ロックンロールは死なず。 2016年 祝春一番

5月4日、大阪服部緑地野外音楽堂で開催されている「祝春一番コンサート」に行きました。毎年ゴールデンウィークに開催されるこのコンサートは、単に音楽を聴きに行くということではない、心が解き放たれる特別な場所に帰ってきたような感覚があります。
政治的な変革とその挫折とともに終わった1960年代の後を受けて、カウンターカルチャーや大衆芸能がさまざまな冒険をはじめた1971年にこのコンサートが始まりました。
フォークからロックミュージックと、自分の作詞作曲した歌を自分で歌い、数多くのミュージシャンが既成の枠組みではない独自の世界を構築しはじめた時でした。歌を歌う方も聴く方も、音楽産業の中でこねくり回された歌ではなく、自分の歌いたい歌を歌い、自分の聴きたい歌を聴こうと当時の若者たちにとって、「春一番」は彼らの冒険を乗せた巨大な船だったことはまちがいありません。

1979年までつづいたこのコンサートでしたが、支えてきたミュージシャンやスタッフ音楽を本業とし多忙になったことからこの年を最後に中断しましたが、1995年に再開し、大阪城野外音楽堂をへて翌年の1996年から服部緑地野外音楽堂に舞台を移し、現在に行っています。
再開するにあたり、コンサートのプロデューサー・福岡風太氏は次のようなメッセージを発しました。
「あれから15年が経ちます。私たちも失うものが多くなり、ふっと気がつくとあれほど観たかったコンサート、聴きたくてうたいたかった歌をも見失っている。手間暇かけ、プロデューサーの熱意がこもったコンサートがない。血の通った音楽の現場がない。
だから私たちは、私たちが大好きだった音楽をもう一度確認すべく15年ぶりに<春一番>を開催するのです。」
それからもまた21年の年月がすぎた今、東京を中心にした音楽状況はまったく変っていないどころか、ますます一部の音楽事務所と「新しい既成集団」に躍らせている感があります。
以前、テレビ番組で近田春夫は、「音楽はすでに音楽自体では成立せず、グリコのおまけのようなものになっていく」と予言しましたが現実はその方向に進んでいて、さすがに駄菓子のおまけにまではなっていないものの、ドラマやCMとのタイアップや、AKBに代表されるようにアイドルと握手する権利やさまざまなサービスをつけても、全体としてはCDを買わない時代になってしまいました。
そんな時代だからこそ、ほんとうに歌いたい歌をほんとうに必要とするひとに届けるという、70年代から全くぶれない春一番コンサートは、そんなに宣伝をするわけでもないのに、またゴールデンウィークで一番みんなが行楽に出かけるシーズンにもかかわらず開催期間の3日間(時には5日間だったこともあります)、毎日1000人を超える観客で、普段は廃墟のような服部緑地の音楽堂が埋め尽くされるのです。

今回も娘の夫と行ったのですが、車いすを利用している彼は体温管理ができないこともあり、少し遅くに入りました。ちょうど曽我部恵一の演奏途中でした。
3年前、はじめて彼の弾き語りを聴き、ロックはスタイルではなく歌に対する情熱であることを教えてくれた彼の「満員電車は走る」を、今年も聴くことができました。
3年前はあれから1年間は曽我部恵一のライブを何度もききましたが、ごめんなさい、最近は高橋優の方に音楽の関心が移っていました。(島津亜矢は別格です。)
少し太っていたのが気になりますが(それは他人のことを言えるわたしではなく)、久しぶりに曽我部さんの弾き語りのロックを聴かせてもらいました。「春一番」で聴く曽我部さんの歌は、冒頭に書いた「帰るべき場所」にもどってきたように少しせつなく、それでいて会場を飛び遊ぶタンポポのように自由で、からだも心も解き放たれたようでした。またライブに行きたいなと思いました。
この歌は東日本大震災の一年後につくられた曲で、「夢や悲しみ、優しさや憎しみなど、みんながバラバラに色んな思いを抱えて、一つの場所に閉じ込められている。その中で誰もコミュニケーションできずに次の場所に移動させられる……。みんな早く立ち直って一つになろうという絆ソング、それはそれでいいんだけど、僕はそういうものをロックと考えてこなかった」と言う彼が、震災後の時代の風景を歌にしたものです。
「一億二千七百六十万の叫びを切り裂いて」と曽我部さんがシャウトすると、心が高まり涙があふれ、ぶつける相手がわからない怒りがないまぜになるのはわたしだけではなかったと思います。ほんとうに素敵でした。

心がどうしようもないとき
あなたの心が壊れてしまいそうなとき
音楽は流れているかい?
そのとき音楽は流れているかい?
(曽我部恵一「満員電車は走る」)

もうひとり、昨年「春一番」で聴いてはまってしまったヤスムロコウイチ。このひとのブルースは歌謡曲でもあり、時代の片隅で生きるひとびとの言葉にならない心情を歌っています。このひとも歌でなければならない歌を歌う、蛇使いならぬ「歌使い」だと思いました。
友部正人も三宅伸治も大塚まさじも、自分の音楽的冒険もさることながら、「春一番」をこよなく愛していて、サービス精神にあふれたパフォーマンスを聴かせてくれました。
「春一番」に今も集結するミュージシャンも観客も懐かしい場所に帰ってきたという感じがある一方で、今の音楽状況をよしとしない人たちが「春一番」でみずからの音楽を鍛え、共に生きる仲間を得て既成の枠組みに挑戦する、新しいロック・ポップミュージックの荒野へと旅立とうとしていることもまたたしかなことで、だからこそ、毎年もうやめようという福岡風太氏の老骨にロック魂が流れ込み、またみんなで集まろうとこのコンサートが続けられていくのでしょう。
ロックンロールは死なず。

曽我部恵一BAND「満員電車は走る」

ヤスムロコウイチ「夜を見てた」

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