは愛猫メイの死を必死に受け入れようと努力しているところですが、1月6日に島津亜矢が歌った「時代」は、いま録画で見直すとまるでちがう歌のように聴こえます。

今はこんなに悲しくて涙もかれ果てて
もう二度と笑顔にはなれそうもないけれど
そんな時代もあったねといつか話せる日がくるわ
中島みゆき「時代」

島津亜矢「時代」

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