映画「妻への家路」

映画「妻への家路」を観ました。「赤いコーリャン」、「菊豆」、「紅夢」、「上海ルージュ」、「初恋のきた道」、「あの子を探して」などの名作で知られる中国を代表する張芸謀(チャン・イーモウ)監督と、彼のデビュー作から「上海ルージュ」まで、共に中国の映画を牽引してきた世界的女優コン・リーが、「王妃の紋章」以来8年ぶりに再タッグを組み、しばらく大作を手がけてきた監督が丁寧に紡ぎ出した愛の物語でした。わたしは以前より香港、台湾、ベトナムなどアジア映画が好きで、近年シネコンに押されてめっきりなくなってしまった単館でのロードショーをよく観に行きました。香港のウォン・カーウァイ監督「恋する惑星」(このブログのタイトルとして使わせてもらっています)、台湾のホウ・シャオシェン監督「悲情城市」、ベトナムのトラン・アン・ユン監督「青いパパイヤの香り」など、アジアの風景と時代を背景に紡がれる物語と、その物語を演じるトニー・レオン、レスリー・チャンのゾクッとする色気に心を震わせたものでした。中でもチャン・イーモウの映画は、経済成長が著しい中国で、都市と地方の経済格差や、地方都市にまで及ぶ建設ラッシュで壊れていく自然や古い町並み、経済成長の荒波にのまれ、取り残されるひとびとの姿など、中国社会の光と影を静かにあぶり出してきました。昨年に亡くなった高倉健とチャン・イーモウとの交流はとても深く、2005年には「高倉健を主演に映画「単騎、千里を走る。」をつくりました。NHKのBS放送で高倉健の特集番組を組んだ中に、この映画とそのメイキングが放送されました。そのメイキング番組で、この映画の舞台となる中国雲南省の山村の売店の女性が高倉健を見て「高倉健さんでしょう」と言う場面がありました。映画は時代の風景を記録として残す役割がある一方で、映画館に行くには遠い町まで行かなければならないへき地に住むひとびとの人生の記憶としても存在することに感動します。高倉健が中国でもっとも有名な日本の俳優であったのは、「文化大革命」(1966~76年)後に中国で公開された映画が高倉さん主演の「君よ憤怒の河を渉れ」だったからで、当時の中国人の半数がこの映画を観たと言われます。高倉健の東映退社後の第一作目のこの映画は、その強引で放漫な経営で永田ラッパと言われた永田雅一が大映倒産後、映画プロデューサーとしての復帰第一作目でもあったことを思い返すと、よくも悪くも「最後の映画屋」としてこの映画に賭けた永田雅一の映画人生が報われた花道でもあったことでしょう。

さて、前置きの方が長くなってしまいましたが、映画「妻への家路」は、チャン・イーモウ監督の原点そのもののようでした。中国映画を観ると、どの映画でもこの「未完の大国」の政治の時代背景を抜きにできないように、この映画にも色濃く反映されている中国社会の歴史に翻弄され、中国の人々がどのように生きぬいてきたかが描かれていて、わたしにはこの映画もまたとても痛い映画になりました。(少しネタばれになってしまうところもあります。ごめんなさい。)文化大革命の真っただ、フォン・ワンイーは当局の役人から夫のルー・イエンシーが脱走したと聞かされ、「家にいれずに通報するように」と言われます。ルー・イエンシーは文化大革命より以前の反右派闘争で17年も強制収容所に拘束されていました。逮捕された時にはまだ幼子だった娘のタンタンは大きく成長し、バレー学校に通い、革命歌劇「紅色娘子軍」の主役の座を狙っていました。タンタンが家に着くと見張りの役人から父が帰ってきたら家にいれず、通報すれば主役になれるようにしてやると言われます。監視の目が光る中、フォンが住むアパートに忍び込み、そっとドアをノックするルーと、それが誰かわかりながらドアを開けることができないフォン。ありきたりの家族愛の映画なら当局の監視を無視し、夫を部屋に向かい入れるところでしょうが、そんなことをすれば夫だけではなく、妻にも娘にも追求の手が及ぶこととなることをいたいほどわかるフォンの苦悩が張り詰めた空気とともにわたしたちに伝わってきます。「明朝8時に駅の陸橋で」のメモを残して立ち去るルーですが、階段の途中で3歳の時に別れた娘と出くわします。娘にしてみたら父のために母も自分もつらい日々を送らざるを得ず、バレーの主役すら危うくなっていると父を恨みに思っていても当然で、ナッパ服に身を包み、大きなマスクをした怪しげな男を直ぐには父親と認められないのでした。一方フォンは夫のために肉まんを蒸し、毛布を用意して翌朝、夫に会いに行くのですが、夫は当局に見つかり、彼女の目の前で逮捕され、連行されます。それから3年後の1977年、文化大革命が終結し、20年ぶりに解放されたルー・イエンシーが帰ってきますが、彼を待ち過ぎたフォン・ワンイーは記憶障害を患っていて、彼が夫であることがわかりません。ルー・イエンシーは向かいの家に住み、娘のタンタンの助けを借りながら、妻に自分のことを思い出してもらおうと奮闘します。写真でもだめ、昔よく弾いたピアノでもフォンの記憶は戻らず、ルーは収容所で書き溜め、出せなかった何百通もの妻への手紙を彼女に読み聞かせます。記憶を呼び戻せないかと自分が書いた手紙を読んでいるうちに、2人の20年の愛をたどるような不思議な追体験をすることになります。ここではすでに妻に自分を思い出してもらうことから、「手紙を読むひと」としてフォンの心の中で生きている自分に今の自分を重ねることでしか彼女とつながれない、ルーの切ないもう一つの愛があります。夫が5日に帰ってくると言っていたという記憶をたよりに、毎月5日は陸焉識(ルー・イエンシー)と書いたプラカードを持って駅まで出かけていくフォンに付き添い、ルーもまた決して帰ってくることのないもうひとりの自分を待つ日々が何年も続くのでした。映画後半の物語は、2008年のアメリカ・ドイツ合作映画「愛を読むひと」(2008年)に似ていますが、決定的に違うのはやはり文化大革命などの国家体制に個人の自由や愛や夢や希望を壊されてしまった人々の、切なくも愛おしい心情がこの映画にはあふれています。映画ではフォンの記憶障害が国家による理不尽な暴力によることを声高には主張してはいませんが、フォンの記憶障害が取り返しのつかない暗黒と沈黙の20年によってもたらされ、年月が過ぎても傷ついた心はその理不尽な暴力を決して忘れないことを語っているのではないでしょうか。そして、そういった国家体制のもとで表現行為をつづけることは至難の業で、さまざまな規制に折り合いを付けながら、それでも世界の映画を観るひとびとにひそやかなメッセージを送るチャン・イーモウの力量はもちろんのこと、その想いの深さを伝えることのできる映画の可能性や力に感動しました。わたしは昨年、現在の中国社会の中で懸命に生きる人々を描いたジャ・ジャンクー監督の「罪の手ざわり」を見ました。「長江哀歌」でカンヌのグランプリを獲得したこの監督の映画もまた画面いっぱいに今の中国の矛盾が映し出されていて、この映画が中国本土でも上映されることを強く願っています。中国における映画づくりを考え、日本映画にはそんな制約はないのかと思うと、わたしはかなりあぶない所に日本映画もあるのではないかと思うのです。わたしの子どもの頃は勇ましい戦争映画がある一方で戦争によってかけがえのない命を奪われた数多くのわたしたちの先人の思いを切々と描く映画もたくさんありました。戦後70年のいたるまで自ら武器を持って戦場に出ていくことのなかったわたしたちですが、今の日本社会は、あってはいけないはずの「戦前」とは言わないまでも「戦後」のかんむりを外そうとする力に脅かされていると思います。「映倫」という自主規制によって、逆説的に表現の自由が守られてきたところもありますが、これからはほんとうの自主規制によって国家や社会が望む映画へと突き進む危険があると思います。それは映画館でいえばシネコンに席巻され、独自に届けたいと願う映画を映す単館が減ってしまうことで、届けたい、伝えたいと思う映画をつくることがむずかしくなっているように思います。その意味で、中国映画が国家体制の網をくぐり抜け、どんなメッセージをわたしたちに送っているのかを見守ることは、同時に日本映画の見えない体制の網を見破ることになると、「罪の手ざわり」や「妻への家路」を観てあらためて思いました。ひたすら夫を待つ妻をコン・リー、妻に寄り添う夫を『HERO』『インファナル・アフェアIII 終極無間』などのチェン・ダオミン、中国を代表する二大俳優の繊細な演技とともに、娘のタンタンを演じた新人俳優チャン・ホエウェンのみずみずしい若さが印象的でした。コン・リー、チャン・ツィイーを見出した新人発掘の巧みチャン・イーモウ監督が映画界に送り出した新しいミューズの誕生です。

「妻への家路」公式サイト

「罪の手ざわり」公式サイト

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