成長よりも助け合える町 シカゴ市に誕生した同性愛の黒人女性市長と大阪の未来

統一地方選挙の前半戦の投票日が明日にせまりました。とくにわたしの住む大阪では大阪都構想めぐって大阪維新の会と実質反維新との一騎打ちとなっています。
大阪維新の会は、「大阪が10年前のようになっていいんですか」と、維新が身を切る改革を進めて実現してきた「大阪の成長を止めるな」と声高に喧伝しています。
しかしながら維新の言う行政改革は公的サービスの民営化で、そのほとんどが関市長時代になされ、最近の地下鉄民営化も関市長時代の宿題でした。
その意味では、わたしが思う維新独自の改革(?)の最たるものは、「教育行政基本条例」を制定し、行政から独立している教育委員会を知事の命令を受ける部局に、行政が介入できるようにしたことではないかと思います。これは親や市民や府民の「学校への不満」を背負い、戦前の教育が国の思いのままになったことの反省から作られた教育の独立性をうばってしまいました。公的なものは無駄が多く、民営化をすすめる新自由主義を生身の子どもたちが育つ学校に持ち込むことで、現場の教師たちを粛清し、萎縮させました。
わたしはいつも思うのですが、学校は教育の場である以上に子どもたちが学ぶ場だと思うのですが、維新の「改革」をめぐる教育現場の混乱は学校に行かない子どもをつくり、いのちにかかわる重大な事件を引き起こすこともしばしばで、これから先、ますます苦しい想いに耐える子どもをつくらないようにしなければならないと思います。
維新よりも先に改革に着手していた大阪が10年前に戻ることは時代が許さないですし、維新の主張する成長がほんとうのところ何を意味するのかよくわからないのですが、国政選挙ならいざ知らず、統一地方選挙で「成長」を声高に叫んでいるのは大阪だけです。
それだけ、大阪維新の会が大阪都構想を成長戦略ととらえているからでしょうか。
しかしながら、実のところ維新の会が大阪の政治をつかさどる中で、彼らのいう身を切る改革(誰の?)が進んできたのなら、その上なぜ都構想なのでしょうか。
それは他ならぬ大阪府による大阪市の解体と合併でしかありません。簡単に言えば財政力が貧困で権限の弱い大阪府が政令指定都市の大阪市を呑み込み、大阪市の財源を確保し、権力を強めるという構想で、そこには東京に対置する副都心をめざすことと、すでに名古屋に抜かれてしまった経済力を取り返す野心があるのでしょう。
しかしながら、わたしたちは一度立ち止まって考えないといけないのではないでしょうか。世界も日本国内の流れも、すでに20世紀型の経済成長はありえない中、一点集中が続いてきた東京ですら、2025年に人口減少がはじまると言われています。
大阪維新の会が国の安倍政権と歩調を合わせるように成長神話を信じ、金融政策ももたず財政投資の原資を持たない地方行政で、国のお金も引き出しながらの万博誘致やカジノ・IRなどで元気な大阪の成長を夢見ているとしたら、それこそ以前の停滞した大阪以上の荒廃をよぶことになるでしょう。大阪が好きで、ずっと大阪に住みたいとねがうわたしたちは、そんなカンフル注射のような「成長」を望んではいないのです。
むかしから東京は東京、大阪には東京にない「なにわ人情」があります。大阪は隣町の堺市をはじめ関西・近畿をゆるやかにつなぎ、政治的な制約を受けないで自由な文化を育てあってきた文化があります。
維新の会は東京と張り合い、大阪を政治的な町にするため、関西の人権文化を切り捨ててきましたが、それがかえって大阪のひとびとをふるい立たせることにもなりました。
大阪都構想は、そんな大阪のほんとうの元気の素を壊してしまうことでしょう。
大阪の古くからの文化は、いわば地方分散・小規模な町がどこを中心とするのではないネットワークで「顔の見える経済・社会・文化」をつくることで、東京のような一点集中型の都市経済ではありません。安倍政権はオリンピックのつけを大阪にまわして幕引きを考えていると思います。決してその罠にはまらないように、わたしたちは庶民の庶民による庶民のための大阪を目指したいと思うのです。

大阪市の姉妹都市で、全米3位の人口を誇るシカゴ市で2日、ローリ・ライトフット(Lori Lightfoot)氏が黒人女性同性愛者として初の当選を果たしました。
先の中間選挙で女性議員が多数誕生したように、トランプ政権で人権侵害が多発する一方で、アメリカはやはり夢と希望を捨てない民主主義の国だと痛感します。トランプ大統領を生んだアメリカですから、女性の大統領が今度こそ誕生するかもしれません。
わたしはこのニュースを聴き、1990年代に豊中の入部香代子さんが車いすを利用する女性としてはじめて豊中市議会議員選挙に立候補し、当選した時のことを思い出しました。選挙運動が苦手なわたしがかかわった数少ない選挙でしたが、その時、わたしはいま共産党の山本一徳さんを応援している坂本洋さんに応援を頼みました。
坂本洋さんは入部さんに会い、応援どころか選挙のプロデースからその後の政策ブレーンとしてもかかわってくれました。
選挙運動の初日の夜、坂本洋さんが言った言葉を別れられません。
ある場所で、わたしたちの話をずっと聞いてくれていた人が遠慮がちに入部さんに声をかけました。「わたしの子どもが障害を持っていて、どこにも行くところがないんです、相談に乗っていただけませんか」。その時入部さんはじっくりとその親御さんの話を聞き、「相談してくれてありがとう。今は選挙運動が始まったばかりで1週間動きが取れないんです。申し訳ないですが、選挙が終わったらすぐに相談させてもらいたい」と、スタッフに頼んで連絡先をメモしてもらい、ごめんなさいと街宣車に乗りました。
おそらく、坂本洋さんはできるだけ多くの場所で訴えるスケジュールを組んでいたでしょうが、「これはふつうの選挙ではない」ことを実感されたのでしょう。
「数を問う選挙戦のさ中にあせるわけでもなく、数を問う選挙だからこそ少数者の思いをていねいに聴くことのできる入部さんのふところの深さに感激し、数ある候補者の中で入部香代子さんを候補者に持つわたしを誇りに思う」といいました。
わたしはその時、百戦錬磨の坂本洋さんがそう思ってくれたことに感激し、勇気をもらったのでした。
この時からわたしは、選挙の投票用紙がかけがえのない手紙で、名前を書くだけの投票用紙にはその時のひとびとの言葉にできないさまざまな思いが込められていることを教えてもらいました。
飛躍しますが、そんな思いが時代と場所を越えてバトンとなり、黒人の女性で同性愛をカミングアウトするシカゴ市長の誕生になった信じ、姉妹都市の大阪でも経済成長を鼓舞する都市型の街ではなく、どこか懐かしい町の匂いがさまざまなひとを受け入れ、「成長よりも助け合える町」になる大阪を願い、目指したいと思うのです。

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