映画「グスコーブドリの伝記」

先日、アニメ映画「グスコーブドリの伝記」を観ました。
この映画は宮沢賢治が1932年に発表した童話を、「銀河鉄道の夜」(85)の杉井ギザブロー監督がアニメーション映画化。冷害にみまわれた東北の森を舞台に、厳しい自然と向き合う青年を描いた作品です。
宮沢賢治が岩手県をイメージしてつくった想像の地・イーハトーブの森で両親と妹と幸せに暮らしていたグスコーブドリは、森を襲った冷害のため家族を失ってしまう。その後、蚕づくりや農業に従事し、やがて青年に成長したグスコーブドリは火山局に勤めるようになる。けれども再び大きな冷害に襲われ、その被害を防ぐために人工的に火山を噴火させ、温度を上げることを思いつくが、それには誰かが犠牲になって火山局に残り、死ななければならない。グスコーブドリはすすんでその役割を引き受け、彼の犠牲によってイーハトーブは冷害をまぬがれ、豊かな緑に包まれる…。
ざっと、こんな内容の物語で、もちろん原作とはかなりちがう部分もあるものの全体としては原作に沿ったストーリーで、わたしはアニメ映画があまり好きではないのですが、宮沢賢治の幻想的な世界を忠実に描いた秀作と思いました。「情熱大陸」のテーマなどで人気の小松亮太のバンドネオンによる音楽が、柄本明のナレーションと絡むもうひとつの語り部となり、時に飛躍する映像を繋ぐのが絶妙でした。

その一方で、わたしはこの物語のテーマである「自己犠牲」について、この映画から感じるものと宮沢賢治の原作から感じるものとのずれが気になってしまうのです。
宮沢賢治の童話や詩の重要なテーマとしてしはしば取り上げられる「自己犠牲」については、わたしもよくわからないところがあります。
宮沢賢治といえばまずたくさんの方が「雨ニモマケズ」を思い出されることでしょう。わたしもその例外ではありません。それもただ単に国語の授業として勉強するのではなく、道徳や倫理としてとりあげられてきて、そのことからわたしのようなすこしひねくれた者は、自己犠牲の前にまずはわたしの自由だろうと、この詩も宮沢賢治もあまり好きにはなれませんでした。
それでも小学生の頃、体育館で上映された映画「風の又三郎」を見た時、森や川や山や海や大地の中で暮らす日常の彼方に非日常、果たせなかった夢や説明のつかないもの、理不尽なもの、夢か現実かの境目のないものとして、「風の又三郎」が登場し、ぞくっとしたことを思い出します。
わたしはそれ以後、大人になってから宮沢賢治の童話はほぼ読んでしまい、今では何かの時にまた読みなおしたりしています。
また、賢治の作品は多くの劇作家にインスピレーションを与えました。その中でも唐十郎の「唐版風の又三郎」はまったく原作とはちがう物語なんですが、「どっどどどど」という不気味な歌が夜の闇を破ると、非日常の空間に迷い込んだわたしは、李礼仙、根津甚八、大久保鷹、不破万作たちがうごめき、暗躍するテントの中の闇と光に心を奪われたものでした。特に印象に残った役者が小林薫で、それ以後ずっと小林薫のファンです。
物語自体はほんとうに原作とは似ても似つかぬものなのに、宮沢賢治の描く世界と時空をこえて実はとても近い風景を描いていると私は思っています。この芝居の中で「風の又三郎」を読んでいる読者が登場しますが、子供のころになくしてしまった「風の又三郎」の読書感想文を、半ズボンにはきかえた唐十郎が読んでいるような気がして、原作にもある「どっどどどど」という歌に乗って小学校の先生となった宮沢賢治がいるのではないかと思ったほどでした。
残念ながら今回の映画に、わたしはそのような感動を覚えることはできませんでした。
原作にほぼ忠実に描かれた物語なんですが、唐の芝居には感じることができた宮沢賢治の描く世界に流れているはずの土の冷たさや風の匂いのようなもの、ある種の、時には危険な空気のようなものが乏しかったように思うのです。
優れた映画であるにもかかわらず、おそらくはこの映画が伝えようとするメッセージをその優れた映像表現によってではなく、最初と最後に流れた「雨ニモマケズ」や小田和正の歌「生まれ来る子供たちのために」で伝えようとしたようにわたしには思えます。

1896年に生まれ、1933年に亡くなった宮沢賢治の生きた時代と東北の地域は、誕生当時の大地震と度重なる冷害で、たくさんの人たちが食べ物に事欠く悲惨で過酷な状態が続いたそうです。親が質屋を営み、子供のころに生活困窮者が家財道具などを売って当座の生活費に当てる姿にたびたび接したことが、宮沢賢治の実人生においても創作活動においても大きな影響を与えたといわれています。
農村や漁村の暮らしは良くも悪くも天候などの自然に左右されることが多く、時には自然災害によって日々の努力で築き上げたものが理不尽にも崩壊してしまう現実を見た賢治は、自分が裕福な家に生まれたことへのある種の引け目もあったかもしれないですが、子供心に地域全体が良くなっていくことを純粋に願ったのだと思います。ですから、自己犠牲というのも特別なものではなく、そんな現実を何とかしたいと思うひとたちが賢治以外にもたくさんいたのだと思うのです。現に「雨ニモマケズ」には実在のモデルがいたそうです。
「銀河鉄道の夜」では、他人の幸せのために犠牲になって死んだ者たちが乗り合わせているのですが、なぜかみんな達成感や満足感はなく、また自己犠牲が賛美される宗教も道徳もなく、どこかさびしくて悲しそうです。
宮沢賢治の実人生でいえば、新しい科学や技術によって農村の悲惨な現実を救いたいと一生懸命努力をするのですが、結局は実を結ぶことはほとんどなく、病弱だったことあり、短い人生を終えることになりました。
なりそこねた、なることができなかった人生へのあきらめの中にあっても、どんな新化学と新技術でも自然の暴力を制御できない絶望の中にあっても、ひとは夢を見たり希望を育てたりできるのだろうか。だれかがだれかのために役に立つことを自己犠牲といわなくてもいいような「共に生きる社会」をつくれないのか…。
宮沢賢治は、自己犠牲によって救われるはずの未来もまだ暗い闇の中にあることを知っているからこそ、「銀河鉄道の夜」の少年ジョバンニに、切ない夢を託したのだと思います。そして、切ない夢の中で「こんなふうになりたかった」人生もまた実人生であるかのように淡々と現実を変えていった、グスコーブドリという宮沢賢治の夢の分身もまた…。
映画「グスコーブドリの伝記」が、過酷な現実こそが宮沢賢治の切ない夢をつくったこと、その見果てぬ夢を現実に変えることを託されるのがわたしたちであることを伝えたいはずなのに、「雨ニモマケズ」や小田和正の歌(どちらも、それ自体の問題ではなく)によって、短絡的なメッセージを勉強する道徳の教科書になってしまったのだとしたら、優れた映画だけにとても残念です。

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