島津亜矢「のど自慢」と氷河期の被災地

28日、29日と仙台に行ってきました。わたしが働いている被災障害者支援「ゆめ風基金」の総会と、東日本大震災から4年ということで、仙台でシンポジウムが開かれ、参加してきました。
 駆け足の移動で、会場の仙台市中央部だけを見たら復興しているように見えますが、シンポジウムのパネリストたちから復興も再生も遥か遠い沿岸部や、とくに原発事故の地域の重く生々しい証言が相次ぎ、遠く離れた大阪にいて新聞などの報道では届かない困難な現実に、心がつぶされるようでした。
 被災地の現状は日本社会の未来の縮図とも言われます。とくに原発被災地を中心に介護職の著しい減少が大きな問題となっています。それでなくても日本社会全体で介護職を担う人が少なく、これからの高齢社会が崩壊しかねない危険が指摘されています。
 アベノミクスと被災地の復興需要で雇用が進む一方で、最近高齢者施設の倒産や事業縮小が大きな問題になっています。もともと介護職の所得が少なく、重労働、勤務時間の長さなどでなり手が少ない上に、原発被災地では放射能汚染が一般報道とはまったくちがい、県外に避難移住する人たちの中に若い介護職の人々も少なからずいて、高齢者や障害者の生活を支える力が著しくなくなっているのです。
 そしてまた、全体として人口減少が日本社会全体よりも先行して進む中、反対にいわき市では原発被災地からの避難者が流入し人口が増えていますが、避難してきた住民と元々の住民との間のトラブルが絶えないことや、介護を必要とする障害者や高齢者も増える中でどんどん介護する人がいなくなり、被災地の現状は「また来る春」を待つ冬ではなく、氷河期になっているという発言が胸に突き刺さりました。
 しかしながら、少なくともその重く暗い現実は日本の未来の写し絵である以上、わたしたちの未来の姿であることを共有することからしか始まらないことも真実で、日本各地のどこで暮らしていても、被災地の人々ともに生きることを確認し合ったとても大切な集まりになりました。

 そんなわけで、島津亜矢がゲスト出演した29日の「のど自慢の」録画を先ほど観た所です。今回の出演は五木ひろしと一緒でしたが、ちょうど新曲「独楽」が発表されて2カ月で、歌の情宣のためにも、また歌がちょうどなじんでくるという意味でもいいタイミングでした。
 のど自慢については以前にも書いてきましたが、戦後1946年1月、ラジオ放送から始まったこの番組は、アマチュアが出る視聴者参加番組として草分け的な番組です。1953年にテレビ放送が開始されと、ラジオとテレビで同時放送されるようになります。
 戦争の傷跡が世界中に残っていた頃、もうひとつの大きな傷跡、心の傷跡は現在でも癒されることがないほどのもので、九死に一生をえて戦後ぞくぞく帰ってきた復員兵たちや戦災孤児となった数多くのこどもたち、猛烈なインフレの嵐の中で食べ物をわけてもらうために地方の農村へと殺到するひとびとであふれた買い出し列車…、体の糧も心の糧もそのすべてをなくし、今日一日を生きるためだけに生きていた時代であっても、どれだけ多くの人々が歌を必要としたのかが、第一回の放送に応募者が900人以上にもなったことからもうかがえます。
 戦後最初のヒット曲「りんごの歌」が敗戦直後のひとびとの心をどれだけいやしたのかはすでに数多くの証言が残されていますが、それに呼応するように「歌を聴く」だけではなく「歌を歌う」ことが、当時の人々にどれだけの癒しと勇気をもたらしたのかはわかりません。
 飽食の時代の今、ダイエットとサプリメントに心を奪われる時代から想像すれば、あの飢えと貧困の時代には「歌よりもパン」を必要とすると思いがちですが、先人たちが伝えるように、いつの時代でもひとは飢えをしのぐだけでは生きられず、過酷な時代だからこそ自分をなぐさめ、ひとをなぐさめ、ひととひととが助け合うために、「歌を!もっと歌を」必要としたことを、「のど自慢」は今に伝えているのだと思います。
 実際、毎週20組のアマチュアのひとたちが必死に歌い、パフォーマンスをする姿はとてもおかしく、いとおしくて、ここにこそ「歌がうまれる瞬間」があることを教えてくれます。たしかに、ここで歌われる歌はプロの歌手たちが歌う歌でオリジナルではないのですが、歌う人のさまざまな実人生の軌跡や希望が見事に詰め込まれ、もしかすると歌はプロがつくり歌うものではなく、ひとはだれでも自分だけの歌をいくつも持っていて、プロの方が実人生を生きる彼女たち彼たちの歌をカバーしているのではないかと錯覚してしまうのです。
 そして、神の声を持ち、歌をよみ、歌を育て、歌をよみがえらせ、歌を生まれた荒野に届けられる稀有の歌手・島津亜矢はそのことを十分すぎるほどわかっていて、「のど自慢」にゲスト出演する時には他の歌番組とはまた違う緊張感を持って臨んでいることが画面からうかがわれ、とてもうれしくなります。
 今回も2人の女性が島津亜矢の歌を歌い、「縁」を歌った人は合格者となり、「夫が今月いっぱいで定年退職となり、今までわたしや子どものためにがんばってくれてありがとう」というと、島津亜矢の目には涙があふれていました。自分の歌を聴いているひとそれぞれの人生で、歌詞もメロディーも同じでも1000人いれば1000個の歌があり、それぞれ違う歌を歌いながら同じ時代を生きてきて、ついにはすでに島津亜矢の「縁」ではなく、そのひとだけの「縁」となって歌いつづけてくれたことに、涙したのだと思いました。
 ゲスト出演の歌は新曲「独楽」でしたが、しばらく生歌で聴いていないうちに、とてもしなやかで奥行きのある中に、この歌の特徴である骨太で一本筋が入ったサビの歌詞、「七つ八つと転んで起きて つまづき怖れぬ それでいい」と潔く歌う彼女は、ひとが「歌を必要とする」ことを骨身にしみて知っている、数少ない歌手のひとりなのだと思います。
 もちろん、もう一人の五木ひろしもまた早くからそれを知っている歌手のひとりで、彼がBSで自分がパーソナリティを引き受けている「日本の名曲~人生、歌がある」の番組作りに力を入れているのも、北島三郎と同じく、不遇の時代に流しをしていた時代に巷の人々から教えられた「歌ごころ」を今でも大切にしているからだと思うのです。
 その番組には常連の歌い手さんたちが出演していますが、願わくば島津亜矢がもっと出演してくれたらうれしいですね。
島津亜矢「独楽」

島津亜矢「歌路遥かに」
小椋佳作詞作曲の名曲です。この歌はもっと世の中に広まっていい歌だと思いますが、この時はすぐに阿久悠の遺作詩に8人の作曲家が作曲した10曲を収録したCDを発表したため、情宣も販売も中途半端に終わってしまって、とても残念です。今聞き直しても島津亜矢のメガヒット曲になっても当然の名曲で、島津亜矢に気の毒なプロデュースになってしまいました。
もっとも、阿久悠のCDもその中から「恋慕海峡」と「一本釣り」をシングルカットしましたが、他の曲もすべてひとつずつヒットしても不思議ではなく、そう思うと島津亜矢はずいぶん「損」をしていると思います。一ファンとしてはそれだけのことでいいのですが、これらの珠玉の歌たちと出会っていないひとびとのことを思えば、いい歌はもっと宣伝しなければと思うのです。今回のテーマですが、これらのうずもれた歌たちがもっと多くの人々に生きる勇気を与え、毎年3万人の自殺者の中にこれらの歌に励まされ、死ななくてもいい人がいたかもしれないのですから。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です