少年探偵団は大人たちの束縛を越える「こどもたちによる民主主義」の実験

大阪府知事選挙・大阪市長選挙は、大阪維新の会の候補が優勢といわれています。
わたしたち有権者は大阪が元気なのは維新のおかげというマインドコントロールの眠りから覚めることができないのでしょうか。大阪府と市の二重行政を解消するための「都構想」というなら、政令指定都市の問題など制度の壁があったとしても、一つの政党で知事と市長を出していてなぜ協力して二重行政を解消できないのでしょう。
わたしには「大阪の成長を止めるな」という恫喝で、維新が第二の東京、もうひとつの東京という幻想におぼれているとしか思えません。万博の後、負の遺産の舞州が「つわものどもの夢の跡」として、ふたたび次の世代の負の遺産にならないかとても心配です。
ここからは候補者のたたかい、がんばりではなく、わたしたち市民が、有権者が頑張らなくてはならないのでしょう。少なくともどちらかで維新の暴走を止めなければと思います。

子どもの頃、まだ家にテレビがなかった頃、少年探偵団が好きでした。
わたしはあまり活発な子どもではなかったのですが、それでも学校から帰ると近所のともだちとよく裏山でチャンバラごっこをしたり、路地や空き地で缶けりや三角ベースやドッジボールなど、それなりに子どもらしい遊びをしていました。
ひとしきり遊び、夕暮れに急いで家に帰ると、わたしの家の長屋の前ではかんてき(七輪)でイワシを焼くけむりがもつれるようにたちこめていましたし、街のいたるところに戦争の痕跡が残っていました。
そして、わたしの楽しみのひとつがラジオドラマ「少年探偵団」でした。「少年探偵団」は今の若い人にはなんのことかわからないかも知れませんが、大正から昭和にかけて日本の探偵小説の草分け的な小説家・江戸川乱歩の少年向け小説が原作のラジオドラマで、わたしは小説もよく読んだものでした。
物語は天下の怪盗で変装の名人である怪人二十面相と対決する名探偵明智小五郎を助ける、小林少年を団長とする少年探偵団の活躍を描いたもので、1936年に登場して以来、空前のヒットとなった小説から、ラジオドラマ、テレビドラマ、映画などにたびたび登場しています。
怪人二十面相の犯罪に右往左往するだけのおとなたちに比べ、少年探偵団の活躍はめざましく、わたしたちこどもは拍手喝さいしました。いまふりかえって考えると、少年探偵団が大人たちの束縛から離れ、自らの意志で集まり、「怪人二十面相」という社会の課題を解決していくプロセスはいわば「こどもたちによる民主主義」の実験でもあり、放課後を利用した課外授業やクラブ活動のようでもありました。
かつて社会思想家のイリイチは、国家や都市が近代化するにつれて道や路地、広場など子どもたちの遊び場がうばわれたことと、産業社会に有用な大人になるために子どもたちを調教するために学校がつくられたと言いました。
そんな大人たちの事情にあらがうように、少年探偵団には大人たちが子どもを調教するためにつくった学校を奪還し、文字通り子どもたちの学び合う場にしようという思想が確かにあって、だからこそこどもたちから圧倒的に支持されたのでした。

橋下氏が大阪府知事になった2008年からはじまった大阪維新の会による大阪府と大阪市の「教育改革」は子どもたちの学力をテストではかり、その点数で教員の「指導力」を採点し、「指導力」がないとみなされた教員を処分し、学区をなくし「学力」の向上が見込める学校に子どもを追い詰め、人気のない学校は廃校にし、校長の民間人公募制の導入、学校の教職員に君が代の起立斉唱を義務付けなど、戦後社会が守ってきた教育の自立性を侵し、教育委員会や学校現場への政治介入をすすめました。
中でも目玉とされた校長の民間人公募は、2012年に合格した民間人校長は11人でしたが、市立小学校校長となった50代男性の経歴詐称が発覚し罷免免職、しかもこの男性はその後、女性から現金をだまし取ったとして詐欺の疑いで逮捕されました。
さらに、公募で市立小学校の校長となった別の50 代男性が、児童の複数の母親に体を触るなどのセクハラ行為をしたとして懲戒処分になりました。また授業妨害する生徒を指導せず、若い女性教職員6人に「なぜ結婚しないの」「なぜ子どもをつくらないのか」などセクハラ質問をした市立中学校長が任期を1年残して辞任するなど次々と問題が発覚。結果、11人中、7人が任期中に離職してしまいました。
「国際競争力に勝てる人材を育てる教育」をめざす維新の教育政策の背後にあるのは民間活力と民間委託を絶対視する新自由主義の思想ですが、子どもは工業製品ではありません。
公立私立にかかわらず、教育は等しく子どものためのものであり、自らの利益を追求する私企業的な発想のみでは成り立たないことが、これらの不始末が明らかにしています。
私立高校への授業料無償化を評価するひとたちもいますが、北朝鮮との政治外交問題を持ち込んで朝鮮学校の子どもたちを排除するならば、この国に生まれ育つ子どもたちを選別することですべての子どもたちの心を著しく傷つけることになるとわたしは思います。

2012年、大阪府立和泉高校(岸和田市)の卒業式で、橋下徹大阪市長の友人の弁護士で橋下氏が府知事時代に登用された中原徹校長が「君が代」斉唱の際に教職員の口元を見て歌っているかどうかを監視し、チェックしていたことがわかりました。
大阪府では2011年6月、「大阪維新の会」(代表・橋下市長)府議団提出の「君が代」起立強制条例が強行されました。これを受けて、府教委は今春の卒業式にむけ、府立学校の全教職員に「君が代」斉唱時に起立・斉唱するよう初めて職務命令をだしていました。
このニュースを知り、わたしはその場にいた子どもたちは何を思っただろう、と心が痛くなりました。子どもたちの出発の場、別れの場が先生たちの調教の場になる恐怖…、その日まで友と学びあい、先生への信頼を持ち続けた子どもたちも少なくないと思います。その積み重ねてきた信頼と友情が踏みにじられ、学校の主人公が子どもたちではなかったことにがくぜんとしたはずです。  先生たちが「君が代」を歌っているかをチェックされている光景は地獄そのもので、維新の狙いとは裏腹に「君が代」が嫌いになってしまった子どももいたのではないかと思うのです。
結局のところ、大人たちの意のままにされる子どもたちの受難は終わることはないのでしょうか。学校が子どもたちの学び合う場になることはこれからもないのかもしれません。もし、そうであるならば学ぶ権利を教育に求めることは絶望的となります。教育のありようが大人たちの都合にふりまわされるとしたらとても不幸なことだと思いますし、生身の人間としての子どもたちの心を深く傷つけてしまうのではないでしょうか。
そして、どんな歌であっても起立斉唱を強制されることは子どもたちだけでなく、歌そのものにとっても不幸だとわたしは思います。
歌は歌を必要とするだれかの心に届けたいと願う心で生まれ、巷を流れてこそ歌であり、歌う心と心がかさなりあった時、はじめてひとりからふたりへ、ふたりから3人へ、3人からみんなへと合唱されるのではないでしょうか。

わたしは1947年に生まれましたので、日本国憲法と同い年ということになります。
1947年という年に大人たちが何を思い、どんな社会を望み、どう生きようとしたのか、ほんとうのところはわたしにはわかりません。
ずっとのちに障害者の友だちと出会った時、学校に行くことをこばまれたひともたくさんいたことを知った時、実は学校が学び合う場ではなかったのかも知れないと思いました。
そして、だれかを排除することで成り立つ学校も社会も、ほんとうのところ先生が教えてくれた民主主義が育ってはいなかったのだとも…。
大震災で犠牲になったひとたちと同じぐらいのたくさんのひとたちが毎年自殺してしまう社会に、国家や社会に都合のいい人材や国際競争力に勝てる人材をつくるための教育が意味のあることなのでしょうか。
子どもの頃に熱中した少年探偵団が追いかけたものが怪人二十面相ではなく、民主主義という見果てぬ夢なのだとしたら、子どもたちが学び合う学校を子どもたちとともにつくりだすことが大人になったわたしたちの役割なのではないかと思うのです。

少年探偵団は大人たちの束縛を越える「こどもたちによる民主主義」の実験” に対して2件のコメントがあります。

  1. S.N より:

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    tunehiko 様
     前回と今回の記事を読ませていただきました。以前から大阪維新に対していだいていた漠然とした違和感と不信感の原因がよくわかりました。ありがとうございました。大阪維新には弱者だけではなくて、すべての人に寄り添う気持ちがないように思います。村上春樹さんが2009年にエルサレム賞を受賞した時のスピーチを思い出して、もう一度スピーチを読みました。その中の『私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです。』という箇所に考えさせられました。これまで民主主義について難しくて考えたことがありませんでした。けれども、元号も新しくなりますが次の世代に少しでも民主主義について考えることの大切さを伝えられたらと思いました。

  2. tunehiko より:

    SECRET: 0
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    S.N様
    ごぶさたしています。お元気にされてますか?
    選挙の結果は大阪維新の会の圧勝になりました。わたしの思いは最後の記事にかきましたように、経済成長神話の中にまだわたしたちの心があり、成長しない社会を想像できず、その怖れが今回の結果だと思っています。それは大阪だけのことではなく、オリンピック以後の万博、カジノとつながっていると思います。個人としては長い間障害者の働く場づくりをしてきて、少ない給料でもみんなで分け合うことの喜びを知りました。その経験からも、無理な経済成長よりも、顔の見える関係で助け合って生きる生きる経済がそんなに夢物語でもなくなってきたと感じます。それだけ、今までの成長は望めない厳しい社会に向かっているからなのかもしれません。人生の終わりに、新しい社会の在り方を見られるのか、不安でもあり楽しみでもあります。
    島津亜矢さんのライブはずいぶんいけなくなってしまいましたが、今年のどこかで大阪に来るようなら、その時は行くつもりです。

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