映画「かあちゃん」と豊能障害者労働センターと島津亜矢

ここ1週間ほど風邪をひいてしまい、ブログの更新も滞ってしまいました。その間でも島津亜矢の記事を中心に訪問してくださった方々に感謝します。
普段でも毎日夜遅くまで、また休みの時は朝から韓流ドラマをみたり再放送の2時間ドラマを見て無駄に時間をむさぼっていて、なんとか生活を変えなきゃと思いながらも、今回のように風邪をひいてしまったりするとますます朝から夜までテレビはつけたまま、録画した番組とライブの放送とをごちゃまぜにして見ながら、いつのまにかうとうとしてしまいドラマの成り行きも途中がすっぽりぬけてしまい、登場人物が岸壁などに集まって謎解きをしている、といった感じでその日が終わってしまうのでした。

昨日もなんとなく番組表を見ていると、市川昆監督の2001年の映画「かあちゃん」を放送していて、15分ほど過ぎていましたが観る事にしました。わたしは市川昆の映画をおそらく2、3本しかみていないと思いますが、この映画は75本目ということでした。
まず映像がカラーのようでカラーでなく、といって白黒でもない、グレーの背景にうっすらと色がついているという感じがとても印象的でした。物語は江戸時代の長屋が舞台の「善良な、どこまでも善良な」人情小話の落語そのもので、それもたったひとりで演じる落語をわざわざ大人数と大掛かりなセットの映画で表現するために、グレーっぽいカラーの独特の映像にしたのだと思います。
不景気、失業、相次ぐ暗い事件。現代の世相を思わせる天保末期。老中・水野忠邦の改革の効なく、江戸の庶民の生活は困窮を極めていた。ある貧乏長屋で5人の子供を育てる、おかつ(岸惠子)もその例外ではなかった。そんな生活の中、おかつの家では一家6人が総出で金を貯めこんでいると噂になっていたが、それには理由があった。それは長男の友人の源さんが貧乏ゆえお金を盗んだ罪で3年の刑に服していて、彼が出所した時にまっとうな生活ができるようにとその3年間、源さんのためにお金をためていたのだった。自分たち家族よりも他人を思いやるおかつに、家族みんなが協力を惜しまないのだった。その上おかつは、たまたま入ってきた泥棒さえも一家の一員として受け入れることにする…。
いまどき、こんなお話がすんなりと受け入れられるはずがないという意見も多いと思いますが、資本と労働の社会になる近代以前の江戸時代では長屋や職域を生活圏とする「助け合い」文化は当たり前のことだったのかも知れません。もちろん、そんな「助け合い」を必要とする武士権力による圧政がその前提にあったことは言うまでもありませんが…。
近代以前は「貨幣」もまた、資本主義における再生産の重要なツールであることとはちがい、貨幣の本質である「交換」が、もう少し目に見えるというか、古着のように不要になったひとから必要とするひとへとリサイクルしていくための補助エンジンのような役割で、必ずしも貨幣を通さない物々交換や、労働と物との交換、さらに無償の助け合いの背景にある「人情」が貨幣の役割を持っていたのかも知れません。
落語に出てくる江戸の人情話はよくも悪くも近代が近代になるために捨ててしまった「人情」が時にはお金よりもひとびとの暮らしを成り立たせていたことを物語っているのではないでしょうか。
ずっと映画を見つづけていて、この底抜けの善人の物語はもしかすると山本周五郎ではないか、と思い、ラストのクレジットを見たらやはり山本周五郎でした。わたしは島津亜矢の座長公演「おしずの恋」を見て、はじめて山本周五郎の短編小説を読んだというぐらい日本の時代小説やミステリー小説を読んでこなかったので、ほとんど映画や芝居の原作としてしか山本周五郎の世界に触れることはありませんでした。
実際、島津亜矢の「おしずの恋」を見て、芝居のジャンルは別にして日本の大衆演劇の王道と言える人情ものはある意味、複雑さを楽しむような不条理演劇とはまったく正反対に位置しながら、欲望や野心や裏切りなど人間の業に支配される俗社会の拘束から解放された希望や願いや無垢な心が社会を変革するエネルギーになる時もあることを教えてくれます。
1955年に発表された山本周五郎の「かあちゃん」は、その意味において徹底した「助け合い」を描いた人情小説ですが、すでにブレーキが利かなくなった高度経済成長の疾走列車からは猛スピードで捨てられていかざるを得なかったのでしょう。くしくも彼が亡くなったのはその真っ只中の1967年でした。
わたしは豊能障害者労働センターと出会うことで、「迷惑をかけないこと」や「人に頼らないで自立する」ことなど、それまで信じていたあたりまえとされる社会のルールが他者との出会いをさまたげ、「自分は何者か」と考え「他者への想像力」を持つことをさまたげる場合もあると知りました。実際、障害者といってもひとそれぞれで、ふりかえれば健全者と言われるわたしもまたひとそれぞれのひとりで、金子みすずの言うように「みんなちがってみんないい」のだと豊能障害者労働センターは教えてくれたのでした。
そして、わたしもまた高度経済成長のジェットコースターから振り落とされまいと不器用ながら一生懸命生きてきたことはまちがいないと思いながらも、それはやはり自分のことは自分が守るしかないという自己責任に追いかけられる一生懸命だったのだと知りました。豊能障害者労働センターとの出会いはわたしに他人と一緒に何かをつくり、他人と共に生きる喜びを教えてくれました。
たとえ話としてふさわしくないのですが、10個の箱を能力があると言われるひとがあっさりと作ってしまう孤独よりも、10人の人間があるひとは3つ作り、あるひとは2つ壊し、またあるひとは1つ作るというようにしながら時間をかけて10個の箱をつくりあげる方が、より豊かな品質とより豊かな生産性(ただ単純に生産性が高いということではなく)と、そのプロセスにいろいろなひとの夢や希望が詰め込まれ、さらには多くの雇用が実現する「もうひとつの経済」がたしかに存在することを知ったのでした。(このたとえ話をすると、障害者はゆっくりしかつくれず、壊してしまうのも障害者と思われがちですが、実はまったく違っています。ひとそれぞれで障害者、健全者にかかわらず早くつくってしまう人もゆっくりの人も、こわしてしまう人も、助け合ってつくる方が楽しいということです。) その体験がなければ、わたしもまた山本周五郎の世界を理解できなかったかも知れません。
わたしは島津亜矢がJポップや海外のポップス、ジャズ、ブルース、R&Bと何を歌ってもそのジャンルのトップシンガーになる才能を持っていることを信じてやみません。
しかしながら一方で、彼女が歌う演歌には山本周五郎や長谷川伸など、戦後の資本主義が捨ててきた人情を次の時代に届けるすばらしい使命をもっていると思います。
資本主義の終焉が語られ、路地裏資本主義や銭湯資本主義、里山資本主義という題名の本が本屋さんに並び、「ポスト近代」の行方をさがす試みがつづけられる中、「前近代」と吐き捨てられてきた人情や助け合いが次の時代のパラダイムとして復活する予感を、島津亜矢の演歌から感じるのはわたしだけなのでしょうか。
わたし自身の好みや心情は別にして、もう多くの歌手が歌わなくなった軍歌「戦友」を歌い、かと思えば「ヨイトマケの唄」を見事に歌い、「瞼の母」や「一本刀土俵入り」など、時代の彼方に押しやられそうになる歌を歌う、いわばアナクロニスム(時代錯誤)の女神として、島津亜矢は来るべき時代が彼女の歌に追いつくまで今日も明日も振袖姿で歌いつづけることでしょう。

ほんとうはCD「BS日本のうた」に収録されている「哀しみ本線日本海」と「みちのくひとり旅」について書くつもりだったのですが、たまたま映画「かあちゃん」を見たことから山本周五郎と島津亜矢について書いてみました。
「BS日本のうた」についてはまた次の機会に書きたいと思います。

映画「かあちゃん」

島津亜矢「かあちゃん」

島津亜矢「瞼の母」

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