寺山修司から山田太一へ・山田太一その2

わたしは何回も引っ越しました。摂津市千里丘の家を高校卒業後すぐに出て大阪の岸里に住んだのを皮切りに、吹田、蛍池、服部、川西、豊中と移り、箕面に住んでいた時はこの町が終の棲家と思ったものですが、それからまた旅は続き、吹田の江坂町で妻の母との同居をへて、大阪のてっぺんといわれる能勢町に引っ越してちょうど2年がたちました。

1977年12月3日、土曜日。その日は川西の家から豊中に引っ越すため、わたしは朝から必死で準備をしていました。出来合いのもので夕食を済まし、まだ小さかった子どもたちが寝た後、妻と2人でなかなか片付かない最後の荷物の整理をしていました。
夜の9時すぎに、電話のベルが鳴りました。すでに亡くなって4年が経とうとしている親友だったK君でした。「引越しの準備大変やろ。明日行くわな。『男たちの旅路』見てへんやろ」。
その夜は山田太一の「男たちの旅路」第3シリーズの最終回「別離」を放送していましたが、引越しの前の日で見れるはずもありませんでした。
「こうなってな、あーなってな、桃井かおりが死んでしまうねん」と、筋書きを電話で話す彼の親切はありがたいのですが、「俺は見たでー」という優越感のようなものを感じ、「こんちくしょう」と思ったものでした。
「高原へいらっしゃい」、「さくらの唄」「岸辺のアルバム」…。この頃は各局でよく山田太一のドラマがあり、わたしと友人との間で「山田太一のドラマを見たか」が合言葉になっていました。

19才から23才まで、最初に就職した建築設計事務所を半年でやめてビルの清掃を3年、その後ぶらぶらしていた時代にもっとも気になる人間は寺山修司でした。
どもり、「私生児」、ヒッピー、孤独…。ほんとうは社会や他人と関係を持つことが怖いだけだったわたしに、寺山修司はたった3分の歌謡曲や雑多な巷から思想を語り、自分らしく生きる勇気を教えてくれました。
そして1970年、世の中の喧騒がおさまるのと同時に、わたしの青春は終わりました。それから会社勤めをし、結婚し、子どもが生まれ、わたしにも家族ができていく年月に、もっとも気になる人間となったのが山田太一でした。
山田太一が描く日本の高度成長期の家族は、決して幸せではありませんでした。というより、期待される幸せな家族像が、山田太一のドラマにはなかったのでした。
「岸辺のアルバム」、「早春スケッチブック」に代表されるように、ドラマの最初で幸せな家族像はすぐに崩壊してしまいます。
「わかってくれる」と思い込むことが家族のひとりひとりを傷付けていたことを知らされ、自分自身も傷ついてしまいます。そして不思議なことに、「決してわかりあえない」ことを知った時、家族や友人や自分のまわりのひとたちを前よりもいっそういとおしく思うのです。そして、もう一度いっしょうけんめい生きよう、いっしょうけんめいつきあおうと静かな決意をする登場人物たちの後姿は、いつのまにか見ているわたし自身の後姿になっていました。
ひとはいつから自分がおとなになったと感じるのでしょう。波がきらきらした夢を連れ去った後、砂浜に取り残されるものは思い出という貝殻だけなのでしょうか。
いや決してそうではない。若さというスピードが置き忘れた人生の意味をひとつひとつ辛抱強く拾いながらもう一度歩きはじめる時、ひとはおとなになっていくのだと思います。
つまらないと思ってしまいがちな平凡な日常生活の中で「自分らしさ」を再構築していくドラマを、わたしは必要としていたのでした。山田太一のドラマは、おとなになっていくわたし自身のドラマでもあったのです。
そしてわたしにとって、山田太一のドラマはフィクションで終わりませんでした。「男たちの旅路」シリーズの「シルバーシート」、「車輪の一歩」は、その後僕自身が会社勤めをやめて、豊能障害者労働センターのスタッフになることを予見していたのでした。

NHK土曜ドラマ 山田太一シリーズ「男たちの旅路 第3部 第3話 別離」(1977年)
特攻隊員だった鶴田浩二演ずる吉岡は、死んでいった戦友への申し訳なさをかかえ、生き残ってしまった自分を恥じるように生きています。戦後の経済成長とともにあった時代の風潮を憂い、「若い奴はきらいだ」と言い放つ吉岡の言動を時代錯誤で右翼的と反発しながらも、水谷豊や桃井かおりたちが演ずる戦後生まれの若者は奇妙な尊敬の感情を持ち始めます。一方吉岡もまた、若者は若者なりに一生懸命生きていることを心の底で感じるようになり、かたくなで不器用だが少しずつ不思議な友情に近いものが両者の間に生まれるのでした。
鶴田浩二主演のテレビドラマということで、このドラマの設定は山田太一にとっては本来のものではなかったかもしれないのですが、予定調和的で安易な「解りあい」や人間関係など絶対にありえない山田太一らしいドラマだったともいえるのではないでしょうか。
そして、桃井かおり演じる悦子は吉岡に恋心をもちはじめ、吉岡は時々おどおどしながらも戦中派の硬派の中年を演じつづけるのですが、その悦子が死んでいこうとする時、「悦子くんを愛している」と水谷豊演ずる陽平に告白します。
最初はテレビドラマに出ることを断ったといわれる鶴田浩二がこの役柄ならと受けたといわれる特攻隊崩れの右翼的で硬派の中年の男が無防備でたどたどしく、内心おろおろしながら、嫌っていたはずの若すぎる女性への愛の告白をするこのシーンを、よくも鶴田浩二が演じたものだと思います。そして、時代錯誤であっても「かっこいい」とされた吉岡より、この時のぼろぼろで「かっこわるい」吉岡を演ずる鶴田浩二に、名優である証を見たのはわたしだけではなかったと思います。

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