AKBと泉谷しげると杉下右京と村上春樹

年始のごあいさつがおそくなりましたが、あけましておめでとうございます。

大阪府能勢町に住むようになって2年半になりました。これまでは引越して間がないと自分に言い訳して大掃除を熱心にしてこなかったのですが、さすがに3度目の正月で、年賀状も早く出し終えたこともあり、年末に本格的に大掃除をしました。
ふしぎなもので大掃除をしていると家と対話しているようで、ようやく家にも能勢にもなじみが深くなってきました。

その後は毎年のことで、テレビばかりを見てすごしています。そこで、いくつか見た番組の感想を書いてみます。
まずは紅白歌合戦ですが、わたしの思う音楽番組では全然ないのですが、それはそれとして今回もなんとなく見てしまいました。ここ何年か、AKB48やその派生グループのアイドルたちがまるでコンパニオンのように細川たかしや五木ひろしを盛り立てるような演出が続いているのには、再考を求めたいと思います。いっそのこと、歌合戦のような「いくさ」ではない番組にするのならいいかも知れませんが。
一方で泉谷しげるは審査員をはじめ会場のお客さんに「手拍子やめろ」と怒鳴り、パフォーマンスなのか本気なのかわからない感じでしたが、「怒りキャラ」としてふるまわず、彼が伝えたかったメッセージを丁寧に率直に言えばよかったのにと、少し残念に思いました。
年々派手になる一方の紅白を、この一年、かなしいことやつらいことが押し寄せ、心を固くしながらたったひとりでテレビやラジオで視聴しているひとたちを思い、「今日ですべてが終わる。今日ですべてが変わる、今日ですべてが報われる、今日ですべてが始まる」(「春夏秋冬」)と一緒に歌おう…。こんな感じのことを言いたかったのだと思うのですが、うまく言えず、いら立つ彼の姿が痛々しく感じながらも共感し、少し好きになりました。

「あなたのいう国益とはっいったい誰のための益でしょう。一部の官僚や為政者がこのような親子から奪い取った利益を、国益とはいえません。ジャーナリストの核にあるのは、ふつうの人々に対する信頼です。この苦しみを知ればほっておけないはず、この理不尽をしれば怒りを感じるはず、その想いが世の中を変えていく、そう信じるからこそ、彼らは銃弾の飛び交う戦地にも立って報道をつづけているんです。そして、桂木りょうさんもまたこの国の前線に立っていました。ふつうに生きている人々のために、この国の巨大な権力を敵に回して、たたかいました!!」
この長いセリフは「相棒 元日スペシャル」で杉下右京が犯人の公安幹部に向かっていうセリフです。
毎年、正月に放送される「相棒」スペシャルでは、警察組織から内部的にはずされている特命係という設定を生かし、国家や為政者、警察権力の犯罪をあばくストーリーをエンターテインメイントの仕掛けのもとで描くことが多く、マンネリだというひともいますし、反感を感じる人たちもいるようです。
しかしながら、わたしは反対に、毎回その時々の社会問題を積極的に取り上げ、それを娯楽大作としてプロデュースするこの番組にいつも共感しています。
今回は特定秘密保護法を背景にしていることはあきらかですが、もちろんそのことをそのままとらえるのではなく、少しあざとさはあるものの、シングルマザーの貧困問題とそれにからんだ国家の犯罪を暴こうとするジャーナリストとそれを封殺、隠ぺいするために殺人まで犯す警察権力との攻防を娯楽作品にまとめながら、とてもたいせつなメッセージを届けてくれたと思います。
杉下右京が取調室で犯人の公安幹部に言うこの言葉は実は、マスコミやジャーナリズムにこうあってほしいという願いでもあります。そして、さらに言うならば、街づくりや国づくりを選挙という手段で為政者や官僚にまかせるだけではなく、わたしたちひとりひとりが自ら行動し、担う時代を必要としているように、情報もまたマスコミにまかせるだけではなく、小さな声でもいい、肉声でひとからひとへと伝えていくパーソナルなメディアを育てていくことも大切なのだと学びました。

最後はNHKの再放送でタイトルは忘れましたが、村上春樹がアメリカ、ロシア、フランス、中国、台湾などで圧倒的な支持を得て読まれていることを紹介し、なぜ村上春樹の小説が世界で読まれるのかを考える番組でした。
わたしも村上春樹のファンですが、島津亜矢についてもそうなんですが、ファンになる理由をいろいろ言ってみてもそれは一般論でしかなく、そのひとのすばらしさを伝えることはできてもファンになってしまったほんとうの理由は説明できず、ただただ大好きだとしか言えないのが本音です。
村上小説は純文学というジャンルを無意味なものにしてしまったとわたしは思うのですが、荒唐無稽に見える冒険や体験をリアルに物語るわかりやすい娯楽小説でありながら、読み終えた後に読者がその物語の続きを実人生で生きることで、時代そのものの意志のようなものを感じる不思議な小説…。このように書いてみても自分でもさっぱりわからないのですが、なぜかいつも気になってしまう小説です。
ただ、村上春樹の小説が世界のひとびとに圧倒的な支持を得ているのは、国境を越え、世代を越えて、同時代のうす明るい暗闇を共有しているからだとわたしは思います。
日本も世界もヒステリックにアクセルを踏み込もうとしている今、村上春樹の小説に登場してきた人たち、これから登場する人たちの思いまどうたましいは、彼の小説のモチーフのひとつである深い井戸の底の壁をすりぬけ、つながっていこうとし、それを読む世界の人々もまたつながっていくことでしょう。

こんな感じで、今年も記事を書いていこうと思います。
今年もよろしくお願いします。

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