参議院選挙と三宅洋平さんと恋する経済

7月21日の参議院選挙で久しぶりに「このひと」と思う人に投票しました。そのひとは、緑の党グリーンズジャパンの候補者の三宅洋平さんでした。わたしはこのブログではできるだけ政治のことや選挙のことなどを記事にすることは控えめにしてきましたが、「助け合い経済」や「恋する経済」を考えて行くと、どうしても政治への関心も避けられないこととしてあるのです。
わたしは16年間働いた豊能障害者労働センターの活動を通して、1980年代のサッチャリズム、レーガノミクス以降の市場原理主義・新自由主義と対決し、もうひとつの経済を育ててきた世界のさまざまな地域のさまざまな人々の活動を学びました。
わたしたちは「それはきれいごとだ」とか「青臭い理想論」だといわれながらも、障害のある人もない人も共に働き、共に経営する事業で得たお金をみんなで分け合ってきました。たしかに貧乏で社会保険にも入れず、昔も今も苦しいことや悲しいこともたくさんありますが、それ以上に助け合って暮らしていけることが何にも代えがたい自前の「社会保険」でした。
いま、福祉予算や社会保障の削減が声高く叫ばれていますが、誤解を恐れずに言えばそもそも障害者が親元を離れなければならない時や高齢者が慣れ親しんだ家で住めなくなった時、本人が望まない場合でも居住施設に入ることが優先され、友人や仲間から切り離され孤立するためにたくさんのお金がつぎ込まれるのが福祉の充実になるのかと、ずっと考えてきました。
わたしは豊能障害者労働センターでの日々の活動から、障害者が町で普通の市民として暮らし、障害のある人もない人も、男も女もどちらでもない人も、戸籍の書かれた文字によって理不尽な目に合う人もそうでない人も、大人も子供も、ひととひととが助け合い、物もお金も心さえも分かち合う「友情」を基盤にした「共に生きる社会」における「共に生きる福祉予算」こそが望まれ、少ないお金で多くの豊かさを作り出せることを実感していました。そんな思いから、このブログのタイトルを「恋する経済」とつけたのでした。

今回の参議院選挙では、東京都選挙区から立候補した山本たろうさんに呼応するように比例区で立候補した三宅洋平さんの選挙活動が日を追うにつれて大きく広がりました。ミュージシャンの彼は、街頭演説や街頭宣伝ではなく、音楽ライブをやる音響設備を携え、全国各地の仮のステージで語り続けました。
「お前がひとり国会に行って何ができんのって? 何言ってんよ。俺が一人でやるんやないよね。俺を押し出したみんながやること。投票した人が公約したことができてなかったら、何かできることあったら手伝うよ、そういってくれるひとが俺の後ろにどれだけいるかが俺の政治力になるんよ。みんなで国会に行きましょうよ。」
「何十万の人が家を失った原発事故の、たかだか2年ちょっと後に、平気でそれを外国に売って歩く国の国民にされてるから、それはいかん。ほんとうに、デモも嘆願も請願も陳情も院内交渉も官僚との交渉もみんなやったけど、全部持ち帰って検討するだったんだよ。」
そして、残された最後の行動が参議院への立候補だったと語る三宅洋平さんのトーク(演説)と歌は彼の選挙スタッフもネット配信しましたが、それよりもその場に集まった人たちが同時にネット配信することで、彼が「選挙フェス」と呼ぶ各地の広場により多くの人たちが押し寄せるという形で多くの若者の心に響き、届いたのでした。
以前に書きましたが、私自身はたまたま東日本大震災に被災した障害者支援のための募金活動をしていた時に、一万円も募金してくれた若者から三宅洋平さんのことを教えてもらい、ユーチューブで彼の話を初めて聞きました。
失礼ながら動画を見るまでは少し浮ついたひとなのかなと思っていたのですが、とんでもない、このひとはほんものだと思いました。たしかに話している内容にすべて賛成というわけではないのですが、政治をふつうの言葉で語り続け、自分を特別な候補者として有権者にお願いするのではなく、聴衆も自分も一緒になって市民参加をとりもどそうという呼びかけに共感しました。
わたしは三宅洋平さんの話を聞きながら、かつて西川きよしさんが選挙に出た時の演説や、国会での彼の質問に既成の政党の議員が失笑するたびにテレビ中継を見つめるおじいちゃんやおばあちゃんがより熱く西川さんを支持したことを思い出していました。西川さんもまた、政治を日常の言葉で語ってくれた人でした。
そして、日常の言葉で語られる三宅洋平さんの脱原発への必死な願いは、彼の語る事実に少しの間違いがあることを指摘する識者といわれるひとたちの批判よりも確かな真実として、ストレートにわたしの心にも届いたのでした。
三宅洋平さんの語りはバブル崩壊後の失われた時代に生き、自分の人生にも世の中にも問題を感じながらもどうコミットすればいいのかわからないでいた数多くの若者の心を奮い立たせ、それを友達に伝えたいと思う必死さがツイッターや動画サイトへと情報をあふれさせたのだと思います。
その結果は当選しなかったとはいえ、17万6000票という得票数に表れました。この得票数はもし彼が既成政党の候補者ならば当選していた数字です。もっとも、皮肉なことに既成政党の候補者だったらこんなに多くの得票数にはならなかったことでしょう。
この結果に、既存の政治家や政党がただ単にミュージシャンがいきがっただけで政治の世界は甘くないというふうに見ていたとしたら、それは大きな間違いだと私は思います。
三宅洋平さんが全国各地で何度も何度も語り、聴衆が圧倒的に賛同した言葉、「今までの政治の在り方ではだめだということを、時代はもう変わっていることをぼくたちは知ってしまったのだから、それを伝えにみんなで国会に行こう」というメッセージは、ネットとか若者文化という枠組みからあふれつづけ、すでに日本社会の地下水脈になろうとしているのだと思います。
案外、その脅威を一番感じているのは今回の選挙でどの政党よりもネット戦略を駆使したと報じられた自民党かもしれません。おそらく相当のお金を出してインターネットのさまざまな情報が蓄積され、日々変わる「ビッグデータ」を分析し選挙戦略の一つとした彼らとはまったくちがうアプローチから少ないお金でネットの効果を証明してみせた三宅洋平さんと彼を支えたひとびとの存在に、計り知れない恐怖を抱いているかも知れません。
どんなに選挙で圧勝した強大な与党勢力に対してでも、議会の外で生まれ育つ魂のネットワークによる異議申し立てが大きなうねりとなることがあることを、ビロード革命といわれた民主化を実現したチェコや、アラブの春をはじめとする世界の民主主義は証言してきたのですから…。
そして、市民になることから遠ざけられてきた障害者をはじめとする数多くのひとたちが、三宅洋平さんたちの「たたかわない市民運動」とつながっていくことを心より願いますし、わたしもまた参加したいと思います。
くしくも本日、日本の障害者運動をけん引してきたひとりで、女性障害者の市議会議員としても活躍した入部香代子さんの訃報が届きました。わたしは彼女を豊中市議会議員に送り出す活動に参加させていただいたことを誇りとしてきました。入部香代子さん、ほんとうにありがとうございました。さびしい限りですが、ご冥福をお祈りします。

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