島津亜矢「むらさき小唄」と集団的自衛権

先日、NHKのBS日本の歌」で昨年の夏に放送された大町市での公開録画の再放送があり、島津亜矢が「むらさき小唄」と「娘に」を歌いました。
以前の記事にも書いたと思うのですが、1935年に東海林太郎が歌った「むらさき小唄」は林長二郎(長谷川一夫)の主演映画「雪之丞変化」の主題歌でした。
映画は父親をはじめ家族一同が抜け荷の濡れ衣を着せられ処刑され、旅芸人の一座に拾われて女形の看板役者になった雪太郎が、義賊・闇太郎の助けをうけて、親の仇である長崎奉行たちに復讐する話で、映画もこの歌も大ヒットしました。
この時のことについては記事にしていますので、また読んでいただければ幸いですが、小唄をベースにしたはばの狭い音程で抑揚のないこの歌を歌うにはよほど懐の深い歌唱力を必要とすると思われますが、島津亜矢はすばらしい歌を聴かせてくれました。
この時代、すでに歌は軍国主義の嵐に飲み込まれようとする中、雪之丞の復讐劇は赤穂浪士とともに「反権力」の気骨が隠されていて、当時の人々は戦争への不安を隠してこれらの歌や映画にわが身を照らし、受け入れていたのではないでしょうか。思えば歌や芝居や語りなどの大衆音楽は、いつも時の権力の理不尽な暴力に立ち向かうヒーローをつくりだしてきました。そのいわゆるかぶき者の文化は「侠客」と呼ばれたアウトローたちに受け継がれる一方、歌舞伎や浄瑠璃に受け継がれたことを思うと、歌謡曲もまた大衆芸能の誕生と歴史をルーツに、大衆の心の叫びや怒りをかくしてきたのだと思います。
それにしても、今の世の中の空気は当時とよく似ているような気がして、とても心配です。おりしも集団的自衛権の行使が憲法解釈だけで実行できるところまで、わたしたちの社会は来てしまいました。
わたしは奇しくも1947年、憲法と同じ年に生まれました。小学生のころから大人たちが憲法9条を理想・絵に描いた餅として、現実は憲法通りにはいかないと言うのをずっと聞きながら大人になりました。それでも、どうにかこうにか憲法9条はいままで、戦争をしない国のよりどころとなってきました。
わたしの若いころは、戦争を体験した年上の人たちの話をよく聞かされたものでした。自慢話から悲惨な話まで、実際に戦地に赴き、銃を持ったひとたちの話には、その人たちにしかわからない重さがたしかにありました。しかしながら、実は彼らが語らなかったこと、語れなかったことの中に彼らの真実があり、その真実が憲法9条を支えてきたのではないかと思うのです。
わたしが鮮明に覚えている話は、ずっと前に亡くなってしまった妻の父親が話してくれました。妻の父親はほんとうに心優しい人でしたが、東南アジアの戦地に派遣され、衛生兵として服務していました。ある日、上官が彼を含む数人の兵士にひとりの人間の射殺を命じたそうです。一対一ではなく、数人が銃を撃つことでトラウマを分散させる意味があったそうです。また、その人間が敵の兵士だったのか民間人だったのか、兵士だったとしても捕虜を銃殺することは重大なる戦争犯罪ですが、彼はただただ考えることをせずに引き金を引いたそうです。
そして、長い行軍の間、クラシックが大好きだった彼はシューベルトの子守り歌を心の中で歌いながら、いつか故郷へ帰ることを念じていたそうです。
いま、戦争を体験したひとたちが必死にもう一度戦争体験を語り始めようとしています。いままで彼らが語れなかった戦争体験を語り、「戦争はだめだ」と叫び、「戦争を知らない者が軍事力にたよろうとする危険」を訴える時、はたして集団的自衛権のもとで「戦争をしてもいい国」にしてしまう安倍政権の政治家たちは、心を切り裂くその話に耳をかたむけられるのでしょうか。

「むらさき小唄」から「集団的自衛権」へと飛躍してしまいましたが、島津亜矢が歌う昭和初期の歌を聴くとき、いつもあの戦争へと追い詰められていった時代のかなしみがひしひしと伝わってくるのです。
若い時には傲慢にも戦争を止められなかったその時代の人々を批判的に見てしまったのですが、どんどん道が狭まって行く中で、最後には自分の家族や恋人、友人を守るためと言い聞かせて、自分の命までも差し出さざるを得なかったひとびとのかなしみがわかるようになりました。
そして、明日はわが身ではないですが、いままたその大きなかなしみをわすれ、同じ轍を踏もうとする力に対置しなければ、数多くのつらい証言を残してこの世を去って行ったひとたちにも、これからの時代を担うひとたちにももうしわけがたたないと思っています。
そんなことを思うと、最近また島津亜矢が「戦友」を歌っていると聞きましたが、以前は正直にいうと抵抗があったのですが、今はかえってこの歌が「非戦の誓い」のように思えてくるのです。事実この歌は戦争中、戦意をなくすという理由で発禁になったそうです。
また、島津亜矢が得意とする「股旅もの」、「侠客もの」の歌も、世間ではなんとなく自主規制している感があります。わたしは暴力を認めるものではありませんが、長谷川伸の名作や今は亡き山下耕作の東映の任侠映画など、暴力によって「正義」をつらぬくのは間違った幻想でしかないことは承知の上で、「お上」や国家が民衆に理不尽な暴力をふるう時、社会から排除されたり自らはみ出してしまうアウトローが国家と対置するヒーローにまつりあげられたとしても、しかたがないことだと思うのです。
結局のところ、雪之丞も国定忠治も、国家と対置する個の異議申し立ての物語として、社会主義や共産主義が果たせなかった個の「もうひとつの革命」をめざしたヒーローだったのでしょう。しかしながらそのヒーローは、実は巷の路地で生きるふつうのひとびとのささやかな願いの究極の化身であったことを、東海林太郎の歌や長谷川伸の芝居や新国劇の芝居が教えてくれていたのだと思います。
「むらさき小唄」を聴き、あらためて島津亜矢が時代を越えてひとびとが託し、受け継いできた「大きなかなしみ」を歌える数少ない歌手のひとりであることを実感しました。

いよいよ4日、大阪新歌舞伎座の特別公演の幕が開きます。わたしは今回は初日と千穐楽に行くことにしました。どんな島津亜矢が観れるか、とても楽しみです。

島津亜矢「むらさき小唄」

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