「いのちのバトン」は新しい歌謡曲のバトン。重く暗く悲しく孤独なバトン。

ブログの更新が大幅に遅れてしまいました。
前回の記事に書きましたが、1月17日に妻の母親が緊急入院しました。実はこの日に、宝塚の専門病院で7センチの腹部動膜瘤を切除する少し難しい手術をするために入院する予定でした。90歳の高齢では開腹手術は難しく、そのままにしておいて破裂したら仕方がないと言われていたところ、カテーテル手術で可能ではないかということで、検査入院する日でした。
ところが当日の朝、風邪なのかインフルエンザなのかわからないのですが熱があり、床に座り込んだまま動けなくなり、救急車で隣町の川西病院に運び込まれました。川西市立川西病院は川西市の北部にあり、救急病院なので隣接する能勢町や豊能町、猪名川町の住民にとってはとてもありがたい病院です。とくに私の住む能勢町には町立の小さな診療センターが一つしかなく、医院の数もとても少ないため、緊急の場合は川西病院が命綱になっています。妻の母親も3年前にインフルエンザにかかり、一ヶ月以上入院しました。
いま、川西市が老朽化した川西病院をもっと南の中心部に移転し、コストがかかる救急医療と小児医療の見直しを検討しているということで、隣町の住民としては強くは言えないのですが、妻の母親のように命拾いをしている高齢者も多く、なんとか違う形で存続してもらえないものかとパブリックコメントに応募したところです。
過疎化が進む能勢町をはじめとする大阪府北部の医療はお金がかかるということで、今後ますます問題になると思うのですが、行政区分をまたがり、いくつかの町や市が相応の負担をしながら広域の医療体制を組んでいただけないかと思います。
そんなわけで、今も妻は病院で寝泊まりする窮屈な生活をしていて、私のほうも自分の食事や家事全般で忙しく、前回の入院の時も思ったのですがもっと日ごろから相応の分担をしなければと痛感します。私の友人たちは家事をすべて自分でしたり役割を担っていて、ほんとうにえらいなと思います。「甘えたらあかんで」という彼らの糾弾に身が縮む思いですが、これを機会にもっと生活術を磨かなければと思います。

そしてまた、昨年に仲間たちと開いた「ピースマーケット・のせ」を今年もすることになったのですが、今年はイベントの終わりに友部正人さんのコンサートをすることになり、昨年以上の準備をしなければなりません。
友部さんはテレビにまったく出ない方ですが、日本のボブ・ディランと言われるフォークシンガー&ソングライターで、70年代初めからずっとギターとハーモニカの弾き語りで熱烈なファンを持っています。
わたしもまたそのひとりで、70年代からずっと聴いてきました。最近では5月に大阪府の服部緑地で開かれる「春一番」に多くのアーティストが出演する中で、友部さんを目当てで毎年参加しています。
そのチラシづくりにも相当の時間がかかりましたが、ようやくめどがたったところです。
「ピースマーケット・のせ」のことと、とりわけ友部正人さんのコンサートに関する記事はこれからたびたびご案内させていただきます。

さて、ここ2週間ほどの間にもっとも気になっていたのは、島津亜矢の新曲「いのちのバトン」がどれだけ世の中に受け入れられるのかということと、書き始めて頓挫している美空ひばりのこと、そして、すでに過去のものになっていますが昨年の紅白全般の感想で、島津亜矢以外はポップス系の出演者のことも近々書いてみようと思っています。
そして、忙しさにかまけてこの間の「BS新日本のうた」を見逃してしまい、島津亜矢の歌唱については、土曜日の再放送を楽しみにしています。
Jポップのジャンルではカバーを歌うことにオリジナルの歌手への遠慮はないように思います。というより、日本のポップスの源流のひとつは洋楽のカバーにあり、わたしも幼心に中尾ミエ、伊藤ゆかり、ザ・ピーナッツ、森山加代子、弘田三枝子など、オリジナル曲もさることながら「悲しき16才」、「可愛いいベビー」、「ボーイ・ハント」、「太陽はひとりぼっち」、「ヴァケイション」などに胸キュンし心を奪われていました。
これらの数々のヒットソングは昼でも電灯をつけなければ真っ暗な6畳2部屋を親戚の家族と分け合って暮らしていた子ども時代のわたしに、永六輔作詞・中村八大作曲による日本製のポップスとともになんの根拠もなく「明日はきっといいことがある」と思わせ、歌のようにわたしも素敵な初恋が待っていると信じさせてくれたものです。
最近出来NHKBSで放送されている「カバーズ」ではJポップの旗手たちが出演し、影響を受けた歌手の歌をカバーすることで自分の音楽に新しい可能性を発見すると証言しています。
演歌・歌謡曲のジャンルでもカバーソングを歌うことは常識のように見えますが、実はどんな事情かは別にして島津亜矢が歌えなくなったカバーソングがありますし、今でも暗にオリジナル歌手が自分の歌を手放さない傾向が強いと思います。
またなぜか演歌・歌謡曲のジャンルではカバーソングを歌うとオリジナルを越えられないとか越えたとかいう論議が起こったりしますので、余計にオリジナル歌手は持ち歌を手放させず、そのために懐メロばかりがカバーされることになります。
有志以来いままでに誕生した歌はそれぞれの時代の写し鏡で、歌い継がれることで風景や匂いなど時代の記憶がよみがえります。
ポップス、ジャズやブルース、クラシックのようにオリジナル歌手にこだわらず、人間がパンのみでは生きられない証として誕生した音楽や歌が、かけがえのない共有財産になればいいなと思います。
さて、島津亜矢の新曲ですがランキングのことは別にして、この曲は狭い意味のJポップ(広い意味ではJポップを歌謡曲というそうです)と最初思いましたが、聴きこんでいくと、あえてこれこそ「島津演歌」という新しいジャンルの歌だと思います。彼女が既成のジャンルを越えた歌姫であることはすでに数多くの方が認めるところですが、その評価はまさしく彼女がジャンルを越えたカバーソングを歌うことで彼女の音楽的冒険を広げてきた証で、その財産をその時々のオリジナル曲に注入してきたといえます。
その成果は数々のオリジナル曲に反映されてはきましたが、わたしはもうひとつ、演歌でもなくJポップでもなく、その両方を持ち合わせたジャンル、かつて阿久悠が「美空ひばりによって完成したと思える流行歌の本道と、違う道はないものであろうか。」と悪戦苦闘の末、「自分の歌は自分でつくる」というシンガー&ソングライターによるJポップに道を明け渡してしまった時点で引き裂かれてしまった「新しい歌謡曲」が生まれるとすれば、島津亜矢がそれを背負う運命にあると思っていました。
歌のバトンが美空ひばりから島津亜矢に渡される予感は、幸か不幸か昨年の紅白で美空ひばりを歌うという、半ばフライングの形で実現したかのように思います。しかしながら、そのバトンは「美空ひばりで完成した既成の歌謡曲」のバトンであり、それを受け止める歌い手さんはたくさんいると思います。
島津亜矢が美空ひばりから受け取るバトンは、もっと重く暗く悲しく孤独なバトンだとわたしは思います。それは「美空ひばりで完成してしまった歌謡曲」ではなく、美空ひばり自身が「完成した歌謡曲」からいつも脱出することを求め続けた新しい歌謡曲というバトンなのです。いつの時代も激動の嵐に巻き込まれ、いのちをつなぐことに精一杯だったひとびとのそばにあった歌をいとおしく歌いつづけた美空ひばりのたましいこそが彼女の歌のバトンだとしたら、そんな重いバトンを受け止めることができる歌手が、島津亜矢以外にいるはずはないとわたしは思うのです。
新しい歌謡曲の入り口に何年も立ち続け、時代が自分に追いつくのを待ち続けたその人、未完の大器・島津亜矢は美空ひばりの悲しさも阿久悠の絶望もみんな受け止めて、その新しいバトンを次の世代に渡すために走り続けることでしょう。
「いのちのバトン」とは、そのことを歌った歌でもあると思います。演歌でもまだまだ音楽的冒険にチャレンジできることを教えてもらいました。

妻の母親はお医者さんいわく驚異の回復力で、6日に退院することになりました。
お腹の動脈瘤という爆弾はいつ破裂するかわからないので、少し様子を見て再度専門の病院に問い合わせすることにしました。仕切り直しで手術してもらえるかはわからないのですが…。

島津亜矢「いのちのバトン」

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