山田太一とテレビと力道山と・山田太一その1

7月21日、「山田太一ドラマスペシャル よその歌 わたしの唄」を観ました。
1970年代から80年代、「藍より青く」、「男たちの旅路」、「高原へいらっしゃい」、「岸辺のアルバム」、「早春スケッチブック」、「不揃いの林檎たち」など、山田太一脚本のテレビドラマは数多くのファンをテレビにくぎ付けにしましたが、わたしもまたそのひとりでした。
ひさしぶりの山田太一のドラマは、タイトル通り「歌」(唄)をテーマにしながら、この作家がずっと見続け、描き続けてき家族の在り様とともに、孤独な心や理不尽な運命を抱えながら一生懸命に生きようとする世代を超えた男女を、いとおしくこの時代の「今」を背景に描かれていました。
いつものことながら山田太一のドラマの登場人物のせりふは、いまの多くのドラマでは話されない言葉で、また彼女たち彼たちが暮らしている家も町の風景も東京で、決して下町とは言えない町並みなのにどこかなつかしく、路上のごみまでもがかさかさとささやいているような町の匂いが画面からあふれてくるようです。
宴会やカラオケのあるスナックを経て、1980年代半ばに「カラオケボックス」が誕生して30年、世界にも広がったカラオケはわたしたちの生活文化のひとつになっています。そして、よくも悪くも「歌」の在り方や音楽産業まで、大きく変えてしまいました。
すでにカラオケが歌にとって必要不可欠になってしまった今、ひとりカラオケで歌う登場人物たちのだきしめたくなるほどいとおしい姿を見ながら、わたしはそもそもひとはなぜ歌を聴き、歌を歌い、歌を必要とするのかと自問し、その答えを彼女たち彼たちからもらったような気がしました。
このドラマのストーリーなど、もう少し詳しく書くのを少し後にして、豊能障害者労働センター主催で2度も講演会に来ていただいたこともある山田太一さんについて書いてみようと思います。

わたしがこどもの頃、テレビは大事件でした。
食堂をしていた母が280円で買った中古ラジオ。美空ひばりや三橋美智也の歌が風のように流れてくるラジオに耳をつけるように聴き入っていた母。夕方の5時20分になると、「少年探偵団」のラジオ放送を聴くためにかけ足で家に帰ったわたし。
鉄条網と路地とバラックの家とそろばん塾と紙芝居と母と兄とわたし。
日本中がまだ貧乏で、不安定なグライダーのように夢と幸福と希望と失望をくりかえしていました。そして、ポスターを張る代わりにただ券をくれた街の映画館で観た映画だけが、わたしの心のスクリーンにまぼろしの未来を映しつづけていました。
それからしばらくして、わたしたちの街にテレビが力道山とともにやってきました。毎週金曜日になると、お金持ちの家の茶の間は町内のこどもたちでいっぱいになりました。テレビのプロレス放送があるからです。この時ばかりは近所のテレビのない家のこどもたちのために、力道山のプロレス放送を見せてくれるのでした。もっともわたしは裏番組のレイモンド・バー主演の「弁護士ペリー・メイスン」を見たかったのですが…。
それから、あっというまに我が家にも中古のテレビがやってきました。それは、近所の牛乳屋さんからのもらい水でしのいでいたわが家の裏に掘った自前の井戸と、母がとつぜんつくりはじめた野菜サラダとともに現れたのでした。
わたしがおとなになっていくにつれて、テレビは事件ではなくなっていきました。テレビそのもののおどろきから遠くはなれ、灰色のブラウン管はわたしの日常生活にすりより、それでいていつも不気味にぽっかりとあいた窓でした。テレビをのぞきこむたくさんの家族の姿を、灰色の窓から見ているまぼろしの宇宙人がいるような気がしました。

1972年、NHKの朝のドラマ「藍より青く」が放送されました。わたしがはじめて観た山田太一のドラマでした。
山田太一の名前は、愛読していた寺山修司の「書を捨てよ、町に出よう」に2人の往復書簡がのっていて、高校を出た頃から知っていました。
山田太一の作品年譜を見ると、ファンとしてはそんなに古くなかったことを知りましたが、それでもそれから後のドラマはほとんど見ていましたこともわかりました。
1976年のNHKドラマ「男たちの旅路」がはじまると、いろんな人に宣伝しました。シリーズ3回目の最後「別離」の時、翌日の引っ越し準備をしていて観ることができなかったわたしに、ともだちがわざわざ電話してきて筋書きをおしえてくれたことをおぼえています。
山田太一のドラマの登場人物の、どこかさびしいところが好きでした。けっして暗い物語ではないのに彼女たち彼たちがさびしいのは、「わかりあえない」何かをいつも持っているからではないかと思いました。
山田太一のテレビドラマはだれもが思い当たるごく普通の日常だし、ありふれた会話とちょっとした事件で物語が進んでいきます。ごく普通の家族、ごく普通の人間関係の「わかりあえている」という安心が、ドラマが進むにつれてあやういものになっていきます。
その時、登場人物たちはあわてふためき、思いまどい、「わかりあおう」と必死にもがきます。けれども普通だと思っていた日常はまったくちがった姿であらわれ、彼女たち彼たちと、そして見ているわたしたちを思いもしなかったところへ連れていくのでした。
彼女たち彼たちがぎりぎりのところで自分を見つけようとする時、さびしさはけっして人生を絶望させるものではないことを知ります。そして、あらためて他人とちょっとだけでもいい、いっしょうけんめいつきあっていこう、いっしょうけんめい生きていこうとするのでした。
その時のはりつめた、かっこう悪い姿が好きでした。そして、ドラマを見るわたしもまた自分をはげましていることに気づくのでした。そんなことで何かが変わるかどうかはどっちでもよい。そう思う自分を好きになってしまうのです。

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