今年一年、ありがとうございました。

クリスマスソングが街にあふれ
あわただしいときが走り抜けたら
もうお正月
かなしかったこともうれしかったことも
せつなかったこともおかしかったことも
さびしいわかれもたのしい出会いも
ささいなできごともおおきな紛争も
まるで一年のはじめから
わかっていたように
思い出というカレンダーにきざまれる
1月1日から12月31日まで
時にただの数字の並びが
不思議な物語に思えることがある
遠い遠いどこかの駅の
ホームに立っているあなた
そして世界の希望の一年がやってくる

今年の最後の一日が過ぎて行こうとしています。
私の住む能勢町は大阪府の北の端で、本格的な雪は冬の間に1、2回程度しか降らないのですが温度は低く、今日の朝も道路が凍結していたようですが、昼ごろには温度も6度と、比較的暖かい大みそかになっています。
雪の多い寒い地域にお住いの方は大変だと思いますが、みなさまどうか良いお年を迎えられますように願っています。

今年最初に行った島津亜矢のコンサートは尼崎で、その直前に体調を崩し、その前のコンサートが延期になったのでこの日も大丈夫なのかとても心配でしたが、無事に終わりほっとしました。
この時は違う意味で、島津亜矢のすごさを垣間見ました。声の調子は6割ぐらいだったように思いますが、それでもメリハリのついた歌唱で初めてのお客さんは声量にびっくりされていましたし、手抜きなしで「ヨイトマケの唄」を歌い、最後に「俵星玄蕃」を熱唱しました。ステージに立つ以上、言い訳なしの一回きりのお客さんとの出会いを大切にし、歌ってしまう彼女の覚悟には凄味すら感じられ、そのけなげにもいとおしい姿を涙なくしては見れませんでした。
それから歌舞伎での座長公演、秋の大阪のコンサートを経て、もっとも大きな「事件」はなんといってもアルバム「SINGER2」とシングル「かあちゃん」でした。
「SINGER2」の個別の歌について書くことができないまま、年を越すことになってしまいましたが、来年初めには書き始めようと思います。
「紅白歌合戦」への不出場など少し悲しいこともありますが、島津亜矢は目先のことやほんとうに必要とされる音楽以外のことにはとらわれず、誰もまだ踏み入れていない歌の荒野を走りぬけて行くことでしょう。その先に、いつか咲く一輪の花が彼女にしか歌えない未来からメッセージとしての歌を用意してくれているにちがいありません。

今年、もうひとつの「事件」は曽我部恵一の音楽と出会ったことでした。奇しくも島津亜矢と同じ1971年生まれで、およそこの2人が出会うことはなかったのでしょうが、わたしの中では化学反応をおこし、今年の5月に大阪服部緑地野外音楽堂で開かれた「春一番」コンサートで出会って以来、5回もライブに行きました。
島津亜矢が歌の誕生の地を求めて歌が生まれるプロセスをたどって行くのに対して、曽我部恵一はつねに音楽の誕生の地に立っていて、既成の音楽では排除されてしまう具体音も取り入れた音楽をつくり、かつての吟遊詩人のように即興で政治的な問題からたったひとりのひとへの切ない愛を歌います。バンド編成も充分にロックですが、わたし個人としては彼の弾き語りの時のささやきと、腹の底のたましいの秘部からせり上がる叫び、そして聴く者の心をかきたてるギターの生音によりロックを感じます。
およそ音楽の大地の両極にあるこの2人の旅の行方にどんな世界が広がっていくのか、とても興味深く、その世界をわたしも体験したいと思います。
また今年は唐十郎作・蜷川幸雄演出の芝居を続けて2本も観たり、わたしの大好き監督のひとりのマルガレーテ・フォン・トロッタの「ハンナ・アーレント」と「ローザルクセンブルク」を観たり、若松孝二監督の遺作「千年の愉楽」や「アルバート氏の人生」など、昨年よりはたくさんの映画も観ました。

一方で、能勢の学校の統廃合問題に心が痛みます。実際のところすでに決まってしまっていてどうにもできないのかと思うのですが、長い歴史と生活に支えられてきた6つの小学校と2つの中学校を廃校にして、大阪府から譲り受けた旧府民牧場の敷地の一部に小学校と中学校をひとつずつ建てるという計画が実行されようとしています。
将来の人口減を見越した計画ですが、旧府民牧場は能勢町の西南の端の玄関口にあたり、スクールバスを走らせなければ通えない立地条件は、この場所を閉鎖的にならざるを得ない学校よりは町内にも町外にも門戸を開いた観光施設や生涯学習、文化施設の方が良いことは自明の理で、教員の人件費を削減できると考える大阪府や国を利するだけで、能勢町が23億円もの大金を出して造成しなければならないこの計画は、能勢町の財政から考えても、また長い目でみれば国や大阪府の財政を考えても、なんとしても中止してもらいたいと思います。
「恋する経済」というタイトルにありますように、わたしは経済もまた恋をし、夢を見ると思っていて、言い換えれば行政もまた目先の小さな夢ではなく、未来からの使者・子どもたちの見るひとりひとり巨大な夢のために何が大切なのかを考え直してほしいと切実に思うのです。
希望が同じ時代を生きる人々の最後の病気にならないために、そして共に生きるすべてのひとの希望をたがやすために…。

このブログも12万アクセスを越えました。ご訪問くださったみなさんに感謝します。
とくに「亜矢姫倶楽部」、「Welcome to AYAHIME Land 島津亜矢ファンサイト」、「『亜矢姫』談話室」など、島津亜矢さんのファンサイトに結集されているみなさんのおかげでたくさんの方々に読んでいただき、励ましのお手紙もいただきました。
ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。

島津亜矢/布施明「マイ・ウェイ」
「SINGER2」に収録されています。この映像はNHK「BS日本のうた」でのスペシャルステージの映像です。途中から感極まったように島津亜矢が泣きだし、布施明が励ますように歌っていてどうしたのかと思っていましたが、この日の直前に亡くなった島津亜矢の恩師・星野哲郎の通夜の日だったと後から知りました。そういえば布施明もさりげなく黒のネクタイをしています。ステージではいっさいそのことには触れず、万感の思いで歌った島津亜矢と、彼女の悲しみに思いを寄せて励ます布施明が歌う「マイ・ウェイ」は二人の人生そのもののようで、とても感動的でした。

島津亜矢「想い出よありがとう」
この歌は 2011年のアルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて」に収録された一曲です。このアルバムは阿久悠の未発表の遺作詩10本を歌にしたもので、島津亜矢のオリジナルの中でも異色のアルバムです。この中からすでに「恋慕海峡」、「麗人抄」、「一本釣り」、「運命~やっと天使がこっちを向いた~」がシングルもしくはカップリング曲とな
っていますが、この歌も新曲「かあちゃん」のカップリング曲として収録されました。
最近、小説や映画が大ヒット中の「永遠の0」とこの歌をイメージとしてドッキングさせた映像がひそやかな人気になっていますが、わたしの場合はこの歌を聴くと、なぜかアラン・ドロン、ジャン・ギャバンが活躍したフランス映画の風景を思い出します。コンクリートの打ち放しのような部屋にベッド、家具がほとんどない粗末なテーブルに1輪のバラの花、殺風景な窓からほこりを映して部屋に迷い込んだ夕日にさらされ、年老いた男がベッドにうずくまっている。
過ぎ去った日々、去って行った恋人たち、ともあれ、人生はつづく…。

曽我部恵一BAND「満員電車は走る」
「震災があって、日本で生活する人たちの心はボロボロになってしまった。でも、ぼくはそんなことに屈しない魂を知っていた。もうずっと前から、しいたげられ、見捨てられ、でも叫び続けてきた魂たち。震災があったからこそ、ぼくはそんな魂を歌いたかった。」と語る曽我部恵一にとって、震災後に次々と発表される「絆ソング」とか「歌の力」に違和感があるといいます。わたしもまた、同じ思いをもっていましたが、この歌を聴いたときは衝撃でした。この歌は3rdアルバム「曽我部恵一BAND」に収録されていますが、弾き語りでは絶叫寸前の叫びとギターにノックアウトされました。このアルバムには他にも素晴らしい歌がたくさん収録されています。

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