助け合い経済がつくる豊かさ

昨年の3月はじめ、東日本大震災の直前に開設しましたこのブログは、「恋する経済」というタイトルにありますように、障害者をはじめとする就労困難な市民が自ら業を起こし、独自の市場をつくりだす活動を紹介することを一つの目的としてきました。
長い間、障害者をはじめとする就労困難な市民の問題は、その本人に原因があるとされてきました。しかしながら、わたしたちは障害者をはじめとして、個性や国籍や性別が理由で理不尽な困難に押しつぶされる社会のありように問題があるのではないかと考えました。
たしかに、福祉の充実は戦後すぐから見ればめざましいものがありますし、戦後の経済成長をもとに「富の再分配」として、社会保障が進んできたことは間違いありません。
そして高度経済成長が終わり、バブルがはじけ、成長が望めない今、「富」自身が減る中で社会保障費の増大が問題となり、ついに消費税上げという事態になってしまいました。
この間、政治への信頼は地に墜ちた感で、またぞろ障害者をはじめとする社会保障の対象とされる市民への風当たりが強くなる一方です。小泉政権の功罪もあきらかにされないまま、強い市民を「ユーザー」と呼び、政策や街づくりを商品とみなし、市場での競争に勝つために民間委託をすすめ、劣悪な非雇用の労働者に安い賃金と矛盾を押しつけて財政再建の成果を誇示する政治家や学者たち。そしていずれは自分にその矛先が向くことに想像力を持てず、ヒステリックに刹那的に何かを、だれかをバッシングすることに悲しいよろこびを見つけざるを得ない市民の存在だけが毎日のように報道される現状は、絶望的と言わざるを得ません。
わたしたちは高度経済成長の時代から、「富の再分配」そのものに疑問をもっていました。
ひとも経済分野も、過酷な競争のるつぼに身体や資本を投じ、他者を蹴落として獲得したお金を、福祉を必要とするひとびとに分配するという経済構造では、獲得したお金を「役に立たないひとびと」のために税金としてしぼりとられることに不満を持つひとびとがいてもあたりまえです。また福祉を必要とするひとびとの中にも、ほんとうは「富の再分配」ではなく、富を生産する現場に働く仲間として、教育を受ける仲間として、生活を共にする仲間として参加していくことを望むひとたちがたくさんいることもまた事実なのです。
障害のあるひともないひとも共に働き共に暮らしていきたいと願う豊能障害者労働センターの活動は、「機会の平等」でも「富の再分配」(結果の平等)でもなく、「参加の平等」であると以前に書きました。その主張は、高度経済成長のもとでは実現しないことでもありました。なぜなら、スピードを要求され、勝つことを求められる引き算の経済構造では、さまざまな個性を持ったひとたちが共に助け合う足し算の経済という提案は受け入れられなかったのでした。

昨年の東日本大震災がもたらした衝撃は被災地だけではなく、日本全体の社会のありようやわたしたちの日々の暮らしにも大きな転換を求めているとわたしは思います。
その中でも大きな問題として、原発があると思います。国も電力会社も経済界も、原発がなければ今の経済やわたしたちの暮しを維持できないと言います。戦後の復興から再生、成長をへて、今の豊かと言われる暮らしをつくり上げた先人の苦労や努力も知らず、豊かさを捨てることの悲惨も知らずに無責任に原発を止めろというなと、原発維持派や推進派のひとたちは言います。
しかしながら、その豊かさが一部のひとたちの理不尽な犠牲の上にあり、そのひとびとの命すら奪ってしまうことを知ってしまった以上、わたしたちにはすでにその豊かさを維持することはできないのではないでしょうか。
結局のところ原発があってもなくても、すでにわたしたちは経済成長どころか、経済縮小がずっとつづくかもしれないという、戦後はじめての経験のまだ入り口にいるのかも知れません。もしそうであるなら、経済縮小の中で豊かさをつくりだすことができるのか、もしつくりだせるとしたらどんな道があるのかをわたしたち自身が考え、行動する時なのではないかと思います。

わたしたちが主張してきた「参加の平等」や、「助け合い経済」がどれだけの説得力を持っているのかははなはだ心もとないのですが、たとえばお金を必要としない自給自足と一般の貨幣を伴う経済との中間にあって、小さいコミュニティの間で物の交換がなされたり、売り買いではなく貸し借りや利用権を保障する「市場」が全国に無数にあるような経済、かつて資本主義の生まれる以前、もしくは資本主義の初期段階に存在したような経済、すくなくともお金がお金を生むことがない経済、専門家ではないのでよくわからないのですが、GDPで表されない経済活動がその社会の豊かさをつくりだすようなことは、わたしたちの夢でしかないのでしょうか。
わたしたち人間はパンなくしては生きていけないけれど、夢なくしては生きるかいがないこともまたほんとうのことなのではないでしょうか。
このブログでは、そんなわたしの思いと重なるような世の中の動きをもっと紹介したいと思いながら、充分にできずに来ました。これからはもう少し積極的にアンテナをめぐらし、そんな事例を紹介していこうと思っています。

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