「アイ ウォンツ ユー」と日航機よど号事件 憲法とわたしの人生3 

1970年4月10日、ビートルズが解散しました。思えばビートルズがラジオから聞こえてきたのは中学生の時でした。それまで歌謡曲しか聴かなかったわたしが、いつのまにかビートルズのファンになっていました。
高度成長、ベトナム戦争、安保闘争、東京オリンピック、アメリカ公民権運動など、世界も日本も激動の時代だった1960年代を、わたしは同世代の学生運動にシンパシーをもちながらも、パッとしない青春を悶々と過ごしていました。
わたしの1960年代は、いわば逃げつづける10年でした。社会性のかけらもなく、どこにも隠れ家がないのにそれでも隠れ家を探し続ける貧乏でどもりで私生児の少年は、いままでもこれからもこの町もよその町も、いいことなどなにひとつないと思っていました。
世の中すべてから脱出したい!それも当時流行ったヒッピーなどとちがい、ただ自分という存在を消しごむで消してしまいたかった。学生運動に没入していた大学生の友人もいて、徹夜で議論することもしばしばありましたが、みんな妙に元気で、それにひきかえわたしには彼女たち彼たちにみなぎっていた覇気というものがまつたくありませんでした。
彼女たち彼たちの口癖だった「帝国主義打倒」、「人民解放」、「革命勝利」といった言葉はよどんだ夜の空気にゆらゆらするだけで、わたしの心を動かすことはありませんでした。
彼女たち彼たちが熱く語る「革命」が勝利に終わったあと、多くの「人民」がしあわせになるはずでしたが、わたしのところまではその「しあわせ」がやってこないだけでなく、その「人民」たちにとってわたしは排除されるべき人間とされる確信がありました。
学生でもなく労働者でもなく人民でもなく、のちに登場する市民にもなれそうにないこのわたしはいったい何者なのか、何者になれるのかと絶望的に思っていました。
それでもわたしは、今のわたしに助けになることをいっぱい教えてくれたそのひとたちに感謝しています。彼女たち彼たちなりに真実を伝えようとする言葉の裏にある夢見る心はとても純情で希望にあふれていて、陰気でなんの行動も起こさないわたしをはげまし、生きる勇気をくれたのでした。
わたしにジョン・コルトレーンを教えてくれた山口県出身のIさん。お元気ですか。
「腰が重いけれど、いつか君も立ち上がるときが来るよ。」と言ってくれた、京大ノンセクトラジカル・銀ヘルのIさん。
君の言葉に応えられたのかどうかはわかりませんが、わたしはそれから約15年もたって障害者運動のひとたちと出会い、学び、今は流れ着いた能勢で見果てぬ夢を見つづけています。もちろん半世紀のときをすぎてもなお、わたしには行方がわからないあなたたちの夢もまた、わたしの大切な宝物なのです。

ビートルズが解散するほんの数日前、羽田空港発の日航機「よど号」が、飛行中に日本刀や爆弾で武装した9人の赤軍派にハイジャックされる事件が起きました。
被害者をふくむ関係者の方々には申しわけないのですが、わたしの中でよど号事件とビートルズの解散は切り離せず、解散の直前に発売された実質上最後のアルバム「アビーロード」の一曲で、ジェット機の轟音が流れる「アイ ウォンツ ユー」を聞くと反射的によど号事件を思い出します。
わたしはその時、友人数人と須磨の海岸にいました。今から思えば滑稽なんですが、わたしたちはみんなで大きな石を海になげて、ビートルズの解散をわたしたちなりの儀式で見届けたのでした。
その滑稽な儀式はビートルズへの別れだけではなく、わたしの1960年代への別れでもありました。それはちょうど学生運動をしていた大学生が社会に出て行くのと時を同じくしていて、わたしもまたへたくそなりにも社会に順応するための努力をはじめなければならなりませんでした。さびしくもあったし、かなしくもありましたが、よくも悪くも大人になろうとする自分を認めるもうひとりの自分がいました。
妻と結婚し、それから18年も働くことになった工場勤め、さらには豊能障害者労働センターでの怒涛の日々、そしてまたいくつかの障害者関連のグループのスタッフとして働き、いまは残り少なくなった人生にどんな夢と希望を描き、またどんな絶望と後悔をかみしめるのかわからないまま、今度の参議院選挙の結果、改憲勢力の3分の2の議席を阻止するための野党共闘を支援するチラシをまいています。
「憲法」をしっかり理解できているわけではありませんが、子供の頃から「アメリカに押し付けられた憲法」だとか、9条を夢見る少年少女のうわごとでしかないと大人たちから恫喝されても、わたしにはいわば「少年探偵団」の一員として大人たちの長い嘘を暴き、新しい世界を教えてくれた「日本国憲法」を明智小五郎と慕い、「自由よりほかに神はなし」という心情が心の底の底まで染みついています。
今頃になって、殺戮を繰り返し、子供たちの切ない夢までも食い尽くしてきた世界の歴史が、誰も傷つけず誰も傷つかない世界、さまざまなひと、さまざまな民族、さまざまな性的嗜好、さまざまな夢を尊重し、ともに助け合って生きる世界の未来を「日本国憲法」に託したのだと確信するようになりました。
そんな憲法だからこそ、わたしのような社会的少数者にもこの社会での居場所を用意し、数少ないともだちとの出会いを用意し、「死への恐怖と誘惑」とたたかう青春の日々を応援してくれたのだと思います。
「たたかう前から負けている」と言われそうですが、正直言って、改憲勢力の3分の2を止めることができるのかはわかりません。棄権するひとたちに「選挙に行こう」とよびかけたとしても、そのひとたちがすべてわたしたちの望む投票をするとは思えないのです。たとえそうであって、投票率があがることは誰にとってもいいはずです。世界の地域によれば、投票に行くことが命がけである地域が数多くあり、一枚の紙きれでしかない投票用紙がある時には未来への長い手紙であったり、見果てぬ夢であったり、鉄よりも重い一粒の涙であったりするのですから…。

The Beatles「 I Want You (She's So Heavy) 」

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