ひとつのドラマが人生を変えることもある・山田太一その3

「人間は、してきたことで敬意を表されてはいかんかね。してきたことを大切にできなければ、人間は使い捨てられるだけじゃないか」と、一人の老人が言います。
「こんなことをして世間が敬意を表しますか。すねた子どもが押入れに閉じこもっているのと変わらないじゃないですか」と、警備会社の吉岡が言います。
「わしらは押し入れにとじこもっただけです」。
「あんたにはわからないんだよ。税金のお世話になっているもんは、おとなしくしてなきゃいかん。そんなことはわかってるんだよ。だけど、時々、わーっ、わっーて、無茶をしたくなる年寄りの気持ちなんか、あんたにはわからないんだよ」。
「これは老人の、要領のえん、悪あがきです。だまって、警察に突き出してくれますね」と、老人たちは言うのでした。
1977年に放映された男たちの旅路シリーズ「シルバーシート」は、老人ホームに入っている老人たちが友人の死をきっかけに、車庫にある都電に篭城する話です。
じいさんたちはさびしいんだ、若い奴がすぐにのけものにするからだ、社会に訴えたいことがあるんだ……。
老人たちに好意的な警備員たちがさまざまな憶測をし、老人たちを説得するが、いっこうによせつけません。
「吉岡さん、あんたの言っていることは理屈だ」「あんたは、まだ若い。若いから理屈で納得できる」「あんたの20年後ですよ。20年たったら、あんたの言っていることが理屈だとわかる」。
「死んだ本木さんの骨が帰ってきた時、悲しくてね、くやしくてね、このままおとなしく死んじまってたまるかと思ったんだ」。
このドラマを見た時、わたしは30才でしたが、「あんたの言っていることは理屈だ。あんたはまだ若い」という言葉が、66才になった今もずっと心にひっかかったままです。
ラスト近くの10分間、篭城した都電の中で笠智衆、加藤嘉、殿山泰二、藤原釜足という名優たちがたたみかけるセリフにかくした山田太一のメッセージは、36年がすぎて介護保険制度ができた今でも、いや今だからこそますますその意味は重くせまります。
まわりがどんな福祉制度で固められても、福祉制度に合わせられてしまう「老い」ではなく、ひとは自分の「老い」と出会い、とまどいながらもどうつきあっていくかを自分で決めるしかないし、自分で決める自由があるはずなのです。
「シルバーシート」の老人たちの痛烈な言葉は、まるで思い通りにならない恋人とつきあうように「老い」を生き、「老い」とつきあう人間のいとおしさ、不思議さをかくしていました。
「わしたちが何を要求しているのか、わかりますか?あんたも20年たったらわかる」とは、テレビの視聴率と格闘しながら山田太一がかけた、時代をこえる「謎」のメッセージなのだと思います。
その「謎」を、わたしたちは解き明かすことができたのでしょうか。このドラマが放映されてから36年の間に、たしかに老人や障害者にかかわる福祉制度は大きく変わりましたが、人間の不思議さや人生の謎、「老い」や「かけがえのない個性」や「友情」を分かち合う社会の仕組みを、わたしたちはまだ持てないでいます。

1979年11月24日、男たちの旅路シリーズ最終回「車輪の一歩」が放映されました。車イスを利用する青年たちに吉岡が言います。
「ひとに迷惑をかけるなという、この社会がいちばん疑わないルールが君たちを縛っている。ひとに迷惑をかけていいじゃないか。君たちが自由に街に出られないルールの方がおかしいんだ。迷惑をかけることを恐れるな」。
当時は「なぜ、鶴田浩二扮する吉岡に言わせるのか」という障害者市民運動からの意見もあったと聞きますが、このメッセージは当時障害者の友人がいなかったわたしの生き方、感じ方を見事にひっくりかえしてくれました。
それから3年後、活動をはじめたばかりの豊能障害者労働センターに行った時、脳性まひといわれるKさんたちとすぐ仲間になれたのは、このドラマを見ていたからでした。
最初は周辺にいただけだったわたしが、1987年に豊能障害者労働センターのスタッフになったのも、すべてはこのドラマからはじまっていたのだと思います。

3回に渡り、「男たちの旅路」シリーズを中心に山田太一のドラマについて書いてきましたが、1960年代の木下恵介劇場からNHKの朝ドラ「藍より青く」、それ以後倉本聡と並びテレビドラマの創世記をけん引した山田太一の数々の名作は、いまもたくさんの人たちの心に強烈に残っていることでしょう。
そして、一本のドラマで人生が変わることを教えてくれる、そんなドラマをつくる作家はそんなに多くはいないと断じて思うのです。
「シルバーシート」、「車輪の一歩」は、まちがいなくわたしの人生を変えてしまったのでした。
山田太一さんの人気ドラマに「ふぞろいの林檎たち」がありますが、豊能障害者労働センターの人たちは障害のある人もないひとも、ほんとうに「ふぞろいの林檎たち」そのままです。その「ふぞろいの林檎たち」のために、1990年、2000年と2回も、豊能障害者労働センター主催の講演会に来てくださった山田太一さんに深く感謝すると共に、不遜を承知で言えば、それはわたしたちのたちの誇りでもあります。

さて、今回のドラマ「よその歌 わたしの唄」について書くつもりがとても長い前置きになってしまいました。そして、実はこの間、小椋佳のコンサートに行ったり、明日4日は唐十郎作・蜷川幸雄演出「盲導犬」を、11日には最近ファンになった曽我部恵一のライブに行くことになっていたり、その上に明日は首を長くして待っていた島津亜矢の「BS日本のうた」への出演がありまして、書きたいこと、書かなければいけないと思っていることがたくさんあります。
順番がどうなるかはわかりませんが、今回のドラマ「よその歌 わたしの唄」は、カラオケをきっかけにした「歌(唄)」をテーマにしていることもあり、島津亜矢や曽我部恵一、小椋佳のことにも触れながら書いてみようと思っています。
とにもかくも、明日は島津亜矢の番組を録画しておき、宮沢りえ、古田新太、小出恵介が出演する「盲導犬」を観に行きます。

NHK土曜ドラマ 山田太一シリーズ「男たちの旅路 第3部 第1話 シルバー・シート」(1977年)

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