憲法カフェ・能勢

大阪府の北端・能勢に引っ越して今年の7月で4年になります。あっという間の年月でもあり、また2001年の東日本大震災の年に引っ越したこともあり、わたしにとって特別な年月でもあります。里山に囲まれた能勢の自然は格別で、ほんとうに引っ越してよかったと思う反面、人口流出が進み、これから先この町がどうなって行くのか不安もつのる毎日です。
日本や世界に目を向ければ、経済的に政治的にも時代の悲鳴が途絶えることがなく、「戦争と血の世紀」と言われた20世紀から、「希望と和解の21世紀」にしたいという願いは無残にも覆され、前世紀にまして血塗られた歴史が人々の記憶と記録となっていきます。
その中で、能勢町の描く未来は人口減少に歯止めをかけることもなく、また「人口が減少することに見あう豊かな町づくり」をする冒険もなく、「限界集落」の流れにまかせるだけのように見えます。もちろん、厳しい現実に立ち、能勢町を愛する町の将来を憂い、さまざまな政策プランをあたためている町会議員や職員が少なからずおられることでしょうが、そのひとたちの提案が町づくりのテーブルに乗ることが少ないこともまた事実でしょう。
いま働いている職場も今年の9月で退職になることが決まっていて、それからの人生の暮らし方から考えても、もうすぐ4年になる能勢町民として地域での活動がなにかできないかなとずっと思ってきました。
そんなことを思っていたところ、新聞の折り込みチラシで「憲法カフェ・能勢」という集まりがあることを知り、また知人にもすすめられたこともあって、3月15日に会場の「カフェ気遊」に行ってみました。「カフェ気遊」は関西の音楽ファンによく知られているところで、オーナーは毎年5月に大阪の服部緑地の野外音楽堂で開かれている「祝!春一番コンサート」を主催する関係者や出演するミュージシャンの仲間でもあり、時々ここでライブをされていて、わたしが好きな友部正人も2、3年前にライブをしたことを記憶しています。

いきなり「憲法」というとここまで読んでくださった方は違和感をもたれるかも知れません。「憲法」といえばある政治的勢力が「憲法改正」といい、それに反対する政治的勢力が「憲法を守れ」といった具合に、政治的な問題としてとらえられるのは仕方がない事だと思います。
わたし自身、恥ずかしながら政治的な問題とのかかわりで何か行動したことといえば、若いころに70年安保闘争で一般の市民が参加できるデモに職場の友人といったぐらいで、直接的な政治的行動をしたことがありません。それに、何を政治的行動というのかもよくわからず、障害者に対する差別や人権侵害などを訴えたり、最近では「ヘイトスピーチ」をなくすためのパレードに参加しましたが、わたしとしては政治的な行動だと認識していません
そんなわたしですが、あれよあれよという間もなく国会での圧倒的な優位のもとに、日本の存立が脅かされる事態と政府が認定した場合に武力により他国を守る集団的自衛権の行使を可能とする武力攻撃事態法改正、周辺事態法を改正して設ける「重要影響事態安全確保法」、国連平和維持活動(PKO)以外の国際的な平和維持活動に自衛隊が参加できるようにするPKO協力法、そして、国際社会の平和を脅かす国に対して軍事行動する他国軍の支援に自衛隊を随時派遣できるようにする恒久法「国際平和支援法」と、安倍政権が進める「安保法制」の「改正」により、自衛隊が海外に出動する機会もその派兵数も飛躍的に増える可能性は大きくなることでしょう。
残るは来年の参議院選挙後の「憲法改正、とくに9条の改正」のみとされている現実に、とても心配で不安になってしまうのです。
わたしは長い人生を過ごしてきて、自分がいわゆる左翼だと思ったことはないし、また右翼と思ったこともありません。たしかに70年安保の時、友人5人と文化住宅に住んでいた頃、大学紛争や安保阻止闘争に参加している同年齢の大学生と深夜まで話をしたりしていましたし、またある時は好きだった竹中労の影響で当時新右翼と言われた鈴木邦男の話に耳を傾けたりもしましたが、わたし自身はいわゆる普通で平凡で、国や社会の在り方よりも、自分の暗い青春を持て余し、絶望的に思えた自分の将来に身をかがめる事しかできませんでした。それほどの信念も夢もなく年を重ねているうちに障害者の仲間と出会い、やっと自分の生きる道を見出した、そんな人生でした。
ですから、「憲法を守る」とか「9条を守る」という方が左翼で、憲法と戦後民主主義は自虐史観であり、憲法を「改正する」という方が右翼というとらえ方がわたしには理解できませんが、おおむね戦後の日本社会もわたし自身もいろいろあっても今の憲法に助けられてきたのではないかと思います。そして、左翼だけが憲法を守ってきたのではなく、自民党の保守政治もまたこの憲法を守ってきたのだと思うのです。
たとえ吉田茂元首相以来の「軽武装・経済重視」路線から来ていたとしても、池田勇人、大平正芳、鈴木善幸、宮沢喜一や田中角栄、竹下登、小渕恵三、橋本龍太郎など往年の首相たちは護憲・リベラル勢力として保守本流を形成してきたように思います。
中でも、1987年のイラン・イラク戦争終結に当たり海上自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に派遣する問題が浮上した時、中曽根内閣の官房長官を務めた後藤田正晴が「私は閣議でサインしない」と猛烈に反対し、中曽根首相に派遣を断念させたことは今に語り継がれる有名な出来事でした。警察官僚のトップから議員になった保守本流の後藤田氏は湾岸戦争でアメリカから「自衛隊派遣を要請」された時にも、戦後憲法体制が「蟻の一穴」から崩れかねないと危惧し、「海外の武力行使だけは断じて認めるわけにいかない」と主張した信念の人でした。
わたしは後藤田氏をはじめ日本の保守政治家によっても憲法が大切にされてきたことを評価するべきだと思いますし、この憲法こそがわたしたち国民を国家の暴走から守り、たしかにアジアをはじめとする他国の民衆を犠牲にしてきたことも認めつつも、まがりなりに平和と豊かさをつくってきたのだと思うのです。
その憲法の精神が大きく損なわれ、憲法自体もいよいよ「改正」されるロードマップがつくられようとしている今、わたしもこの憲法と憲法を大切に支えてきた数多くのひとびとへの恩返しをしなければと思っています。

憲法カフェというのは、憲法を変えようとする動きと変えようとしているその内容の怖さを広く知ってもらおうと、20代を中心に若い弁護士が集まった有志の会・「明日の自由を守る若手弁護士の会」がパンフレットや紙芝居をつくり、会員の弁護士が全国各地のお店などで憲法のことや憲法をかえることに賛成反対それぞれの意見をわかりやすく伝えながら、参加者が肩ひじ張らずに語り合う催しです。一回目は呼びかけたひとたちがほとんどで、はじめての参加はわたしを含めて数人もいなかったのですが、よくある「護憲集会」とはまったくちがい、憲法を変えることでわたしたち生活人にどんな影響があるのかを一方的にまくしたてるのではなく、「ふつうの言葉」で問題点や疑問点を解説しながら、参加者のフリートークによる質問に参加者同士で応えあうような自由で「ゆるい」集まりでした。
わたしはこのような会ではほとんど発言せず、発言したとしてもいつもとんちんかんで理解されにくい意見を言ってしまうのですが、この会では気負いなく話すことができました。
すっかり気にいってしまったわたしは、このまだ誕生したばかりの会に自ら手をあげて参加することにしました。豊中や箕面や吹田で住んでいた時には気持ちはあっても参加する勇気がなかったわたしが、まだ友人といえるひとがほとんどいない能勢町でのこの会の活動をきっかけに新しい友だちとの出会いにうきうきしていることに気づき、とてもうれしく思っています。
この記事を読んでくださった方の中で、どんな集まりか覗いてみようと思われる方がいらっしゃいましたら、能勢町民でも能勢町民でなくても大歓迎です。あなたの席を用意して待っています。お気軽にご参加ください。

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