三宅洋平と被災障害者救援街頭募金と参議院選挙

わたしが三宅洋平さんを知ったのは2013年の7月13日のことでした。わたしはこの日、被災障害者支援の募金活動のため、大阪なんばの高島屋の前に立っていました。
わたしはそのころ、被災障害者支援「ゆめ風基金」の応援スタッフとして働いていました。ゆめ風基金は自然災害で被災した障害者支援のために設立され、全国の障害者運動のネットワークに加えて永六輔さん、小室等さんなど数多くの方々の支援のもとで寄せられた基金を活用し、公的な支援がおよばない被災障害者の生活支援や活動の場の復興支援を続けてきました。
東日本大震災においても障害者救援本部を設立し、障害者の安否確認、救援活動から、障害者の生きる場・働く場の復興と再生をめざした支援をつづける中で、大阪の障害者のグループの募金活動に参加したのでした。
この日は参議院選挙の真っただ中で、この場所はいろいろな候補ま街頭演説の場所となっていて、募金活動のさ中にも何人かの候補者の街宣車でにぎわっていました。

「なぜ障害者だけを支援するのですか?」、その若者はするどい視線でわたしに言いました。
災害発生の混乱の中でどうしても残されてしまう人々、逃げ遅れてしまう人々が障害者なんです。なんとか助かった障害者も一般避難所は車いすを利用する障害者が居られる状態ではなく、また環境になじめない知的障害といわれる障害者は『うるさい』といわれ、避難所を出ていくしかなかった事実がたくさんあります。わたしたちは、被災地の障害者とともに、一般避難所で心を固くしている障害者への支援と、避難所から排除されたひとたちの安否確認と救援物資を届けることから始めました。救援物資を届けながら、被災地の障害者が困っていることを共有し、一緒になって解決していくという、個別支援を基本に活動してきました。ですからわたしたちは、被災された方すべてのひとを視野に入れながら、もっとも困難な状況におかれている障害者を支援しているのです。」

わたしがゆめ風基金と障害者ネットワークが続けてきた支援活動とその思いを話すと、「よくわかりました」と言ってくれました。
「募金するのは簡単なことだけど、何も知らずに募金しても意味がないと思うんです」。
Tシャツとジーンズのその若者は、何の後ろ盾もなく自分たちの肉声だけをたよりに訴えるわたしたちの姿と、ゆめ風基金が作成したパネルを熱心に見た後に質問してきたのですが、ゆめ風基金の活動に共感してくれたようでした。
「障害者のことはよくわかりました。ぼくはもうすぐここで三宅洋平の街頭演説を聴きに来たんですけど、あなたたちは今度の選挙の争点となっている問題についてどんな考えを持ってるんですか?」
「わたし個人の考えしか言えませんが、それでもいいですか?」と聞くと、「それがいいんです。あなたがどう考えているのかが大事なんです」と、その若者は言いました。
「わかりました。いろいろな考えがあるのでしょうが、わたしは日本の農業が大規模集約化され、それでもアメリカなどの大規模生産品に淘汰されてしまう危険があるTPPに反対です。次の世代どころではない地球の未来に取り返しのつかない負の遺産となってしまった原子力発電はすぐにやめないといけないと思います。
いま超人気のアベノミクスも、結局はグローバル企業への優遇策としか思えず、毎年3万人のひとが自殺し、非正規雇用数が4割にせまり、生活保護世帯が急増する社会の構造を根本的に解決する方向ではないように思っています。生活保護を求める人々にその原因を押し付け、申請ができないまま追い詰められていくひとびとを放置するような国家は、多くの国民を見捨てようとしているように思います。その中に当然、障害者とその仲間たちも入っているのではないでしょうか。
それがねたみによるところも多いといわれるヘイトスピーチを生み、助け合うのではなく見張りあう世の中をつくっているように思います。ですが、わたしはその考えに近い特定の政党やグループを支持しているわけではなく、いつも選挙で自分の考えを表現できる投票ができなくて困っています」 と話している間に、彼はくしゃくしゃになった一万円札をわたしに差し出しました。
「こんな大金でなくて…」と言いかけると、決して彼の暮らしがそんなに言いようには思えませんでしたが、「一万円なんか大したことないんですよ。それぞれちがったところにいてちがった暮らしをしていても、つながっていることが大切だと思うので」と募金してくれました。
そして、「わたしが応援している三宅洋平さんのユーチューブを見てほしいです。投票してほしいといっているわけではありません。あなたともつながっていることを知ってほしいだけです」と、青年はいいました。
わたしは「そのひとのことはまったく知らなかったけれど、あなたが応援しているひとなら、ユーチューブを見た上でわたしは多分、そのひとに投票すると思います。わたしはこの街頭募金と同じように、だれかの肉声をもっとも大切にしたいと思っています」と答えると、投票するしないはあなたの自由ですから、それよりもつながっていることを知ってもらえたらいいと、去っていきました。
わたしは20代の若者とそんな話ができたことを、ほんとうにうれしく思いました。ほんとうはわたしたち老人が若者に話しかけるべきかもしれないわけで、「ああ、最近そんな話をしなくなったな」とつくづく思いました。
人間が生身の体を持つ限り、肉声のよびかけや、体を全身使う身体表現が大切な伝言であったりすることには変わりがないと思います。時代が猛スピードでバーチャル化する今、かえって原初的ともいえるフリーハンドで自由な肉声が、想像力という燃料の働きではるかに遠くのひとに伝わる場合もあることをあらためて感じた出来事でした。

家に帰り、さっそくその若者が教えてくれた三宅洋平さんの「選挙フェス」をユーチューブで見ました。びっくりしました。彼の演説?は、日常の暮らしから政治がつながっていることを歌うように語り、聴くまでは選挙をネタにしたパフォーマンスなのかなと思っていたわたしの偏見をあっさりと壊してしまいました。
それはちょうど、先日書いた「ミスター・ムーンライト」のように、わたしの心の壁をこわし、世界を塗り替えました。
「そうだったよな、政治は普通の言葉でかたるものだったよな」と、ずっと以前、西川きよしさんの国会質問と選挙活動や、車いすを利用する女性障害者・入部香代子さんの豊中市会議員選挙にかかわったことなどを思い出しました。
候補者がお願いし、市民が「投票する」だけの選挙ではなく、三宅洋平さんは直接民主主義としての選挙のあり方を思い出させてくれたのでした。そして「みんなで国会に行こう」を合言葉に、市民が自分の暮らしや夢や未来を考えるように社会の未来を考え、想像できることを教えてくれました。政治がとても身近なものに感じられた出来事でした。
わたしだけでなく、今回の参議院選挙には出ないのかなとたくさんの人たちが思っていたことでしょう。ずいぶん前から誘いもあったことでしょうし、市民運動の統一候補者の対象にも挙げられていたことでしょう。何度も逡巡し、思い悩んだ末の三宅洋平さんの決断は、政治や選挙にかかわることを躊躇するわたしにも勇気をくれました。
わたしは今、大阪という地域事情の中で改憲の動きを止めるため、共産党と社民党と民進党のチラシと、「みんなで選挙に行こう」という市民運動のチラシを同時にまいています。選挙のチラシをまくのは30年前に箕面市会議員選挙以来で、ましてやいくつかの政党のチラシを一緒にまくのははじめてです。
チラシをまいてどうなるのとか、何をしてもむなしく思う自分を励まし、「戦争をなくし、いろいろなひとが助け合って生きる社会」を願う世界の人々から託された憲法とこの国の未来が踏みにじられることのないように、ささやかではありますが慣れない能勢でのチラシまきを続けたいと思います。人前で話すことができなくて、街頭でマイクを持って訴えることができないわたしができるただひとつのことですから…。

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