後悔や涙、それでもまた明日を生きる希望を歌う長野たかし&森川あやこ

12月16日、北千里駅のそばの居酒屋「千里一番 だごや」で長野たかし&森川あやこのライブがありました。
長野たかしさんは「遠い世界に」など数多くのヒットを出し当時の若者に多大な影響を与えたフォークグループ「五つの赤い風船」に1968年にベーシストとして加入し、日本のフォーク黎明期の高石友也、岡林信康、高田渡、ザ・フォーク・クルセイダーズのツアーメンバーでもありました。
1972年の「五つの赤い風船」解散後、自分らしい表現を求めて子どもたちにメッセージを伝える演劇に道を見出し、NHK教育テレビ「たのしいきょうしつ」にレギューラー出演。その後、妻の森川あやこさんと劇団「MOMO」を結成し、教育関係での公演の他、タイでの図書運動ワークショップ、カンボジア難民キャンプでの公演など、国際的にも活動。また、昨今の理不尽な出来事を憂う想いや、平和を願う想いが高まり、森川あやこさんと共に、人としての夢や理想を歌に託して表現して行こうと精力的に活動されています。
わたしたちが毎年5月に開催しています「ピースマーケット・のせ」のライブステージにも昨年から参加していただき、他の出演者もそうですが謝礼金がほとんど用意できず心意気と願いと夢だけを頼りのお願いに快く応えてくださる、とても心強くありがたい存在です。
さて、いつもスタッフとして長野さんのステージを聴いてはいるのですが、なにぶん進行などに気を取られてしっかり聴けなくて申し訳なく思っていたところ、今回、ピースマーケットのメンバーのMさんが自身も参加する「吹田空襲を語り継ぐ会」主催でこのライブを企画し、お誘いを受けたことから、じっくりと聴く機会を得ることができたのでした。
6時過ぎに入店し、一時間の間に飲んだり食べたりと店内は満員でにぎやかな間に黙々とライブの準備をしている長野さんを見ていてまず、「ああ、このひとはねっからの職人さんなのだ」と思いました。おそらく自前で持ってこられた音響機器もふくめて(ひとり手伝いをされている方がおられましたが)、すべてをひとりですすめ、長野さんの歌を聴きたいと思うひとたちの、時には無茶な要望(今回のことではありません)にも応え、そのために最大限の努力を惜しまないひとなのです。
時間になり、主催者からの簡単な挨拶の後、いよいよライブがはじまりました。
わたしはどうしても「五つの赤い風船」のメンバーだった印象から、いわゆる60年代のフォークのイメージが強いのですが、現在の長野さんはきっと森川さんというパートナーを得て、かなりちがった印象を持ちました。むしろ、まったくつながらなかったのですが、わたしの好きな唐十郎の劇中歌のように演劇的で、それも劇画的なモノローグと時代のストーリーの語り部のようでした。「めぐり逢い」、「灰色の街」、「私が歌う理由(わけ)」など、長野さんの音楽の長い軌跡がたどった「いま」がぎっしりつまった歌たちは同時代を生きたわたしの心の奥に眠る心の軋みや青い時代の声なき声を呼び覚まし、わたしは心落ち着いては聴けなくなってしまいました。
きっと彼はある時、ご自身もアルバム「希求」の中で書いているように「今、心許ないこの国の行く末に不安を感じ、表現者として、ふたりでできることで、自分たちの意志を示しておこう」と、強い決心をされたのだと思います。
国家は時にはひとびとにひとつの歌を歌うことを禁じ、時にはひとつの歌を歌うことを強制します。それはまた、歌がどんな武器よりもどんな演説よりもひとの心を動かす力があるからなのだと思います。
歌がひとの心を動かす力があるとしたら、それはひとの心にはいくつもの扉があり、歌はその中でも密やかに用意されている心の最後の扉を静かに開けることができるのだと思います。その扉を開けると、なにげない日常の風景が特別の願いや夢、希望にあふれた見果てぬ風景、人間が一生かかってたどりつこうとする「約束の地」に塗り替えられていくのでした。
どんな武力も倒せない歌の魔力に恐怖する時の権力者は、だからこそ歌を自らの権力に取り込もうとしてきました。ある意味、歌の力をもっともよく知っているのは国家なのかも知れません。しかしながら、歌はまた、いつの時代も歌うことで人々の閉じられた心の扉を開き、歴史の教科書には記述されない「もうひとつの人間の歴史」と「愛のものがたり」を語るひとたちによって守られ、ひとびとをはげましてきたのではないでしょうか。
わたしに歌の力をもう一度信じさせてくれたのは川口真由美さんでしたが、川口真由美さんが土の下からにおいたつ悲しみやせつない怒り、生きる勇気を歌うジャンヌ・ダルクだとしたら、長野たかしさんは居酒屋のカウンターの隅に取り残された後悔や涙、それでもまた明日を生きる希望を歌う吟遊詩人と言えるでしょう。
森川あやこさんがお父さんの話から作詞した「コップ半分の酒」の時を聴いていたら、隣の同じ能勢に住むNさんが号泣に近いほど泣いてしまい、おかげで涙を流すタイミングを逸してしまったわたしでしたが、わたしの妻の亡き父親の話を思い返しました。
妻の父親はクラシックを愛する心優しいひとでした。徴兵で戦地に行き、上官のはげしい暴力に耐える日々でしたが、ある日、上官の命令で数人の新平とともに銃をもたされ、ひとりの現地の人間を射殺したそうです。よくあった「肝試し」で、だれの銃弾で殺されたのかわからない形でなされた「処刑」がいつまでも頭から離れず、どこまでも続くぬかるみを行軍しながらシューベルトのアベマリアを歌いつづけたといいます。
「いくら涙を流しても 死ぬまで戦争は終わらなかった」…、妻の父親もまた、あの「処刑」がいつまでも彼を追いかけてきて、シューベルトのアベマリアをレコードで聴きながら、つぶやくように歌っていました。
もうひとつ、今回のライブで歌われた「Hard Times Com Again No More」がとてもよかったです。長野さんは訳詞にも才能があるひとだと思いました。フォスターの曲で、ボブ・ディランなど数多くの人に歌い継がれているこの曲ですが、長野さんは東日本大震災の被災地に立ち、この歌の訳詩をしました。長い時とたくさんの人びとの大きなかなしみを通り過ぎ、この歌は北大阪の小さな町の居酒屋に舞い降りたのでした。
ライブの最後はサービス精神がいっぱいのお二人らしく、五つの赤い風船時代の名曲「遠い世界に」をお客さんと大合唱しました。
来年も2月11日の「吹田空襲を語り継ぐ会」のイベント「朗読劇 忘れない吹田空襲1945Vol.2」でのスペシャルライブをはじめ、各地で引っ張りだこのお二人に、5月26日の「ピースマーケット・のせ」にも出演していただけることになったお礼を申し上げて、最終バスに間に合うように居酒屋を出ました。
あいにくの雨で冷たい夜でしたが、心あたたかく能勢に帰りました。
長野たかしさん、森川あやこさん、ありがとうございました。そして、うれしい企画をしてくれたMさんと「吹田空襲を語り継ぐ会」のみなさん、とても親切だった居酒屋「千里一番 だごや」のみなさんに感謝します。

「Hard Times Come Again No More」長野たかし&森川あやこ

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