「お帰り」と「ただいま」を言える故郷 島津亜矢・大阪フェスティバルホール

3月13日、島津亜矢のコンサートが大阪フェスティバルホールで開かれ、行ってきました。昨年の6月に大阪の新歌舞伎座のコンサート以来のステージでした。
フェスティバルホールは2015年、彼女の30周年記念リサイタルを開いた会場で、大掛かりな建て替えが終わった2012年からいろいろな歌手がコンサートを開いてきました。わたしはすでに井上陽水と小椋佳のコンサートツアーをこの会場で聴きましたが、  当時、島津亜矢は5000人規模の東京国際フォーラム、3000人規模の名古屋センチュリーホールにつづき、2700人規模のフェスティバルホールで30周年記念コンサートを開き、話題になっていました。
というのも、そのころまでは彼女はまだ3000人規模の会場でのコンサートは珍しく、2000人クラスの会場を満席にするといった感じだったと思います。
ところがこの5年の間、年を追うごとに観客動員数が増え、フェスティバルホールは特別な会場ではなくなり、今回も昼も夜も満席だったようです。
開演時間になり、オープニング曲「亜矢の祭り」で幕が上がり、舞台中央で歌う島津亜矢がいました。なぜでしょうか、わたしは昨年とおなじようにとてもなつかしさを感じました。ひとつは以前のようにコンサートに行けなくなってしまい、一年ぶりに彼女の生歌を聴きながら、わたしの目まぐるしい一年がよみがえることがあります。
もうひとつは、島津亜矢の最近の一年一年がとても充実していて、テレビの音楽番組への出演が増えただけでなく、彼女を取り巻く空気が変わり、一目置かれる存在になっていることと、特にポップスの歌唱力への評価が一気に高まっていることがあります。
激しい時の流れの渦中にあって、島津亜矢はなんと自然体でわたしたちを待っていてくれたことでしょう。その懐かしさは今日のコンサートが彼女の出自である演歌を丁寧に歌うことになるという予感をともなっていたのでした。
ほんとうに不思議なんですが、どちらかというと音楽的な冒険を求めたポップス系の歌の方が好きなわたしが、そして、ほかの演歌歌手のコンサートに行ったこともないわたしが、島津亜矢のコンサートでは演歌・歌謡曲に癒されてしまうのでした。
そのあとのMCの後に、「なみだ船」を歌いました。(記憶力が悪くなり、曲順が違っていたらごめんなさい。)
ここでわたしは、先ほど思った今日のコンサートのコンセプトがまちがっていないことを確信しました。というか、もう少し丁寧に言えば、島津亜矢は今、時速300キロのスピードで進化・大化けの頂点に向かう途上にあり、時代を追い越してしまった歌姫の未来像が彼女本人にもわたしたちにも見え始めてきたのではないかと思います。
だからこそ彼女がもっとも大切にしてきたコンサートでは、その原点・出自である演歌・歌謡曲を大切にし、時代の写し鏡として同時代のわたしたちの心情を歌ってくれたのだと思うのです。
一方で今の時代を覆う殺伐とした空気、一見これほど豊かなのに7人に一人の子どもが相対的貧困におかれ、身分保障が安定しない非正規雇用が4割をしめ、子どもたちが未来に希望を持てないと答える鬱屈した社会の中で、夜の暗闇に身をゆだね、明日を夢見る切ない心に聴こえてくる歌、「希望は人間がかかる最後の病気」と解っていても、根拠のない希望を育てる歌、島津亜矢が「ほんとうの演歌歌手」として歌わなければならない、歌うことを宿命づけられた歌…、時代が変わるきっかけをつくるあの歌が生まれる場所が、コンサートの会場であることを教えてくれるのもまた、確かなことなのだと思います。
ポップスもふくむ音楽番組の出演回数が増えるほど、また演歌・歌謡曲のジャンルの番組においては若い歌手たちをけん引する役割をにない、ポップスの番組では昨年のTBSのUTAGEでのケミストリーの堂珍嘉邦とのコラボで「美女と野獣」を見事に歌い、中島みゆきリスペクト・歌縁に出演し、コンサートでも歌っている「命の別名」が評判となり、人気アニメガンダムのテーマソングを歌うなど、多彩な活躍が続く島津亜矢ですが、彼女にとってもコンサートは立ち戻るべき原点なのだとあらためて感じました。
彼女のチームが積極的に動いているように思えないので少し残念ですが、少なくとも多方面からの声がかかるようになり、「他流試合」の趣がある冒険をすればするほど、コンサートでは「お帰りなさい」とお客さんを待ち、「ただいま」とお客さんに音楽的な挑戦や冒険を受け入れてもらうというサイクルがあるのだと思います。
そのせいかどうか、彼女の立ち姿が無垢な少女のようで、いとおしく思いました。
「なみだ船」とそのあとに歌った「漁場」は北島三郎の歌ですが、彼女の北島三郎に対する尊敬の気持ちは、二人の恩師・星野哲郎亡き今、並々ならぬものがあり、北島ファミリーの邪魔をしない気遣いをしながらも、北島三郎の歌を歌いつぐという強い意志が感じられました。わたしはいずれ、「なみだ船」と「風雪ながれ旅」を北島三郎が島津亜矢に託す時が来ると思っているのですが、それを予感するような「なみだ船」でした。
そのあと、とても速い段階で客席周りであり、今回はすべてオリジナルの一番だけを歌いながら握手周りでしたが、その中でわたしの好きな「道南夫婦船」を聴けてうれしく思いました。
何を歌い、その曲順も忘れてしまいましたが、「海鳴りの詩」、紅白で歌った「ローズ」、「心」、「落陽」、そして、最後の「一本刀土俵入り」が強く心に残りました。
それらについては引き続き書くことにします。

島津亜矢「命の別名」(中島みゆき・歌縁2017東京)

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