だれの身を切る改革なのか、大阪維新の会は正義の味方か?

統一地方選挙がはじまりましたが、わたしの住む大阪では都構想を進めるために「もう一度民意を問いたい」と大阪維新の会代表の松井一郎・大阪府知事と同政調会長の吉村洋文・大阪市長が辞職し、両氏が入れ替わって異例のダブル選に出馬するという奇策に出ました。
「党利党略」との批判がある中、こんなことができるのは「身を切る改革」を進めてきたとする自負と、それをさらに進めるための「府と市の二重行政を無くす都構想」を多数の人びとが望んでいるという自信の表れなのでしょう。
しかしながら、わたしは橋下神話からつづく維新の会の政治理念と政策に、拭い去れない不信と恐怖すら感じます。それはちょうど国政における安倍政権に感じるものと同じです。
「身を切る改革」を維新の会の実績とするのは宣伝のたくみさで、大阪市の場合は2003年から2007年までの関淳一市長時代の改革を橋下氏及び維新の会が引き継いだという事情があります。2004年、大阪市の職員厚遇問題(カラ残業や、ヤミ年金・退職金の積み立て等、不正な金の流用)が発覚、関市長は上山信一氏ら外部有識者の助言を得て市政改革に取り組みました。橋下氏と維新の会の実績とするものの中味は、すでに関市長時代に実行されたものも数多く含まれているはずです。しかしながら関市長時代は行政内部における抗争だったものを、橋下氏と維新の会は広く市民の支持を背負い、「既得権益を打ち破る正義の味方」とイメージづけることに成功したのでした。
そして、関淳一氏の市政改革のブレーンだった上山信一氏を特別顧問として迎え入れた橋下氏と維新の会の行政改革の中身は、関市政でやり残したものも多くふくまれていました。
わたしは関市長の時代に大阪市内の障害者事業所で働いていましたが、たしかに既得権益と言われても仕方ないものは行政改革によって撤廃、縮小されるべきだと思いました。しかしながら、一般企業で働くことを拒まれる数多くの障害者が障害者事業所で働いても2万円にも満たないお金しか手にできず、一人で生計をたてるには少なすぎる障害者年金を頼りに年老いていく家族と暮らすか、町の息遣いから排除された居住施設で暮らす未来しか国も町も用意できないこともまた現実でした。共に学ぶことからも共に働くことからも共に生きることからも排除されてしまう…、そんな障害者がどんな思いで日々を生き、どんな切ない夢を持っているのかを深く知らずに、あるいは知っていても無視し、「人権という名の既得権益」とされて障害者の命綱までを切って落とされることに危惧したことも事実です。
「人権政策と称する既得権益を守る癒着」と、すべてを片付けることは乱暴です。日々を暮らす住民とともに進む地域行政だからこそ、企業の成功神話にもとづくマニュアルで処理せず、個別の課題から構造的な問題を探り出し、個別的な対応とともに構造的な課題を解決していく、それがほんとうの行政改革ではないのでしょうか。
ともあれ、箕面市でかろうじて実現した福祉行政と労働行政の協働政策をすすめるどころではなく、維新の政策と関係なく国と一緒になった制度改革のもと、小規模の作業所は吸収合併され、ほとんどの障害者作業所が一般的にはよくわからない「就労支援継続事業所B型」、「就労支援継続事業所A型」に再編され、現在に至っています。
障害者問題に限らず、生活支援施設や教育保育などさまざまな個別課題を構造的な問題の表象とせず、短絡的に切り捨てていくことが行政改革とされました。
実際、彼らの政治理念は選挙と多数決の民主主義で、安倍政権と同じように誰にも文句のつけようがないもののように思えます。しかしながら、それは時には他者への妬みすら道具とする「刹那的多数決民主主義」で、過去のひとびとが託した思いも記録も、こどもたち(未来の大人たち)が生きる街の設計図への想像力も必要としない、いまを生きるわたしたちだけを構成員とする民主主義とも言えます。わたしの記憶によれば、かつて橋下氏は国民や市民を「ユーザー」と呼び、政治は税金を払うユーザーに忠実であるべきで、それが本来の民主主義だと語っていました。だからこそ、ある意味潔く「都構想」の敗北を民主主義と認め、市長を辞任したのだと思います。
わたしは皮肉にも安倍政権と維新の会によって、選挙と多数決を絶対とする議会制民主主義がとても危険なことを教えてもらいました。
橋下氏が2008年の知事選にはじめて出馬した時の演説は、かつての小泉首相や、古くは田中角栄氏に匹敵するカリスマ性がありました。それは今も同じで、彼に対する批判も彼の手の内にあり、いま大多数のひとびとが政治に社会に自分の暮らしにどんな思いや、時として恨みを持っているのかを察知し、「自分の思っていることを代弁してくれた」と思わせる、新自由主義に基づいた理念に誘導する言葉を実に歯切れよく話せる稀有の才能を持つ人だと思います。それがゆえに今でも数多くの人びとが、特に大阪府民・大阪市民が政治の世界に戻ってきてほしいと思っていることでしょう。
世界の歴史からみれば古くは1970年代から80年のサッチャーイズム、レーガノミクス、日本では第二次臨調、そして冷戦後を経て世界を席巻することになった新自由主義とグローバリズムの潮流に20年遅れたといわれる小泉改革から、公的サービスや公的事業の民営化、民間委託が絶対視されてきました。
しかしながら民営化、民間委託によってコストを抑える根拠のひとつが人件費の削減にあるとするなら、委託された民間企業で働くひとたちの給料が公務員よりも低いことが前提で、民間企業同士の競争もあってより低い給料で働くひとびとや非正規雇用で働くひとびとの痛みを犠牲にした改革であると言わざるを得ません。
大阪維新の会や安倍政権をはじめとする新自由主義は、大企業中心の「空前の好景気」のさ中に派遣や請負でいつ職をなくすかも知れず、心を縮めて日々を生きるひとびと、そして毎年2万人を越える自殺者の恨みが公務員、高齢者、在日外国人や個別の事情から公的な助成を受ける障害者や原発避難者に向けられることを利用した、いわば「恨み妬みの民主主義」によって支えられているのだと実感します。
「身を切る改革」によってお金を生み出し、大阪が成長していくという維新の政治は、実は身を切らされるひとびとの犠牲の上に成り立っていることを、わたしたちは忘れてはいけないと思うのです。

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