成長を止めて立ち止まる勇気を! 維新の暴走を止める本気が試されている

大阪府知事選挙・大阪市長選挙の投票日まであと少しになりました。マスコミ報道では維新候補がどちらも優勢とのことです。このまま維新候補が勝利し、大阪都構想も実現してしまうのかと思うと暗澹たる思いです。しかしながら、まだ少しの希望があるならば、わたしは「大阪の成長を止めるな」と主張する維新自身に立ち止まってほしいのです。このままあなた方が突き進めば、きっとあなた方自身も後悔することになると思います。
そうならないために、「反維新」といわれる勢力の本気と、わたしたち自身の勇気が試されていると思います。

維新の会が「大阪の成長を止めるな」といい、「大阪を10年前に戻すわけにはいかない」と、あたかも正義が彼らにあり、抵抗勢力とずっとたたかってきて今の大阪の「成長」があるというのはあきらかに印象操作だと思います。先に書いたように、関市長時代の遺産で、すでにお大阪は10年前には戻りようがありませんし、大阪の成長を維新の手柄というのも、アベノミクスによって日本が成長路線を取り戻したかのように喧伝する安倍政権と同じ、やや無理があるとわたしは思うのです。
どちらも、規制緩和による公共サービスを民営化することで民間業者の労働者に低賃金を押しつけ、サービスの量と質を落とすなどして見せかけの利益を生み出しているといえます。もちろん、たしかに賃金の上昇はありますが、それはリーマンショック以後の世界的な好景気と労働人口の減少による人手不足によるところが大きく、また失業率の低下は非正規雇用の労働者に支えられているといわれます。
大阪の場合はそれに加えてインバウンド効果に支えられている事情があります。
言ってみれば何のことはない、彼らが自慢する経済効果は外部要因に支えられ、政策によるものとは言い難いのです。そこでこの景気を長持ちさせるために東京オリンピックと万博誘致に力を注ぐというのが本音でしょう。
安倍首相も本音を言いましたが、オリンピック以後景気が悪くなるという予想は保守層もふくめてコンセンサスになろうとしています。今現在もアベノミクス効果と呼ばれているものがほとんど機能せず、日銀は物価上昇率2パーセントを達成できないまま歴史的な低金利政策を続け、景気が悪くなった時に金利を下げるというカードを持てないままです。世界の投資家はすでに日本経済を見放して東京市場に資金をつぎ込むよりも資金を引き揚げる傾向にあり、それを補うための日銀による買い支えで株式市場は暴落を免れているありさまです。
世界の流れは戦後長く君臨したアメリカから中国に移っていく途上で、かつてアメリカに次ぐ経済力を誇っていた日本は早々と抜き去られただけでなく、中国なくしては日本のグローバル企業は成り立たなくなっています。
世界をびっくりさせたとされる日本の存在感はすでになく、あるとすれば世界がいずれ陥る超高齢社会がいち早くやってくる日本の社会実験のお手並みを拝見するというスタンスで日本を注視していると思います。
しかるに、安倍政権も大阪における維新もかつての高成長はむりだとしても一定の成長力を取り戻せるとして、無理なカンフル剤を国と大阪に打ちつづけています。
東京オリンピックから5年は、アベノミクスから万博に向けて「イシノミクス」によるインバウンドのさらなる膨張とインフラ効果、万博の後のカジノを含むIR事業を維新は目論んでいるのでしょう。そのために「二重行政の解消」とか「大阪の元気をとりもどす」とか、大衆におもねる印象操作で抵抗勢力を打ち破り、大阪市を解体し大阪府と一体化させ、その絶対権力を握る必要があるのです。
その結果、国がどうなるのか、大阪がどうなるのか、維新も安倍政権もそこまで責任を持たないまま去って行く時が来るのではないでしょうか。
わたしは何も成長を否定するつもりはありませんが、そのためのコストがわたしたちをふくむ一定の人びとの犠牲の上にあることも事実なのです。かつてのようにコストパファーマンスの良い社会ではなくなった以上、無理やりコストをかけて効率の悪い政策をするのはいかがなものかと思うのです。しかもそのコストは切なくていとおしくてかけがえのない大切なものを削ってしまってつくられるとしたら、そんな成長はない方がよく、たとえば少なくとも学力を伸ばして国際競争力をつけるよりは、たったひとりの子どもでも死ななくてよい教育環境を子どもたちに提供することに努力しなければならないと思うのです。
もちろん、それは大人にもいえることで、この社会で生きにくい事情を抱えたひとが社会の助けを得られないまま次々と死んでいくことのない、だれもがこの国を社会を愛し、そしてこの国に社会に愛されるかけがえのない人間として生きる、そんな社会をめざすことからはじまる政治を必要としているのです。
そして、戦後この国が経験したことがない高齢社会は、ほんとうに大変で貧困なだけの社会なのか、高度経済成長時代には思いもつかなかった「顔の見える社会」、誰もが誰かの助けになれる豊かな社会、明日何が起こるかわからない、わくわくした出会いがうれしい、そんな夢見る社会をみんなで助け合ってつくっていくことは、ほんとうに甘っちょろい理想論でしかないのでしょうか。
わたしは安倍政権がオリンピック以後の経済停滞を予測するなら、GDPで測れない経済というか、成長しなくてもこわくない社会の枠組みについて、真剣に国民に提案してほしいのです。そして、ゆめゆめ最後のつけを大阪にもってくるのではなく、2025年には東京もまた人口減になると予想される中、外国人を移民として厚遇し、成長しなくてもいい安心できる社会を共につくる準備をしてもらいたいと思います。

わたしたちはほんとうに長い間、立ち止まってはいけないという脅迫観念をもちつづけてきました。しかしながら、いまこそ立ち止まる勇気を持ちたいと思うのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です