曽我部恵一「満員電車は走る」・「祝春一番2013」その2

今日も満員電車は走る
からっぽの心詰め込んで
一億二千七千六百万の叫びを切り裂いて
(曽我部恵一BAND「満員電車は走る」)

「祝春一番」の楽しみの一つは、いままで知らなかったバンドやあまりなじみのなかった音楽と出会えることです。なにしろ、朝11時から夜7時ぐらいまで昼休みもなく入れ替わり立ち替わり20ぐらいのグループが演奏し続けるのです。
この歳で、しかもそれほど音楽を知らないわたしには「サマーソニック」などのロックフェスティバルにはとうていついていけませんが、「春一番」の飾り気もなく暴力的な緊張もない、ゆるーいライブはとてもありがたいのです。それだけではなく、決してデジタル化されない心の悲鳴や、ごつごつとした心のざわめきを音楽にできる、これこそがロックなのだと実感できるライブ空間でもあります。
石田長生、加川良、木村充揮、藤井裕、光玄、三宅伸治、金子マリ、梅津和時、友部正人などのビッグネームに負けず劣らず、若いバンドのひとたちもみんな、さすが「春一番」のチョイスと思う音楽を聴かせてくれて、この日超満員だったお客さんも最高に盛り上がった一日でした。

わたしはといえば、曽我部恵一に完全にノックアウトされました。
曽我部恵一の名前は最近何かで見た程度で、このひとの音楽はまったく聴いたことがありませんでした。ネットで調べたら1993年にサニー・デイサービスのボーカルとしてデビューし、すでに20年を越える活動歴を持つ人で、ソロ活動や曽我部恵一BANDなど幅広く活動していることを知りました。
この日、その前のバンドのステージでお客さんが最高に盛り上がり、まだその余韻でざわめく中、ジーンズ姿のそのひとは静かに現れ、マイク採りのギター一本と「くせ」になってしまう麻薬のような肉声で会場の空気を一瞬にして凍らせてしまったのでした。
一曲歌い終えるごとに思わず「オーッ」と叫んでしまったわたしでしたが、最後に歌った「満員電車は走る」では泣いてしまいました。
震災直後につくられたこの歌について、曽我部恵一は次のように言っています。
「夢や悲しみ、優しさや憎しみなど、みんながバラバラに色んな思いを抱えて、一つの場所に閉じ込められている。その中で誰もコミュニケーションできずに次の場所に移動させられる……みたいなことかな。ロジカルに作ったわけではないので、今思い返してみて感じることですけど、『一億二千七百六十万の叫びを切り裂いて』というフレーズが一番言いたかった気がします」、「みんな早く立ち直って一つになろうという絆ソング、それはそれでいいんだけど、僕はそういうものをロックと考えてこなかった」。

心がどうしようもないとき
あなたの心が壊れてしまいそうなとき
音楽は流れているかい?
そのとき音楽は流れているかい?
(曽我部恵一BAND「満員電車は走る」)

メッセージを共有したり、有益な話や共感できたり泣けたりする話を打ち出していくのが歌として商売になっていくことに違和感を持っていた彼が震災の一年後に発表したこの歌には、あの震災によってわたしたち日本人が決してもう後戻りできず、またどこに行くのかほんとうのところはわからない巨大で未完の暗闇の中にいることを教えてくれているように思います。
震災直後にたくさんの芸能人が被災地をおとずれたことが、ひとびとの心をなぐさめ、生きる勇気を与えたことは間違いのないことなのでしょうが、一方で私に限らず絆という言葉や「歌の力」という言葉に何か違和感を感じた人もまた、少なからずいたと思います。
たとえば、小室等は森達也のインタビューにこたえて、原発に対して言うべきNOを言ってこなかったことをふまえて「3.11の前には、錯覚であるにせよ、ちょっと自分が、表現しえたという実感を、時折は持つことができました。でも3.11以降、その感覚をもてないんです。無理やりに歌うのだけど、結局歌い終わった後に、大切なことを置き去りにしているという感じなのかな」と証言しています。
また、島津亜矢が公式には他の演歌歌手のようになかなか被災地を訪ねなかったのは、わたしの想像ですが被災したひとびとの前で海の歌を歌うことがこわかったのだと思います。この時期、周りからもそんな圧力がなんとなくあったのではないかと思いますが、それよりも彼女自身が、自然の理不尽な暴力に打ちのめされ、心に大きな傷を受けたひとびとを歌で励ましたり慰めたりできると思うのは傲慢なことではないのかと思い悩んだのではないでしょうか。そしてようやくこの年の秋に登米の体育館ではじめてコンサートを開いたとき、「待ってたよ」と声を掛けてくれるお客さんに喜んでもらおうと一生懸命になりすぎて、広くて寒い会場をお客さんと握手をするために走り回り、風邪をこじらせて倒れてしまうのでした。(そんな島津亜矢をわたしは大好きになりました。)

村上春樹の新作小説「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が震災のことにまったく触れていないのに、この震災なくしては共有できないもう一つの証言として際立っているように、「満員電車は走る」という歌もまた、震災なくしては生まれなかった魂の叫びだと思います。

ひとりぼっちにはなれやしない
だからといって強くも優しくもなれそうもない
だれも正しくはない
だれも間違っていない
そして今走る そして今走る
季節と風景 大人も子供も乗せて
今ただ走っていく
今日も満員電車は走る
からっぽの心詰め込んで
一億二千七百六十万の叫びを切り裂いて

66才を前にして、ほんとうに人生は知らないこと、体験しなかったこと、別れていった人々、亡くなった人々、果たせなかった約束、取り返しのつかない裏切りに満ちあふれていることにがくぜんとしてしまいます。
しかしながら、今年の春一番で曽我部恵一の音楽と出会えたことから、老いたわたしにもまだ、「できなかったこと」や「知らなかったこと」が人生のたいせつな宝物であることを知りました。なぜなら、だからこそ出会いの喜びがあり、たかが歌ひとつで人生が変わることもまたあることを教えてくれたのですから…。

曽我部恵一BAND「満員電車は走る」

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