能勢町民を面でつなぐ地域交通 能勢ルネッサンス 

わたしの住む能勢町は大阪府の北端の小さな町で、全国の地方の町と同じく人口減少と高齢化、町の主な産業である農業を担う後継者不足にあえいでいます。
関西で知られる能勢電鉄は実は能勢町を走っておらず、交通手段は路線バスが走っていますが、人口減少と高齢化の波は路線バスを直撃し年々利用者が減る中、運転手不足という構造的な問題も重なり減便や廃止が進んでいます。その結果として住民の移動手段は圧倒的に自家用車に依存している状態です。
わたしはずいぶん前に合宿での運転免許の取得にチャレンジしたものの、精神的につらくなり、結局断念した苦い経験をしています。2011年に能勢に引っ越してきたとき、隣近所の人たちから「自動車の運転ができないのに能勢に来るなんて信じられない」と言われましたが、それでも「なんかあったら声かけてや」と親切に言ってくれました。
わたしはそのころはまだ新大阪で働いていましたので、40年ぶりに路線バスで通勤することになりました。能勢電鉄の山下駅までたった10分ほどの時間がとても新鮮でわくわくしながら、その時間帯はほぼ満員で吊革を持ちながら窓の外の風景を見るのが仕事前の貴重な時間となりました。
それまで北大阪急行の緑地公園駅の近くに住んでいましたから、マンションと会社のビルが立ち並ぶところとちがい、見渡す限り山に囲まれた能勢の風景は終の棲家にふさわしいワンダーランドと思いました。能勢電鉄山下駅に着くまでに何本もトンネルを通り過ぎ、最後に山下の町に出る最後のトンネルを通り過ぎると景色はがらりと変わり、それまでの木々のひそひそ話や鳥たちのはしゃぎ声から一転、地方の町の息遣いとともに人々の声が絡み合い、どこに急ぐのか車のざわめきが飛び交う空間に入る一瞬もまた、そのころよく見ていた中国や香港、韓国映画のワンシーンを見るようで、「今日も仕事がんばろ」と背中を押してくれているようでした。
そのころも減便・廃止がつづき、不便になっていきましたが一方で乗客がないまま「空気を運んでいる」と揶揄されるほどの状況は深刻になり、ますます減便になるという悪循環が続いています。
能勢町は路線バス事業者に赤字補填として今年度は当初3500万円の助成金を出していて、2019年3月に路線バス事業者より今後の運行について協議の申し入れがある中で、当初は1月より減便のところ助成金を急遽1700万円追加し、今年の3月までは現状を維持することになったのですが、4月からは大幅な減便が避けられない状況です。
能勢町が昨年実施したアンケート調査によると、サンプリングの少なさは気になりますが、おおむね路線バスを利用するひとは2割にとどまり、残りの8割のひとはほとんど乗らないか全く乗ったことがないと応えています。そしてどちらも運行本数が少ないこと、バス停が遠いこと(乗っている人13.5%、乗らない人24.4%)、利用したい時間に走っていないことなどを改善してほしいと応えています。
また、路線バスを維持、充実させるために町が経費を負担することについては、9割以上の人が容認し、一方で運賃の値上げや減便もやむをえないという回答もある中、6割の人が「今後も可能な限り財政負担すべき」と応えています。路線バスなど公共交通の必要性については若い人たちは通勤・通学、休日の外出に必要と応え、日中の外出に利用する高齢者をはじめ、今は自家用車の移動で困らなくても将来のことを思うと必要であると回答しています。
しかしながら今後の改善どころか、今回のような大幅な減便は能勢町民にとって交通アクセスの崩壊そのもので、一時は半減かと思われましたがなんとか3分の2ほどの減便におさまりそうですが、それでも日中は約2時間に1本になり、通勤に影響を少なくすると言っても朝の通勤時間の1、2本と、最終バスが9時台になりそうで、これでは通勤での利用にも大幅な制限がかかることになります。そうなれば既存の住民はますますマイカー通勤となり、能勢の素晴らしい自然環境を求めて移住しようと考えていた人々も断念することになりかねず、それでなくても「大阪の孤島」と言われてきた能勢が孤立することは避けられないでしょう。
わたしたち住民にとっては切実な問題で、減便を思いとどまってほしいと願っても、公共交通とはいえ私企業である以上、毎年の赤字の累積に耐えられないということであればその赤字分をすべて能勢町が補填するだけの財力も乏しく、また利用しない、利用したくてもバス停が遠く利用できない町民に思いをはせれば、それも現実可能な解決策ではないと思うのです。
そこで能勢町は昨年の秋、路線バスとタクシー事業者、国交省近畿運輸局の担当者、都市デザインの学識経験者、豊能警察と能勢町職員、住民代表などを構成委員とする「能勢町地域公共交通会議」を立ち上げ、路線バスと連携できる能勢町内の地域交通網の確立に向けて動き出しました。
能勢町においても、営業が目的でなく能勢町内に限り移動サービスを提供する「公共交通空白地有償運送」と、障害者、高齢者のみが町外の目的地でも利用できるドア to ドアの「福祉有償運送」があり、これらのサービスをボトムに乗合タクシー、コミュニティバスなどの併用により路線バスやタクシーと連携していくことで、今までは点と線だったものを能勢町全体を面にしたきめこまやかな交通網ができればいいなと思います。
能勢の場合、歴史も古く農耕文化の宝庫ともいえる東地区と、かつて能勢の中心・「森上銀座」といわれたと聞くところの交通・物流・庶民文化の拠点の面影を残す西地区との行き来が自由になり、町民同志の交流もふえ、車の運転ができなくなっても障害を持ってもだれひとり取り残されず、先人が守り、遺してくれた里山の自然と共に生きる「能勢ルネッサンス」が花開くことを夢見ています。
わたしはこの会議を立ち上げると知ったとき、とても夢のある計画と思い、会議の傍聴に行きました。しかしながら、どこの町でもおそらく同じだと思うのですが、交通事業者の既得権を決して侵さない形で会議の内容もこれから作られる地域交通網のシステムの在り方も検討されていることを実感しました。それはもっともなことで、とくに今のようなコロナ禍で外出そのものが激減する中で、経営の困難を耐えて能勢町の公共交通を守っている事業者に感謝しつつ、それでも町行政と住民と事業者が助け合い、知恵を出し合って能勢町内の新しい地域交通網を作り上げることは能勢町のまちづくりのすべての課題とつながる夢の計画だと信じています。
国交省も昨年改定した「自家用有償旅客運送ハンドブック」で、公共交通事業者が積極的に協力する「事業者協力型自家用有償旅客制度」を創設し、運行管理や車両整備管理、交通安全に精通する交通事業者(バス・タクシー)がそのノウハウを活用して協力し、住民ドライバーが運転する交通空白地域有所運送の在り方などを提案しています。近くでは猪名川町の試みのほか、兵庫県養父市では全体の運営管理をタクシー業者にゆだね、住民ドライバーのコーディネートまで一貫したサービスをしている例が紹介されています。
能勢町にどの交通システムがいいのかはこれからの会議で検討されることになりますが、能勢町に限らず、これからの日本、いや世界の目指すものは「住民参加による助けあいと共に生きる社会」の実現とわたしは思っていて、まずはわたしたちの住む能勢町で、この町をこよなく愛し、自然を守り自然に助けられながら住民が助け合える能勢町をめざして行動する難波希美子さんとともに両手いっぱいの希望と切ない夢を分け合っていきたいと思います。

「心の四季」より「1.風が」「2.水すまし」「3.流れ」  詩・吉野弘 作曲・高田三郎 豊中混声合唱団第53回定期演奏会 2013年7月6日

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