島津亜矢・新歌舞伎座座長公演 第二部

さて、いよいよたくさんの方々が絶賛されている第二部の幕開けです。
予想どおり、宝塚の超ベテラン演出家でショーの構成・演出では定評がある酒井澄夫らしいステージだったのではないでしょうか。コンサートとはちがい、芝居の後のショーはどうあったらいいのかを知り尽くした構成だったと思います。
というのも、コンサートの場合は第一部の幕が上がった時、舞台中央奥の階段の上にたったひとり、島津亜矢がそれまでの空気を突き破るように立っていて、その瞬間にもうわたしたちは彼女の世界に入り込んでしまいます。
今回のステージでは第一部の、それもまったく傾向のちがう芝居の余韻をまだひきづっているわたしたちに、ゆっくりとショーの空間に誘い入れる演出だったと思います。
スタートはシャンソンのメロディーで島津亜矢が突出せず、むしろショーのほのあたたかい空間に静かに降り立った歌の天使のようでした。
わたしたちがシャンソンのパリ・メロディーに浸った頃合いに短いトークの後、島津亜矢が「ニコラ(初恋のニコラ)」を熱唱すると、もう劇場全体がパリの街の空気に包まれてしまいました。見事な構成演出ですが、島津亜矢はそれをも越える見事な歌唱力で、120パーセントの演出効果を引き出してしまいます。
わたしたちは、何年かのちにさらに大きなスーパースターになっているだろう島津亜矢の「あの時」として、この瞬間に立ち会えたことをけっして忘れないことでしょう。
「ニコラ(初恋のニコラ)」はシルビー・バルタンの1979年のヒット曲ということで、不明にもわたしは知りませんでしたが、「アイドルを探せ」や「あなたのとりこ」など日本でも大ヒットし、フランス・ギャル、カンツォーネのジリオラ・チンクェッティとともに、私の青春時代のアイドルでした。
昨年のコンサートで歌い続けたチンクェッティの「愛は限りなく」といい、今回の「ニコラ」といい、島津亜矢自身の選曲なのか酒井澄夫や周囲の提案なのか知る由もありませんが、島津亜矢の才能を引き出してくれる歌で、今年のコンサートツアーが楽しみになりました。
次に歌った「愛の讃歌」は2002年のリサイタルでも歌っていて、わたしはDVDで聴いただけですが、まったく別の歌に聴こえるぐらいすばらしいものになっていました。
それはなにも、2000年より声量、声質、表現力が現在の島津亜矢の方が勝るのかといえばそうではないように思います。むしろ2000年ごろの島津亜矢には今の彼女にない魅力があります。以前にも書いたようにエルビスや北島三郎が持っていた「不敵さ」が、声そのものにあるのです。それはたしかに若さが持っていたものなのかも知れません。
うまくいえないのですが、ガラスの破片が壊れてしまった青い夢を映しながら、自分や他者の心を傷つけてしまう凶器にもなるように、時には甘く切なく、時には残酷で容赦のない青春を歌える稀有の声が若い島津亜矢にはあり、彼女がもしロック歌手ならばその声を持ち続けなければならなかったのかもしれません。
しかしながら演歌歌手であったことが幸いしたのか、だれもが一度は通り過ぎなければならない青春の後にこそ必要とする愛を歌い、生き急ぐ心の底で悲鳴を上げる魂の震えにこそ届く歌を歌える、肉感的で包容力のある声を今の島津亜矢は持っています。
島津亜矢のファン歴の長い方ならライブで、わたしのように最近のファンならDVDでその両方を楽しむことができますが、島津亜矢のすごいところは、彼女の歌に衰えどころか、その進化がまだまだ続くにちがいないということです。おそらく加齢のせいではなく意識的に若い時の声から今のようなやや硬質で透明感のある、くせのない自然な声に進化させたと思うのですが、最近とくに気づくのは若い時にはなかった奥行きのある低音がとてもきれいで、聴く者の心の奥にまで届き、魂を共振させることです。
「愛の讃歌」にかぎらず、今回歌った歌がまるでちがう歌に聴こえたのは島津亜矢の進化もありますが、もうひとつはやはり演出にあるように思います。酒井澄夫の演出はどちらかといえばオーソドックスで手堅いもののように感じました。
前回の御園座の時は葵好太郎という素晴らしい役者がいたからこそ、島津亜矢が歌ってきた名作歌謡劇場「梅川」を「もうひとつの芝居」に仕立て、わたしたちを驚かせました。
それにくらべて今回のステージでは島津亜矢をトップスターとしたショー全体を「もうひとつの芝居」として見せてくれたように思います。不思議なものでシャンソンからミュージカル、アメリカンポップス、日本のポップス、そして演歌と、これだけ幅広いジャンルの歌を歌っても、島津亜矢の歌手としての立ち居地がまったくぶれていないことに、あらためて気づかせてくれました。
カタログ(冊子)の中で酒井澄夫は「彼女は日本人の心が歌える人です。私の仕事は彼女の心の歌を如何に美しく見せるか・・・そして僅かでも新しい彼女の世界を開くことが出来れば・・・と思って構成しました。現代、時の流れの速さに、ややもすれば失われがちな、美しい日本人の心を彼女の歌を通して感じてもらえる舞台が出来ればと思っています。」と書いています。さすがに、宝塚の舞台を長年つくって来た人らしい言葉だと思いました。
この方は演出家というより職人さんと呼んだ方がいいのかも知れない、鋭い現場感覚と役者や歌手の肉体性を引き出す巧みなわざを持った人のように思います。そうでなければ、島津亜矢をよく知っている人ならなんの矛盾も感じない組み合わせですが、演歌歌手と宝塚という一般的にミスマッチに近いと思われる依頼を受けた彼が、ここまで彼女の本質と可能性を発見し、やりなれた宝塚のステージでもなく、また演歌歌手のステージとしてのお約束を踏襲するのでもなく、みごとに島津亜矢の魅力を最大限に引き出したステージに構成することはできなかったでしょう。
また、そんな複雑な心境から生まれた構成作家の意図を理解し、それ以上のステージに高めた島津亜矢の末恐ろしい才能に心が震えました。
今回のステージでの音響のすばらしさや、中島みゆきの「地上の星」や、「雪が降る」、「名月赤城山」など書きたいことがあるのですが、すでに紙面が埋まってしまいました。
わたしはあと1回だけ、3月4日の最終日にもう一度新歌舞伎座に行きますので、その時かまた別の機会に書こうと思います。

プライベートには少し心がおだやかではない日々の中で、この公演はわたしのややささくれ立った心を緩やかにほぐしてくれました。感謝です。
わたしのように、まだ当日券や電話予約ならチケットを確保できる場合があるようです。
ぜひ、大阪近辺の方に島津亜矢を観ていただきたいと願っています。
トピックストップから新歌舞伎座のトップページにリンクしています。公演日と昼夜公演の日程と問い合わせの電話番号もすぐにわかります。

シルビー・バルタン「ニコラ」
シルビー・バルタンのオリジナルです。どこかでまた書こうと思うのですが、島津亜矢のシャンソンは、「いかにもシャンソン」のような歌い方ではないことで、かえってシャンソンの心をとらえているように思います。
原田芳雄「愛の讃歌」
「愛の讃歌」はエディット・ピアフの恋人だったマルセル・セルダンが飛行機事故で亡くなったのを悼んで作られたと聞いていましたが、ウェキペディアによるとセルダンの生前に書かれたもので、妻子を持つセルダンとの恋愛に終止符を打つ為に書いたということです。日本では岩谷時子の訳詩で越路吹雪が歌ったのがもっともメジャーですが、「テネシーワルツ」と同じように一般的な愛の歌になっていて、それに物足りないといろいろな人が独自に訳したものをたくさんの歌手が歌っています。
わたしもまた、つくられたエピソードを信じて越路吹雪の歌をあまり好まなかったのですが、原田芳雄がつか・こうへい原作、若松幸二監督「寝取られ宗助」のラストで歌う岩谷時子訳詩の「愛の讃歌」がいちばん好きになりました。この映画と歌についていずれ書きたいと思っています。叶わないとは思いますが、島津亜矢さんにぜひこの「愛の讃歌」を聴いてほしいです。ばってん・荒川の「帰らんちゃよか」がわかる亜矢さんならきっと原田芳雄(というよりは寝取られ宗助)の「愛の讃歌」を深く受け止めてくれると信じています。
長谷川きよし「愛の讃歌」
長谷川きよしはエディット・ピアフのオリジナル曲の歌詞の直訳に近い訳詩をたしか高校の恩師に依頼し、この歌を歌っています。この人の歌も島津亜矢さんに聴いてもらいたいと思います。

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