今年こそ助け合う経済を

2012年が始まりました。昨年は3月の震災直後、被災障害者誌支援・ゆめ風基金の手伝いに来ないかと声をかけていただき、いままでとは一変して忙しい毎日でした。
その上、夏に能勢に引っ越して、街に出るには1時間に1本しかないバスに乗るしかないという暮しに、最初は戸惑いましたが今ではバスの窓から見える山と川の風景が時と共に移り行くのを楽しめるようになりました。また妻と電動自転車で買い物に行ったり、時には能勢の妙見山や付近の里山のハイキングをしたりしてそれなりに楽しい毎日です。
新しい暮しの中でおだかなお正月を過ごしましたが、今日テレビで震災の被災者が話しておられたように、被災者の方々はもちろんのこと、わたしたちにとってもまだ2011年が終わっていない哀しい現実があります。
昨年、震災がひきおこした困難のなかには、実はそれ以前に潜在していたわたしたちの暮しや社会、そして世界の問題をわたしたちもふくめて先送りしていたために、より深刻になってしまった問題がたくさんあると思います。
その最たるものが原発の問題で、福島を中心とする原発地域のひとびとに思いをはせることなく、「安全で便利」な街の暮しにどっぷりとつかっていたこと、そしてその暮しもグローバリズムの暴風と成長神話の崩壊、雇用の差別化と失業者の増加、そこから来る生活保護の増大など、多くの問題が政治や行政の問題というより、わたしたちがどう考え、どう行動するのかが問われていることを突き付けられる一年になると思います。
わたしはそれらの問題を解決していくひとつの道として、助け合う社会、助け合う経済をつくりだすことに可能性を感じています。
すでに成長を求める経済は国内ではなく、国外へと市場と工場を求めることをさけられず、それならばお金をグローバルな市場に投入するのではなく、取り残されたかに思える国内で、あるいはもっと身近な地域社会で仕事を分け合い、給料を分け合い、地域社会や、もしくは特定のミッションを共有するネットワークが生みだす市場にお金を投入していく「恋する経済」、「夢みる経済」をつくりだすことは、震災以後の経済のひとつの方向性として実現可能なのではないかと思うのです。
そのような経済領域は、今まであたりまえとされてきた一般経済のように多くのお金は動かないかも知れないけれど、困っているひとに手を差し伸べられる「やさしい経済」であることは間違いないと思います。そして、もともと基本的な経済活動と生活が助け合いにもとづくため、今までのように人を排除していく経済のおこぼれを排除された人が受け取る社会保障より豊かな社会保障が実現する可能性があると思っています。
豊能障害者労働センターの30年は、まさしくそのことをめざして活動してきた30年であり、一般的には「人間にはエゴがあり、けっして実現しない理想」と吐き捨てられるところで、障害のあるひともないひとも共に運営し共に働き、給料を分け合うことが実はとても簡単なことでもあり、とてもうれしいことであることを伝えてきた30年でもあります。
実のところわたしたちはまだ、その経済領域についての理論を深め、確立するところには至っていませんが、必ずや豊能障害者労働センターの活動が大きく認知され、評価される時が来ると思います。
わたしは豊能障害者労働センターの周辺にいる人間として、このブログなどを通してそのことをより広く、より深く伝える努力をしたいと思っています。
また、昨年は音楽のカテゴリーの中でも島津亜矢さんの記事をたくさん書かせていただきましたが、わたしは島津亜矢さんが全国津々浦々のホールでのライブ活動をとても大切にされていることにいつも感動しています。
そしてその活動はどこか豊能障害者労働センターと似通っていると思っています。豊能障害者労働センターが独自の市場をつくりだして来たのと同じく、島津亜矢さんはライブを通じて音楽の領域での独自市場をつくりだして来たのだと思うのです。その意味もふくめて、今年も島津亜矢さんへのオマージュを一生懸命書いていきたいと思います。
その他の音楽や能勢暮らしなども、折々に書いていけたらと思っています。

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